君に触れたい-3風に揺れる髪

 みんなが去った後も二人はこうして寝転がった元晴に膝を貸す志音のままでいた。
 しばらくして元晴が話しかける。

「さっき、北村なんだって?」 
 そう問いかけると志音は今までそれを忘れていたようにはっとして元晴に言う。

「なんか、僕と友達になりたいって」
 その表情は少し困った顔だった。いつでも友達になりたいというものが現れると、志音は不安がってそういう顔をする。昔、元晴が友達になろうと言った時の笑顔は見せない。だから何故か嬉しくなる。
 あの表情でうんと言われて途中で友達をやめられるわけがないのだ。

「やっぱ苦手か?」
 元晴はそう聞いていた。

「うん、ちょっと……でも北村さんはいい人だと思うよ。僕に勇気がないだけで……」
 志音はそう言って遠くを見ていた。

 肩に少しかかった髪が揺れている。そういえば、長い髪が好きだと元晴が言ってから、ずっと志音はこの髪型だったような気がする。何気ない言葉だった。完全にショートにしてしまうのはもったいないと思っていった言葉だったが、それを志音はずっと守ってくれている。

「いつかは……とは思うんだけど……」
 志音はそう言って、自分に元晴しか信頼できる友達がいないことを一応は問題として考えていたらしい。
それには腹は立たないが、少し悲しくなる。

 自分がそうであったように、段々と友達と遊ぶことが多くなって、次第に元晴のことは後回しになってくる時が来るのだ。元晴が友達と遊んでいる時に、志音も友達と遊ぶ。そうして気があった同士でつるんでいくといつか離れてしまうことになってしまうかもしれない。

「いつか、か……お前も俺から離れていくのか……」
 思わず元晴はそう言っていた。

「え? 元晴?」
 志音が驚いた顔をしている。でもすぐにハッとした顔をした。

「ご、ごめん。元晴がいやだって言うなら僕はまだ友達いらないよ」

「なんでそういう言い方するんだ?」
 元晴はそういう意味で言ったのではなかったが、そうやって自分が志音を縛っていたのかと思うと、自分自身に怒りがわいてきた。

「ち、違う……元晴、そうじゃなくて、僕、そんなに友達欲しいわけじゃないから」
「だからってなんで俺が嫌だっていったら、友達いらないなんていうんだ?」
 元晴は起き上がって志音を睨み付けてそう言っていた。

 発端は自分の発言だが、だからと言って志音が友達を欲しがらない理由が自分にあるとは思えない。苦手だから作らなかったのではなく、自分が妨害したから作れなかったのではなく、自分が嫌だという態度だったからずっと志音が友達さえも作れなかったとはっきり言ったから不安になった。

「元晴……お父さんがいなくなったとき……そう言ったから」
「なんでそんな昔の言葉、真に受けてるんだよ」

 昔父親が出て行った時、志音だけは絶対に離れないでくれとお願いしたことがある。友達だって他に作らないでくれとも。まさかそんな子供の頃の戯れ言を志音が未だに守っているのだということが衝撃だった。

「だって……元晴には嫌われたくなかったもん」
「じゃ、俺が気に入らないからって俺のせいにしてたのか!」

「違う!」
 怒鳴り合いになって志音が大きな声で元晴の言葉を遮った。
 志音が大きな声を出すなんてことは滅多にない。

「そんなんじゃない! 僕が、僕が友達なんかいらないって思ってたから! 元晴以外に友達なんていらない! だって元晴以外好きじゃないもん!」
 志音は必死にそう言っていた。何より自分は元晴に嫌われることだけが怖いのだ。元晴だけがいつでも志音の味方だったから、何をしても嫌われたくはなかった。
 あまりの必死の形相に元晴は呆然とした。
 こんなに必死になっている志音は見たことはない。そして言っていることは一つだけだ。

「……志音、お前」
 元晴のことが好きだと告白した志音は、すっと顔色が悪くなった。

「あ……あの……」
 好きだと言うつもりはなかったという反応は、これはただの友達が好きだという範囲ではないということはすぐに元晴も理解出来た。
 どうしてここまで志音が尽くしてくれるのか、どうして自分以外と親しくならないのか。
理由はそこにあった。
 
