「初めてだから」-2初めてだから緊張する

 放課後になって天野は慌てた。
 今日いきなり決まった予定はあの塚本の家に行ってCDを借りるということになってしまったからだ。

 塚本とそれほど親しいわけじゃないのにいきなり家にまで招かれてしまうのはなんとなく気恥ずかしい。そう思って頭の中が右往左往していると、友達と話していた塚本が話を終えてやってきた。

「じゃ行こうか」
「あ、はい」
 ちょっと肩を抱かれるように促されて天野は内心どきりとする。
 こんなに塚本に接近したことはない。なんだかいい匂いがするし、触られている肩が妙に熱くて頭の中がパンクしそうだった。
 それでも平静を装ってなんとか塚本に話しかける。

「あ、そういえば、塚本もピアノ音楽とかに興味あったりするの?」
 どうして限定版CDまで持つくらいの興味があるのか知りたかったのもある。あれはマニア向けっぽいと久保が言っていたからだ。

「ああ、うちの親も一応クラシック畑の人だったからね。いろんなところから講師のお願いがきたりして、こういう限定ものは手に入りやすくて、それで一応俺もピアノやってたから聞くのは好きなんだ」
 塚本はそう言って笑っている。

「ピアノやってたんですか?」
「昔はね。天野と同じようにだけど、俺は高校入るのに忙しかったからピアノは趣味程度しか弾けないよ」

「へえ、今でもちょっとはいけるんだ?」
 そう言って天野は羨ましそうに塚本を見る。自分は早々にリタイアしてしまったから。
 すると塚本はにこりとして言う。

「また始めたっていいんじゃない?」
「え、いや、うちにピアノないし、どこかに貸してくれるところあるわけじゃないし。やっぱり環境がないとやれないんですよね」
 家にピアノはなかったが母親が一応ピアノをやっていたお陰で天野はピアノを習っていた。けれど家にないということは練習不足であるし、環境が悪いからちっとも上達しないでいた。

 だから今更やろうと思ったとしても、小さなキーボード買ってというふうにするしかない。だがそれではピアノじゃないのでやる気はまったくしない。

「そっかー、やっぱ周りにピアノないとなかなか再開とはいかないもんだね」
 そう言って簡単にまたやれば?などと軽々しく言ってしまった塚本は反省したようだった。

「あ、いえ。でもどうしてもやりたくなったら安いおじさんたちが通うピアノ塾みたいなところに行ってみてもいいかなとは今さっき思いましたからありがとうございます」
 天野はにっこりとしてお礼を言った。
 何か心に響く言葉をもらってどうしてもお礼を言いたかったのだ。

「いえいえ」
 塚本はそう笑って言う。
 なんて笑顔が綺麗なんだろう。天野はぼーっとしてそう思った。こんな綺麗な笑顔で笑われたら、久保が言っていた言葉が頭を過ぎるではないか。
 本当は惚れているんじゃないか?と。

「次降りるからね」
 電車の中でそういう話をしていたからハッと天野は我に返る。またトリップしていたらしい。恥ずかしくなって俯いてはいと答えるだけになったのは、素っ気なかっただろうか。

 塚本の家は駅から5分のところにあるマンションだった。独身ものが住むようなマンションだから天野は少し首をかしげた。家族で住むにはちょっと狭いのではないかと。

「ああ、そうだ。俺一人暮らしだからこんなところに住んでるんだよ」
 天野の疑問が聞こえたかのように塚本がそう言う。

「あ、そうなんですか。そういえば親はいろんなところで講師って言ってましたよね」
「そうそう。なので俺まで付き合って転校しまくりじゃ受験に困るってことで」
 塚本はそういってマンションのオートロックを外して中に入ってドアを押さえてどうぞとやる。

 部屋は最上階だった。それだけでも値段は高いと思うのだが、どうやら親が勝手に購入したらしく、塚本の意思でここを買ったわけではないそうだ。

 部屋に入ると綺麗な部屋だった。台所も綺麗に片付いていたし、居間はソファとテレビくらいで後は何もない。すると自室に入っていた塚本が着替えて出てきた。私服はジーンズと黒のTシャツなのだがシルエットが綺麗なので似合っている。

「コーヒーでいいか? 冷蔵庫にジュースなんてないんで」
 そういって笑われたので天野は子供扱いされたと思い、ちょっと膨れて文句を言う。

「ジュースいりません、コーヒーでいいです」
「牛乳もないんだが」
 また笑って言われてしまった。どうしても子供扱いをしたいらしい。

「牛乳もいりません」
「砂糖もないんだけど」
 さらに追い打ちをかけられて、とうとう天野は怒ってしまう。

「ブラックでいいです!」
 そう言い返すと、OKと塚本は笑ってコーヒーを入れだした。
 すぐにコーヒーが出てくると、塚本は天野が一旦口につけるのを待ってから言った。

「CDいろいろあるけど、見ていく?」
 どうやらCD類は自室にあるらしい。

「みたいです」
 さっきまでからかわれていたのはすっかり忘れ天野は満面の笑みでそう答えていた。
 その表情に塚本は優しく笑って手を差し出す。なんだろうと天野が首を傾げると塚本がしゃがみ込んで天野の脇に腕を突っ込んだ。

「ちょっと……なんですか!?」
 混乱する天野を余所に軽々と天野を抱えると、塚本は自室へと入っていく。
 そこには勉強机はなく、ベッドとクローゼット、そして本棚が壁一面にあった。その本棚の中に綺麗にCDが並べられている。ディスプレイしたように、表紙を見せたような並びになっていたり、好みや作曲家でちゃんと並べてあったりでとても綺麗な本棚だった。
 天野は自分の家の節操のない本棚を思い浮かべてちょっと感動した。

「すごい……」
「そう? 見てみれば。聞きたいのあったらCDかけてあげるし」
 そういって開いたカーテンの向こうにはオーディオセットがある。どうやらここがオーディオルームらしい。大きなテレビやらが並んでいる。

「え? 向こうのテレビは?」
 思わず庶民的なことを言うと、あっちは人が来た時に使ってる程度だと返された。

 とにかく目当てのCDを見つけて、その後気になるCDもかけてもらって気に入ったのをいくつか借りた。
 久保が持ってないCDもたくさんあって、天野は興奮したように棚をみていた。
 塚本は苦笑して「またおいで、いつでも貸してあげるよ」と言ったくらいに熱心だったようだ。

 そうしてコーヒーをもういっぱいご馳走になって、天野は塚本に駅まで送ってもらって帰宅した。

 塚本の家に居るときは本当に楽しかった。趣味は塚本と合うらしく、天野が気に入ったCDは塚本もお気に入りだったりでなんか話が合いすぎていたと思う。そういう些細なことが嬉しくて天野は上機嫌のままCDを聞いて眠りにつくことができた。