Honey-裏-4君の姿が見たくて

 ありったけの有給を取った新藤は家に一人でいた。
 いつも出かけていたバーは行くのが嫌になり、最近は行っていない。あそこに行けばまた大知に振り回されて自分は醜態を晒すだけになってしまう。それがどうしても嫌だった。
 そうして一人でいるところに、織田から連絡が入った。

『よう、最近どうしてる?』
 織田が上機嫌なのは電話でも丸わかりだ。きっと小汰とは上手く行ったのだろう。そう思って新藤がそう言うとやはり織田は嬉しそうに言うのだ。

『まあ上手く行ってるよ。あの後話合って誤解も解けたし。てかな、誤解の原因が完全にお前だったんだよ』
 織田がとうとう原因を知った。
 その言葉に一瞬だけ、心が冷えた。

「え……?」
 何も知らない振りをして、織田の言葉を促した。

『ほら小汰とデートして俺が小汰からキスしてもらってすげーテンションあがってたところでお前と会っただろ。あれを見てたらしくてなんか誤解しちゃったらしい』

「あ……なるほど」
 そんなことは知っていた。小汰が見ていたことも、後を付けてきたことも知っていた。
 案の定、小汰は誤解して織田は振られそうになった。

 だから余計に大知の誘いを断ることが出来なかった。

 恋人など作るつもりがなかった織田が人を本当に好きになってしまったと初めて本音を話してくれた。新藤はそれを聞いてショックを受けたが平静を装って織田と喜んだ。
 けれど、心の中では激しい嫉妬の渦が巻いていた。どうして自分ではないのだ。どうしてどうして。何度も織田を責めるようなことを思った。
 織田が楽しそうにしているのが辛くて、嫉妬して小汰に誤解させるようなことをした。

 織田はそれを知らない。偶然だと思っている。
 本当のことを知ったら、今笑っている織田もきっと新藤に愛想を尽かすだろう。死んでも言えない。絶対にだ。
 今は純粋に友人である織田を失いたくない。織田だけなのだ、自分を真っ正面から見ても、ずっと親しくしてくれて、こうして電話までかけてくれるような親切な人間は。
 だからずっと知らないふりを続ける。
 織田を、人間として純粋に好きだから。

「そりゃ悪かったね」
『いやまあ、誤解は解いたというか、お前はあのいとこ……えっと大知だっけ?と仲良くして一緒にいるって言ったらさ、速攻確認してくれちゃって、そうしたらまあ……お前らやってる最中だったから……』
 そう織田に言われて新藤は心臓が止まりそうになった。あの時そんな電話があったのかさえ覚えていない。

 しかし最中だったら自分はほとんど覚えてないだろう。翻弄されて何が何だかわからなかったんだから。

「……あの……」
『ま、お前もその気になったってことだろうし、いいんじゃね? 小汰は大知のことを口は悪いけどいいやつだって言っていたからな。そのまま付き合ってるって聞いているし』
 急に話がおかしなところにいった。

「付き合ってなんかないよ……」
 付き合っていると言われてとっさに新藤は反論した。あれは付き合っているとは言えない。ただのセックスフレンドというものになるのだろう。

 新藤は大知の名字さえ知らない。相手が年下の大学生ということと大知という名前だけ。向こうだってこっちのことは知りたがらないし、知ろうという気もないようだ。もちろん携帯番号やメールアドレスだって知らない。どこに住んでいるのかどんな生活をしているのとかそんなこともまったく知らない。そんなやつと付き合っているとは到底思えない。

『付き合ってないって……小汰は大知が新藤のことよく自慢してるって言ってたが……何かあったのか?』
 付き合ってないと告げたら織田の方が心底驚いたように早口で何か言っているが、新藤はほとんど最後の方しか聞いていなかった。

「なにも……なにもないよ。本当に何も……」
 本当に何もなかった。
 彼のことを知ることもないし、もうこれからも会うことはないだろう。
 バーに行かなければもう会うこともないし、こんな関係続けている意味もない。織田の件だってもう片付いてしまったのだから本当に意味はない。
 そう気付いてしまった。

