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「那央ー」
藍沢那央(あいざわ なお)が講義が終わって席を立ったことろで、教室に入ってきた我妻摩鈴(あがつま まりん)が呼び止めた。
大抵の人間は、那央のことを藍沢と呼び、那央と呼び捨てにする人間はほんの四人くらいしかいない。なので呼び捨てにされている那央を見るのに何人かが振り返った。
那央は、外見は凄く細身の青年で、髪はのばし放題でもないのだが、長く肩までかかるくらいに伸ばしていて、後ろから見るとスレンダーなボーイッシュの女の子かと思う人は何人もいた。顔も女の子っぽい甘い顔をしていて、大きな目とすっとした顎で、小さな顔をしていて、その中のパーツは綺麗に収まっていて、それを綺麗と表現するのが一番表現しやすい。
そんな那央だが、外見から声をかける人もいるのに、誰ともまともな会話をしようとはしない。
話し下手だと本人は言うのだが、話してくる内容をほとんど理解していなくて、普通の会話が成立したことがないのだという。
そういうものだから、入学して一年もすると、誰も那央と会話しようとする人はいなくなっていった。その中で我妻姉弟と、那央の高校からの親友だという寺崎大雅(てらざき たいが)だけが今や那央の友達だと認識されている。
那央と大雅はどちらも無口なタイプであるから、二人で居ると大抵黙っていることが多く、その中に女の子が突撃したりもしたが、会話が継続せず、脱落者が何人も出た。
そのうち、那央と大雅が出来ているという噂も出たりしたが、本人たちは慣れているのか完全に無視。そのうちの一人だった摩鈴が突撃して、本人たちから「あり得ないから笑えもしない」と答えをもらったところで話すのが大好きな摩鈴となら会話が成立することが分かり、それからは摩鈴が二人を気に入ってしまい、そのまま双子の弟の海都(かいと)を巻き込んで四人で行動することが多くなった。
押しが強い摩鈴の言うことは大抵なら那央が聞くものだから、周りも那央にお願いする時は、摩鈴を通すという流れになっている。
今日もその流れでの用事だったようだ。
「どうしたの?」
那央が摩鈴にそういうと、摩鈴は那央を見つめて言うのである。
「今日も可愛いね、那央。さっそくなんだけれど、またノートコピーさせてってうちの連中がさ」
最初の挨拶はいつものことで、那央はまったく無視してしまう。
摩鈴は本当にそう思っているからいっているのだが、本人は自分の顔を可愛いとは思えないのだそうだ。
「うん、お昼過ぎまでなら居るから」
「学食? 一緒するね」
「学食でいいの?」
那央は今日の分のノートを出して渡す。すると摩鈴の後ろにいた連中が那央のノートを開いて感激の声を漏らす。
那央のノートは一年の時から評判で、そのコピーする機会を待ちに待った人たちで予約はいっぱいだ。
おかげで那央はノートを二冊持っていて、一個はコピーの貸し出しにして、一個は自分の勉強用にと取ってある。
用心深い大雅がそういうノートの取り方をしていたのを真似ただけなのだが、案外便利で助かっている。ノートが一回相手が置き引きでバッグを盗まれて帰ってこなかったこともあったので、用心にとしているが、ノートが二冊あることは大雅くらいしか知らない。
「いいよ、那央のノート返してもらわないといけないしね。今日の責任者は、鈴木君です。鈴木責任もってノートを那央のところまで持ってくること。食堂のカフェにいると思うから」
那央のノートは一度なくなってからは即日返還が決まりで、摩鈴が誰がノートを責任持って扱うかまで決められている。
その摩鈴ですら、ノートはいつも那央頼みだったりする。
「次、あたしね。この間、緊急で休んだじゃん、あれでノートとんじゃってさ」
綺麗にノートを書きたい摩鈴は、家の用事などで休んだ後のノートは何故か取らない主義だ。綺麗に書いてきたものが崩れるのが許せないという、なんとも身勝手な理由であるが、綺麗にノートを取る那央にはなんとなく分かる気がするのだ。
