Honey-表-4たまらなく逢いたい

「今日はありがとう」
 織田がそう言って車を止める。駅近くまで送ってもらって小汰(しょうた)が車から降りようとすると小汰が礼を言うより早く織田がそう言ってきた。

「いえ、俺こそありがとうございました。楽しかったです」
 小汰がそう言うと、織田が小汰を抱きしめる。

「織田さん?」
「うん、今日も小汰を堪能した」
 そう笑って言うのだ。この人は本当に自分といるのが好きなのだなと思うと、どうしても気になってしまう。小汰の心も今日の出来事で随分織田に傾いたと思う。そう思って恥ずかしいのだが小汰は織田の頬にちゅっとキスをしていた。

「……え?」
 小汰からそういうことをされるとは思ってなかったらしい織田は拍子抜けしたような声を出して固まった。
 その隙に小汰は織田の腕を抜け出して車を降りる。そしてドアを閉める前ににっこりと笑って言うのだ。

「また夕飯誘ってくださいね。じゃおやすみなさい」
 そう言うとドアを閉めてさっさと自宅の方へ歩き出す。
 なかなか車の音がしなくて角を曲がる前に見ると、織田の車に誰かが近づいて窓を開けて話している。

 なんだろうと角を曲がって隠れて見ていると、どうやら知り合いらしく相手は親しげに話している。とても綺麗な男の人だ。見た目も小汰とは違い、背も高くスラリとしていて織田と並ぶと似合いのカップルに見える。小汰なんかよりも絶対に織田に合っている人だ。

 暫くして織田が車を降りる。織田が何かを話していてその人に抱きついていた。
 なにあれ? まるで自分の時と同じような感じになっている。相手は驚いたようにしていたが、すぐに背中を叩いて織田に車に乗るように言う。
 そして織田は車を発進させていたが男の人は歩いて駅へ向かっている。

 小汰は気になってその後を追っていた。改札を入って抜けると、その人の行く先を確認する。どうやら一駅だけのようだ。そして切符を買って電車でばれないように乗り込む。次の駅で降りると、相手はさっさと歩いていく。ここは小汰が一時期通っていた繁華街だったが方角が違った。そっちはいわゆるゲイバーが多くある場所で有名だった。

 その人はある店の裏口に回るとそのまま歩いていく。
 見失わないように進んでいくと、織田が車で先回りしていたようで角を曲がったところに居た。小汰は慌てて隠れて様子を見る。

「興奮は収まったか?」
 相手がそう聞くと織田は嬉しそうな声で言った。

「いや、飲みたいな。乾杯したい」
「まったく織田は何でも一喜一憂だな」

「仕方ないだろ、好きなんだから」
「まったく照れもせずによく言うよ」
 織田の話と相手の話はそれ以上耳には入って来なかった。二人はそのままバーの中に入っていってしまって、声が聞こえなくなってしまったのだ。

 そのバーは小汰も幾度か通ったことがある場所だ。バイトを初めてからは行ってなかったけれど、行きつけといえばここだったような気がする。

 織田との食事がない日などに従兄弟と時々通っていたから中の状況は知っている。いや今はそういうことではないと小汰は考えた。さっきの話はなんだったのか。

 ふと思い出す。織田があんなに挨拶代わりに好きだというのはもしかして本当に挨拶代わりだったのではないだろうかと。最初に小汰が疑っていたように、織田にとっては小汰はただの暇つぶしだったのではないか。

「……きっとそうなんだ。織田さんが好きなのは俺じゃない」
 小汰はそう呟いて、無性に悲しくなった。
 もうこの場には居られないと逃げ出して走った。駅まで走って電車で自宅に戻り、ドアを閉めたら自然に涙が出てきた。
 ぽたりと地面に涙が落ちるのと同時に小汰はその場に座り込んだ。

「……俺、なんて勘違いしてたんだろう」
 すごく惨めになってきて笑いながら泣いて、そして本当に泣き崩れた。
 やっと織田を好きになったと思ったら、それは失恋したということだったのだ。
 なんて結末。辛い辛すぎて胸が痛かった。

 あんなに綺麗な人が傍にいたのに、自分のことを好きになるはずはない。遊びだったのだ。ただの暇つぶし程度のことだ。
 小汰は涙を拭きながら部屋にあがった。何にもしたくない。何にも考えられない。ただ織田の笑顔だけが脳裏に焼き付いていてどうしても消えてくれなかった。


電話が鳴っている。
音は聞こえないけれど、振動が聞こえてくる。

「小汰(しょうた)、うざいんだよ」
小汰の従兄弟である大知(だいち)はそういって寝転がっている小汰を蹴った。ゾンビが行き倒れているような状態で部屋に横たわっていて、あるくたびに気にしていないと余裕で踏んでしまう状態であった。

「なにすんだよ! 蹴ることないだろ!」
蹴られた小汰がそう抗議すると、大知が小汰の携帯を突き出す。

「そんなに好きだったなら、うじうじしてねえーでさっさと告白して玉砕すりゃいいじゃねーか」
従兄弟の大知ははっきりした性格なので、小汰がこういう風に腐っているのが本当に邪魔であった。

「うるさいな。とっくに振られてんのになんでそんなことしなきゃなんないんだよ。ほっといて」
小汰はそういって携帯を受け取ると、ソファに放り投げる。
その携帯はさっきから鳴っている。

「さっきから携帯鳴ってるんだけど、なんで出ないんだよ」
大知は出かける準備をしながらそういう。最近大知はあるところに出入りしていてちょっと夢中になっていることがあって夜はほとんどいない状態だった。それを知っている小汰が家に住み着いてからすでに一週間が経っている。大知は邪魔だと言うのだが、彼のそんな態度はいつものことで、別にそれほど気にしているわけでもない。

