Complicated-7

 杞紗(きさ)は結局、次の日学校を休んだ。
 体調は悪くなかったが、貴緒(きお)が無理矢理休ませたのである。

 引っ越しに転校、様々な疲労が溜まっていたから風邪を引いたのだと言われてしまったからだ。

 杞紗も素直に休む事にした。
 少し身体がだるいのもあったからだ。

 1人で眠っていると、時間はあっという間に過ぎて行く。

「杞紗。まだ寝てるのか」
 学校が終わって帰って来た貴緒が部屋に顔を見せた。
 その時、杞紗はちょうど眠っていた。

「杞紗……」
 ベッドの端に座って、貴緒は杞紗の体温を調べる。

 額に手をやると、まだ少し暖かい。

 キッチンに用意していた風邪薬は飲んでいるから、大丈夫だと思うが、貴緒は気になって仕方なかった。

 今日も本当は学校へは行きたくなかった。
 杞紗が心配だから側にいたかったのに、杞紗は脅して来たのである。

「貴緒が学校に行かないなら、俺が学校に行く」
 なんとも妙な脅しである。

 さすがに杞紗にこう言われてしまっては、貴緒もいうことを聞くしかなかった。
 杞紗はこうすると言った事は実行するからである。

 杞紗が学校へ行っているのに自分が家にいるのは変である。

 その変な脅しに、貴緒は解ったと頷いて学校へ行ったのであった。
 帰りは、ホームルームを無視してさっさと帰って来たが、杞紗に気付かれないだろう。

 今日は佐伯も現れず、見舞いにも来なかったようで助かったというところだろうか。

「ん……」
 杞紗が寝返りをうった。

 気持ち良さそうに眠っているので、貴緒は安堵した。
 杞紗の顔を覗き込んで、頬に触れる。

 昨日、いきなりキスしたいと言い出し、杞紗に驚かれてしまったのだが、杞紗も頭の中はごちゃごちゃになっていたからなのか、キスをしてくれた。

 それは素直に嬉しかった。
 でも自分からもう一度キスしたのは失敗だったかもしれないと思った。

 本気のキスだった。

 欲情は抑えられず、佐伯に影響されてしまったのか、この杞紗を誰にも渡さないと思った事が行動に出てしまった。
 早まったと思ったのだが抑えられなかった。

 でも杞紗は抵抗しなかった。
 受け入れてくれた。それが嬉しかった。

 杞紗のパジャマを触ると、汗を書いているのか少し濡れていた。
 貴緒は起き上がって、杞紗のパジャマと下着を探した。

 寝ている杞紗を起こそうとしたが、ぐっすりと眠っているので杞紗は起きなかった。

 仕方ないのでそのまま着替えをさせた。
 しっとりとした肌をタオルで拭いた。

 その後を素手で触ってみた。
 ゆっくりと撫でて、感触を確かめる。

「ん……」
 くすぐったいのか、杞紗が身体を動かす。

「杞紗……」
 貴緒は、杞紗の鎖骨に唇を付けて、キスマークを残した。

 杞紗は自分のものだという印。

 本当は抱いてしまいたい衝動にかられていたが、そこはなんとか抑えて、服を着せた。
 着せ替えが終わったところで、何か異変を感じたのか、杞紗が目を覚ました。

「……ん? あれ~貴緒?」

「よく寝てたな」

「う……ん、なんか眠くて。学校終わったのか……」

「ああ、終わったからここにいる」

「そっか」

 ふうっと杞紗は溜息を吐いた。
 貴緒はそんな杞紗の頭を撫でていた。

「疲れてるなら、もう少し寝てていいぞ」

「ううん、起きる。寝過ぎたかも」
 杞紗はそう言って起き上がった。

 その時になって初めてパジャマが変わっている事に気が付いた。

「あれ、パジャマが……」

「今、着替えさせた。汗かいてたから」

「うわ……俺、それにも気が付かず寝てたんだ」
 着替えさせて貰っている間も寝てたという事に、杞紗は驚いていた。

「一応起こしたけど、気持ち良さそうに寝てたから起こさなかったんだ」
 貴緒はそう言って、立ち上がって杞紗のパジャマを持って部屋を出た。

 杞紗も起き上がって、一緒に部屋を出る。