 ああそうか、織田の件は終わったのだから、こんな関係続ける必要はないのか。それが頭に浮かんだら、すっと気分が冷めた。 そして同時に笑っていたらしい。

『ちょっと待てよ、なんか新藤、おかしいぞ。何笑ってる?』
「どこが?」
 新藤は素っ気なく返していた。何が可笑しいのかわからない。

『小汰がなんか驚いてる。なんでって言ってるぞ。付き合ってるって大知はそう言ったって』
 そう言って織田は慌てている。どうやら小汰が傍にいるらしい。

「セックスしてるだけだったよ。ほんとうにそれだけ。もうそんなのもやめる。二度と会わない」
 もう何もかもがどうでもよくなって、新藤はそう言っていた。

『ちょっとまてって。ここで結論出すなよ』
 織田はいきなり結論を出した新藤に驚いたらしく慌てて止めようとするが新藤ははっきりと言っていた。

「いいんだってば。向こうだって他に相手が見つかったらそれまでだろうし、それにあいつ言ってたじゃん。本命見つかるまでだって、だから俺はそれまでの繋ぎの相手でしかないんだよ」

『はあ? 何か話がおかしいぞ。そっちとこっちで食い違ってる』
 織田はやっと矛盾に気付いてそう言ってきた。新藤はただのセックスフレンドだと言い、大知は付き合っているというからだ。

「そもそも好きだなんて言われてないし、そういうの一切無いんだよ。ずっとセックスだけして朝起きたら相手はいなくなってての繰り返し、どう考えてもそういう関係じゃないか。もう嫌になったんだからほっといてくれ!」
 新藤はそう叫ぶと電話を切った。今のは完全に八つ当たりだ。織田には関係ない。

 悪いことをしたが、今はこんな言葉しか出てこない。本当にもう放っておいてほしかった。あんなことは忘れてなかったことにしたかった。

 だって心が痛いのだ。とても痛いのだ。大知が自分の身体目当てだけであるのは分かっていた。なのに、ずっと引きずられてそんな関係をしてきた罰が当たった。

 いつの間にか彼のことを好きになってしまっていたのだ。
 彼がどこの誰でなんなのか、そんな普通のことを自分が声を荒げるほど知りたがっていたなんて、思いもしなかった。でもこれが本音なのだ。
 だからこんな関係は辛すぎる。

「……なんだよ、いつの間に大知のこと好きになってるんだよ。俺は織田が好きなんじゃなかったのか?」
 そう呟いて見せるが、そう言っている間にもずっと頭の中には大知のにこりと笑う笑顔や、いやらしい顔をして意地悪をするときにみせる顔が浮かんでくる。そして最後におやすみと優しく言ってくれる声が聞こえてきたのを思い出した。

 未練たらたらじゃないか。本当にどうかしている。相手は大学生で年下。毎回毎回上手い手を使ってセックスに持ち込むばかりの相手じゃないか。そんな相手を好きだなんて自分は十分おかしい。

(新藤さん) 
 そういってにこりとする大知の顔が浮かぶ。あの顔が好きだった。自分だけに見せてくれた笑顔が好きだった。

 ただそれだけなのに、何故こんな結果になるのだろうか。相手はただの身体目当てだというのに。そんな相手を好きになるなんて、織田を好きだったころよりもっとタチが悪くもっと未練があって最悪じゃないか。

 そう思うと新藤は泣き笑いのような顔を浮かべて、とうとう最後には泣き出してしまった。崩壊した涙腺は止まってくれやしない。
 暫く泣いていたと思う。どれくらい時間が過ぎたのか分からないが、外は暗くなっていた。

 電気をつけてカーテンを閉める。それだけの行動がしんどくてぐったりとソファに座り直した。そうした時、家のチャイムが鳴った。
 どうせ織田が心配して見に来たんだろうと新藤は思ってそのまま玄関に向かうとドアを大きく開けた。
 だがそこに立っていたのは織田ではなく、大知だった。

「……だいっ」
 そう認識したとたん、新藤は勢いよくドアを閉めていた。だがそれを予測していたのか大知はすでにドアに足を挟んで、手でドアが閉まらないようにしていた。

「入るよ」
 大知はそう言うと、さっさと新藤の部屋に入ってきた。

「ちょっと……勝手に入るな!」
 新藤がそう叫ぶのも無視して大知は靴を脱いで中へ入ってしまった。そうして振り返って新藤の腕を取るとそのまま引きずるようにしてリビングに入るとソファに投げ出すようにして新藤を座らせた。

「なにをする!」
 新藤がそう言うとその新藤に覆い被さるように、ソファの背もたれに手をかけて大知が上から見上げてくる。

「それはこっちの台詞だ」
 大知は何か怒っているのか機嫌が悪そうだ。新藤を真剣に睨み付けて絶対に逃がさないという風にしてくる。それに負けじと新藤もにらみ返した。

「だ、大体なんで、家知ってるんだよ。どうして来たんだよ」
 何故大知がこの家の場所を知っているのか分からないし、何故いきなりきたのかも分からない。自分たちはそんな情報を交わす仲ではないはずだ。
 心底解らないという顔をした新藤に、大知はキョトンと驚いた顔をしてみせる。どうやら意外だったらしい。