「うん、摩鈴がそういうと思ったからもうコピーしておいた」
那央はそういってコピーした自分のノート分を出して摩鈴に差し出す。すると摩鈴が感激したように那央に抱きつく。
「那央、大好き、もう大好きすぎて食べちゃいたい」
よく分からない感激だ。
その摩鈴に食事を一緒にする予定だった寺崎大雅がつっこむようにノートで叩く。
「来てみれば変態魔女、食うとかいうな」
「大雅、叩くことはないと思うよ」
大雅が叩くのはいつものことだが、叩かれる摩鈴を那央が庇うのもいつものことだ。
「大雅なんか嫌いだ」
摩鈴がそう言うと、大雅は眉を片方だけ綺麗に上げて摩鈴を見下ろす。
「結構。次からは那央直伝コピーはなしな」
「えええーーーーー」
「那央もコピーくらいは摩鈴自身にやらせろ」
呆れたように大雅は言って、那央にノートを渡す。
「なによ、自分もノート借りてるじゃん」
「俺はコピーはしてないぞ。今日の一限目に用事で間に合わなかったからさっきの休みに写しただけだぞ」
大雅は大抵の講義には出ているけれど、よほどじゃない限りは遅刻はしない。
「うう……」
悔しがる摩鈴は那央からもらったコピーを眺めて、気分をあげる。
「やっぱ字が綺麗だとノートが美しいんだよねー」
と和んでいる。那央のノートが人気なのは字が綺麗というところにも原因がある。
「今日は学食か?」
「うん、そう」
「じゃ俺も一緒しよう」
「バイトは?」
「そのバイトを徹夜で朝までやったから遅れた」
「寝てないの?」
「寝てないな。飯食ったら寝るなこりゃ」
「俺の部屋使っていいよ。俺、五時限目もあるし」
那央がそう誘うと、大雅はにっとした。
「ははあ、さては冷凍ストック切れたな」
「うんそう」
素直に那央は自分の出来なかったことを認める。
ここ最近、買い物に出るのを忘れていて、冷凍ストックを使っていたのだが、そのストックを作ってくれるのが、コックのバイトをしている大雅なのだ。
那央(なお)の一人暮らしは悲惨なもので、買い物というとコンビニ弁当だったり、栄養補給剤だったりで見れたものではない。
作れば作れるのだが、本人が食べるのが面倒だという妙な癖があるために食事を簡単に済ませてしまうからこうなっている。
それを見かねた大雅(たいが)がレンジでチンして混ぜたりするだけで簡単に食べられるものをストックしてくれていた。
その食べられなる原因が、半年前から始まっていて、本人は気にしてなかったのだろうが、大雅や摩鈴(まりん)が気づき、食事をなるべく一緒にするようにしていた。
最近ではなんとか自分で冷凍ものでも食べようという気があるだけマシになっている。
それも仕方がないだろう、大学に入ってからずっと気にしてきた母親が病気だったことを知らされていなく、亡くなったことだけ伝えられたのだから。
そこから那央は立ち直ってきている。
衝撃は凄かったのだが、何故か葬式から帰ってきてからは、少しマシな顔をしていた。
食事だけ取れば健康そのものなので、食べさせることだけ注意していれば問題はないらしい。元々が小食なので食事はどうしても体に影響が出てしまう。
「よし、いろいろ作ってやるから、ベッド貸せ」
「うん、ありがとう」
那央がにっこりと微笑むと、大雅も笑う。
周りはこれには慣れている、けれど鍵のやりとりがないのが不思議だったらしい。
「……ここで鍵のやりとりがないのは何故?」
摩鈴が怪しがって言うと、大雅は何でもないように言う。
「大家が開けてくれるからな。こいつの生活は大家からしても心配なんだそうだ」
フレンドリーな大家は那央を孫のように可愛がっていて、食生活を心配しているのだそうだ。
「ああ、なるほど。那央ちゃんは大家さんにも心配されるような食生活を送っているとねー」
「摩鈴、なんで福岡の人になってるの?」
「喋ってると移るのよねー。んじゃ、食堂行きますか」
「海都が先に行って席取ってるぜ」
準備万端だっらしく海都が先に席取りをしてくれていた。