 リビングに降りていって、一緒にくつろぐ事にした。

 TVを付けてみていると、洗濯をセットしてきた貴緒が着替えて降りて来た。

「杞紗、上に羽織ってろよ」
 パジャマのままの杞紗に、貴緒はカーディガンを持ってきた。

「あ、うん」 
 差し出されたカーディガンを羽織る杞紗。

 ここまで気を使って貰えると嬉しい杞紗であった。
 隣に来た貴緒が座って、杞紗はそのももに頭を乗せた。

「杞紗?」
 どうしたんだろうと貴緒が不思議そうな顔をする。

「えへへ」
 杞紗は笑って膝におさまっている。
 何か機嫌が良さそうなので、貴緒はそれ以上聞かなかった。


 翌日には、杞紗の風邪もよくなって、学校へいけるようになっていた。
 朝、家を出ると、杞紗は学校に行きたく無くなってしまった。

 そう、あの佐伯(さえき)が門の前に立っているのである。

 そりゃ回れ右をしたくなるものだ。

「杞紗君、もう風邪はいいのかい」

「え、はい、どうも……」

「佐伯! てめー!」

「やあ、弟君も朝から元気だね!」
 貴緒が怒鳴る声と同じ大きさで挨拶をする佐伯である。

「あの佐伯さん、話があるんです」
 杞紗は覚悟を決めてそう言った。

「杞紗君」

「杞紗?」
 二人は驚いた。

「あの、貴緒、先に行ってくれる?」
 杞紗は貴緒を見上げてそう言った。

 とたんに貴緒の機嫌が悪くなる。

「杞紗何でだ? 俺がいちゃダメなのか?」
 杞紗の事なら、それも佐伯絡みならちゃんと自分も聞きたいのだが、杞紗は邪魔だと言っているのだ。

 それだけで不機嫌になる貴緒。

「ごめんね。佐伯さんにはきちんと話をしておきたいんだ。だから」
 杞紗は申し訳ないと貴緒に言った。

 ちゃんと佐伯とは話をしておかなければならないから。

 貴緒は暫く悩んだ後、解ったと頷いて先に学校に向かって歩き出した。

 それを見送ってから、杞紗は佐伯に向き直った。
 佐伯と一緒に歩きながら杞紗は切り出した。

「佐伯さん、俺、佐伯さんとは付き合えません」

「何故だい?」

「他に好きな人がいるからです」
 杞紗ははっきりと言った。

「それは、あの弟?」
 佐伯はさっきまでのおちゃらけから真剣な口調になっていた。
 杞紗は俯いて歩き続けた。

 貴緒の事が好きなのは確かだった。
 貴緒以外誰かをあれほど好きになる事はないと思う。

 それくらいに思っていた。
 だが、それを佐伯に伝えるのはどうかとも思っていた。

 兄弟で、好き同士など、言える訳無い。
 だから黙っていた。否定も出来なかったから。

 佐伯も黙ったままで歩き続けていた。
 杞紗が否定してこない事を考えていたからだ。

「そうか。否定しないって事はそういう事なんだね。弟が好き。それもいいさ」
 佐伯はそう言っていた。

「君に好きな人がいるなら、仕方ない」
 佐伯は答えない杞紗が返答に困っていると思い、それ以上突っ込んだ事は聞いて来なかった。

 杞紗は、佐伯は見た目とは違い、結構優しい人なのだと思った。

「ごめんなさい」
 杞紗は真剣に謝った。
 本当に謝りたかったからだ。

「いやいいよ。仕方ないと思うしね」
 佐伯はニコニコ笑って手を振った。

「真剣に聞いてくれてありがとう」

「いえこちらこそ」
 杞紗は頭を下げてそう言った。

「次からは友達でいいよな」
「ええ」
 それなら構わない。
 実際、友達は少なかったからそれなら歓迎だ。

 杞紗はしっかりと自分が思っている事を伝えられてすっきりしていた。

「そろそろ弟君と一緒に行ってやったら?」

「え?」

「さっきから前方で睨んでいるんだけど」

 佐伯にそう言われて前を見ると、少し先を歩いている貴緒が、後ろを何度も振り返り、佐伯を睨んでいるのである。

 それは怖いくらいに真剣であり、何かあったらすぐにでもかけ戻ってくるぞという脅しでもあった。

「貴緒ってば……」

「じゃ、俺が先にいくね。今日はありがとう」