「なんだ、まだ気付いてないんだ?」
 大知はにやっとして携帯を取り出して画面を見せてくる。

「ほら、新藤さんの個人情報。入手先は新藤さんの携帯やら荷物から」
 そうあっけらかんとして言ってきたのだ。

「……な、なんだって……」
 いつの間にそんなことをと呆気にとられていると大知がネタバレをしてくれる。

「新藤さん、荷物にしっかり会社の名刺入れてるんだもんな。それに携帯にはご丁寧に自分の家の住所まで入れているし、それ落としたら大変だよ?」
 にやっとして大知が言った。確かに荷物には会社の名刺は入っている。それは財布に入れてあるもので、名刺が切れた時のために入れていたものだ。携帯の住所はここに引っ越した時になかなか住所が覚えられなくて入れたままにしてあったものである。

 まさかそんなものを漁られているとは思わず、新藤は呆れてしまった。

「……なんだってそんなことを」
 好奇心にしては根こそぎやってる。犯罪レベルだ。

「新藤さん気付いてないみたいだから言うけど、会社にも何度も行ったし、帰宅する新藤さんの後もつけたこともある。携帯の番号だって知ってるから何度もかけようと思ったけど、新藤さん、会社にいる時は忙しそうだし、家に帰ったら一時間以内にすぐ寝てるようだったから邪魔したらさすがに悪いかと思ってかけてなかっただけ。ちなみに携帯のGPSを起動させておいたんで、新藤さんがどこにいるのかいつでも知ってる。新藤さんのことなんでも知りたいからやった。反省はしてない」
 本当に反省はしていないふうにいわれて、新藤はがっくりと肩を落とす。とても素敵なストーカーだった。
 しかし本題はそこではなかった。

「新藤さん、俺ともう会わないとかそんなふざけたこと言ったんだって?」
 真正面から顔を見られてそう言われた。どうやら小汰が大知に連絡をしてしまったらしい。それでここにきたわけだ。

「もう、会うつもりはなかったよ」
 本音だったのでそう告げた。ここで終わらせておけば後が楽だ。

「なんでだよ」
 大知は納得が出来ずに噛みついてくる。

「もう、辛いからだ。終わりにしたい」
 新藤は大知をしっかり見つめてそう言っていた。
 すると大知は新藤をソファに押し倒してのしかかってきた。それと同時に新藤の服がどんどん脱がされていく。

「や、やめろ! 大知!」
 シャツのボタンが激しく飛ぶ。そのまま押さえつけられてシャツで腕を縛られてしまった。

「外せよ! 大知!」
 馬乗りになられて身動きがとれないうえに腕まで使えないのでは逃げることすらできない。しかもここは新藤の家だ。逃げ出す先がないではないか。
 大知はその言葉を無視して新藤に首筋に噛みついた。

「あ……っ」
 そこはいつも大知が噛みついてきて痕を残してしまう場所だ。だからそれだけで身体が反応してしまうのは条件反射なようなものだ。

「やめろって……もう、こういうのはしたくないんだ!」
 新藤がそう叫ぶと、大知は新藤の顎を掴んで口を開かせるとキスをしてくる。

「ん……んんっ」
 まるで黙らせるようなそんな感じだったから、新藤は段々悲しくなってきてしまった。やはり大知は身体目当てだったようだ。いきなり関係を切られそうになってキレたのだろう。もっと上手く離れるつもりだったのに織田も小汰も余計なことをしてくれたもんだと心の中で恨んでいた。

 けれどやめてほしいと、もうやめたいとはっきり言ったのに、大知は人の言うことなど聞いてはくれない。そんな態度が解ってきて、すーっと自然に涙が溢れてきて頬を伝った。
 さっきまで泣いていたから、涙腺が崩壊していたのだろう。
 するとそれに気付いた大知が声を荒げて言った。

「一体何がしたいんだよ! 俺を散々振り回して、それで飽きたから捨てるっていうのかよ!」
 そういきなり怒鳴られて、新藤はぽかんとした。
  何を言っているんだこいつは……捨てるのは自分じゃないだろうと。
 新藤には大知が何を言っているのかさっぱり分からなかった。