「……」
携帯がマナーモードなので震えているが小汰は絶対に出ない。
あれは絶対に織田だから。公衆電話や会社の電話を使って織田はずっと連絡をしてくる。おかげで小汰は自分の携帯を使う暇がない。持っているとずっと織田から鳴っていて、メールも全部織田からなのだ。

「いいから、一度出て、もう会わないとかなんとか言ってやれよ」
そう大知は言うと部屋を出て行った。

「……確かに急に消えたら分からないか……」
小汰は食事に行こうと約束していたから織田が不審がるのも仕方ないかと思った。毎日連絡していたから突然でなくなるのは不自然だろう。
それに小汰が織田に恋人がいることを知っているとは織田も思ってないだろう。急に小汰が消えたとしたら、あの織田のことだ。遊びだと思っていてもさすがに心配になるかもしれない。

「……もういいんだけどな、織田さん」
一週間何度も連絡をくれていた織田。何も言わずにいる小汰。
これでは終わりが見えないと小汰は思う。
だから決着を付けてしまえばいいのだ。そしたらこの苦しいのから逃れられる。

小汰は仕方なく決意を決めると、織田に連絡を取ることにした。ちょうどお昼休みだから時間はちょうどいい。そうして織田に電話をかける。すると一回鳴ったくらいで織田がすぐに電話に出た。

『小汰!』
焦った声で織田がそう呼んできた。

「……久しぶりです」
『小汰、無事だったか。何かあったのかと思って驚いたぞ。どうした? 家探して行ってみたけど、ずっと帰ってないみたいだし、どこにいるんだ?』
家は教えていないけれど、大体住んでいるところが解っていれば、探すことは可能であった。織田はそこまでして小汰を探したことになる。
けれど、あの日、すぐに家を出て大知のところに転がり込んだから、織田がここを知ることは出来ない。

「……どこだっていいじゃないですか。それより織田さん。もうこういうのやめましょう。俺、疲れました」
小汰はそういっていた。電話の向こうで織田が息を呑むのを感じる。織田には小汰がいきなり心変わりしたような態度を見せたことが意外だったらしい。いつもの悪ふざけは一切無い、そんな織田は初めてかもしれない。別れると決めたとたん、知らなかった織田の真面目な部分を知ってしまう。少し嬉しかったけれど、辛くもあった。

『小汰、何故だ? あの日はあんなに……』
織田が言葉を続けようとしたのを遮って小汰が言う。

「みたんです。織田さんと抱き合ってる人、綺麗な人でしたね。その人と仲良くしてくださいね。それだけです」
小汰は見たことをそう言ってしまう。

『あれは……小汰違うぞ!』
「言い訳はいいです。もうかけてこないでください。迷惑です。それじゃ今までありがとうございました」
小汰はそういうと、さっと電話を切って放り投げた。

疲れた。織田と話すとやっぱり泣きそうになるし、言葉も出てこない。嫌みばかり言ったかもしれないがちゃんとお礼も言えた。もうこれで関わることはないのだと小汰はそのまま床に座り込んで泣いた。

最近ずっと泣いてばかりいた。大知がいない時は思い出しては泣いていた。一週間泣いて暮らしても涙は枯れてくれない。

涙を袖で拭いてタオルを取り出すと顔を洗いに行く。外はいつの間にか真っ暗になっていた。電気を付けて顔を洗って戻ってくると、家電の方が鳴った。ここは大知の家だから勝手に出るわけにはいかず、留守電に切り替わるのを待つ。すると電話から聞こえてきたのは大知の声だった。

『おい、また携帯放置かよ。小汰、今すぐ出ろ』
大知が何か用事でかけてきたのだとすぐに分かって小汰は電話に出る。

「どうしたの?」
『ああ、ちょっと財布に金が入ってなくてな。ちょっとでいいんで持ってきてくれないか?』
という内容だった。なんとも情けない理由だ。

「ちょっと、財布の中身くらい確認してけよ。で、どこに持って行けばいいの?」
そう尋ねると向こうで何かごそごそやってから大知が言った。

『えっと、前に行ったバーの近くの駅のー、ホテル。Aホテルの405号室にいる。入り口ですぐ済むから頼む。急いできてくれ』

「え? ホテルって……」
『いいから金足りないんだよ、持ってきてくれ。じゃな』
そういうと大知は慌てて電話を切った。

なんだってホテルにいるのだと思いながらも、理由を聞くのも無粋になってきた。大知の目的を知っているだけに、それは目的が叶ってそこへいったということである。そして情けないことにそこで財布にお金が入っていないことを知ったといわけだ。

一応携帯も持って行く。電源を入れてると着信は大知からだけで後は5件は公衆電話からだった。時間は昼の12時半くらいだ。これは織田だなと気付く。あの後、言い訳をしようとして何度もかけてきているのだ。

ふと思い出すだけで泣けてくるから困る。
本当はあんな別れじゃなく、逢いたいんだ。とても逢いたい。
履歴を未練がましく見つめたらまた泣きそうになってぐっとこらえる。

電話番号の織田の名は消せないままだ。
これを未練というならそうなのだろう。
でもきっと消せない。

 その履歴の方を消してから小汰は戸締まりをして部屋を出る。
 電車に乗って二駅で着くと、指定されたホテルに入る。そのホテルは普通のホテルで結構綺麗で大きなところだった。
 上客が泊まるようなところで、何故こんな高いホテルに大知がいるのかさっぱりながらも部屋に向かった。