 志音は自分の心を知られたと悟って、慌てて逃げようとし、立ち上がりかけたが逃げようとする志音の腕を元晴はしっかりと掴み逃すものかと力を込めて握り捕らえた。

「お前、俺が好きなのか?」
 喉に言葉が詰まったように上手く出てこなかった。衝撃もあったし、そうだったのかと思うこともあった。だが本当にそうなのかと確認したい一心で言葉を出した。

「……ごめんなさい」
 志音はそう謝った。下を向いた顔の表情は見えないが、絶対に泣きそうな顔をしているに違いない。
 こういう時の志音はいつも泣きそうなのだ。

「き、気持ち悪いよね……だってずっと友達だったのにそんなの言われても困る……よね」
 志音は肩を震わせて泣くまいとしながら声を出している。だが、涙は止まってはくれなかった。

 さらさらと揺れる髪の間から、涙の滴がぽたりと落ちていた。そこからはもう止まらないのだろう。一旦流れ出した涙はどんど溢れてくる。

「……志音」
 元晴が志音の肩にゆっくりと手をかけると志音はびくっと震えて固まった。
 このまま殴られるのか、それとも罵倒が来るのか。志音はそう思ってじっと耐えていた。ここで唯一の友達で好きだった人に嫌われるのだと思うと、志音の涙は止まってはくれない。
 普段泣かないせいもあって、涙の止め方が分からなかった。

 どうしたらいい、なかったことにしたい。ずっと友達でいいから傍にいたい。けれどそれさえも拒まれるのだろうか。そう思うと恐怖がわいてくる。

「……き、気持ち悪いよね……もういいよ、友達じゃなくて……もういいから」
 そう言って元晴の顔を見上げる。涙が頬を伝って、ぽろりと落ちる。
 それを元晴はじっと眺めている。何か言うでもなく、ただただ流れる涙を眺めて固まっている。

 そう言えばと志音は思い当たる。昔自分が泣いた時、元晴はこうやって固まっていた。泣いている自分を見てどうしていいのか分からないらしく困っているようだったので、志音は自然と元晴の前では泣くことはなくなっていったと思う。

 元晴も昔こうやって志音が泣いたのを見た時のことを思い出していた。随分綺麗に泣くんだな。綺麗だなと思ったのだ。相手が悲しくて泣いているのにだ。綺麗だと思ったのだ。それからはなんだかその顔を見るとどうしていいのか分からなくなった。

 もやもやとしてうっとうしいわけじゃなく、心が何故か動くのを感じるのだ。
 しかし、友達でなくていいと言われてふと元晴は考えた。

「友達じゃなくて平気?」
 そう元晴が問い返すと、志音はハッとして泣いている顔がまた泣きそうになるが、うんと頷く。
 平気な訳がない。平気なフリをしても元晴には嫌われたくない。嫌なら従う。そうしているだけだ。

「平気? へえ、そうなんだ」
 元晴の声が低くなる。
 その声に驚いて志音の瞳が元晴を見る。

「……もう、許して。近づかないし、もう何も言わないから許して……」
 志音はそう懇願する。友達だ幼なじみだと言っていた相手が恋心を抱いていた、しかも男からそう思われていただけで、不快になる人もいるだろう。元晴がどう思っているか分からないが、嫌悪感を抱いても不思議ではないことなのだ。そのことが怖い志音。

 ただでさえ嫌われたくないのに、どうしてこうなったのだろう。
友達なんて欲しいと思わなければよかった。
 そう後悔をした。そうすればずっと元晴の友人としていられた。傍にずっといられたかもしれないのだ。

「許さない。俺のこと、好きなんだよな?」
 元晴はそう尋ねる。

「だから……それはもう……」
「ん? 言ってみろよ。はっきりとちゃんとそしたら許してやる」
 元晴は優しい声でそう言っていた。
 一瞬戸惑った志音は小さな声でもう一度告白をする。

「……元晴が好き……」