 佐伯はそう言うと、さっさと走り出した。

 その時、貴緒の側を通り過ぎたが何も言わなかったようだった。
 1人になった杞紗の元に貴緒が戻って来た。

「話って何だったんだ?」
 貴緒は話の内容が聴こえてなかったので、心配で仕方なかったようだった。

「佐伯さんにお付き合い出来ませんってお断りしたんだ」
 杞紗は笑ってそう説明した。

「そんなの始終言ってたじゃないか」

「だから、改めてちゃんと言った方がいいと思ったんだよ」

「で、どうなったんだ?」

「納得してくれたよ」

「そうなのか?」

 あのしつこかった佐伯が納得したとは思わなかった。
 何か決定的な事を杞紗が言ったのではないかと疑った。

「本当にそれだけで納得したのか?」

「だって俺には貴緒がいるからね」
 杞紗はクスクス笑ってそう説明するだけだった。

 俺がいるから佐伯は諦めた?

 杞紗が言っているのはそう言う事なのだが、いまいちそれでは納得出来ない話だ。

 今までだって貴緒はずっと杞紗の側にいた。
 それでも佐伯は構わないという風に付き合って来ている。それが今更貴緒がいるからというだけで納得したとは思えないのである。

 だが、杞紗はそれ以上何も語ろうとはしなかった。

「いいの。佐伯さんと友達になったんだしさ」
 杞紗がこんな事を言い出したので、貴緒は目を大きく見開いた。

「あの佐伯と友達になる約束したのか?!」
 信じられないという風に叫んでしまう貴緒。

「佐伯さん、イイ人だよ」
 杞紗はニコリと笑ってそう言った。

 イイ人だと?貴緒は信じられなかった。

 とにかくいきなり始まった佐伯の告白の件は全て片付いたことになったので、これはこれでよしとするしかなかった貴緒であった。




 学校へ行くと、何故か教室では興味津々のクラスメイトが待っていた。
 問題の杞紗が風邪で休んだ日何かあったらしい。

 そんな事を知らない杞紗は首を傾げながらも貴緒を送りだした。
 そこへ堤がやってきた。

「お前、佐伯をフッたんだって?」
 ニヤニヤしながらそう言われて杞紗は驚いてしまう。

「え? なんで知ってるの!?」

「やっぱりそうだったんだ」

「何がそうだったって、どういう事?」
 杞紗は堤に詰め寄った。

 どうして杞紗が佐伯をフッた事を、もう堤が知っているのだろうかと不思議だったからだ。

「佐伯が自分で言いふらしてた」

「はあ??」
 何故ふられた佐伯が自分でふられた事を言い回っているのかが謎だ。

「明るく、ふられたんだ~とか言ってたらしいぞ」

「なんで、うちの教室でそれが広まってる訳?」

 佐伯さん、あなた一体何を考えているんですか?
 そう言いたくなる瞬間である。

「聞かれたから答えたんだろ。うちのクラス、暇人多いしねえ~」

「なんでもうそうなるわけ……」
 杞紗は頭を抱えて唸ってしまった。

「それに弟が佐伯を撃退したな~んて噂も立ったりしてな」

「もう……」
 言葉も出ないとはこの事である。

 だが、その佐伯事件の後、クラスメイトが何故か杞紗に話し掛けてくるようになったのは事実だった。

 意外に杞紗が気さくで、話し易いというのも重なって、クラスメイトとも上手く行くようになっていたのである。


 しかし、杞紗には悩みがあった。

 実の弟が好き。
 それは認める。

 だが、それが恋愛感情なのかが解らないのである。

 大切ではあるし、一緒にいるのは楽しい。
 一緒にいることは苦痛ではない。

 家でも大抵二人きりなのに、学校でも同じでも別に苦痛でもなんでもないのである。

 だがそれが恋愛となると、兄弟だからというだけで歯止めがかかってしまうのである。



 次の日も杞紗は変わらない態度を貴緒に取っていた。
 弟だからというのを意識しながら。

 そこへ佐伯と偶然廊下で鉢合わせた。

「あ、佐伯さん、こんにちは」
 杞紗の方が先に気が付いて挨拶をした。
 佐伯はまったく気まずさを感じずに挨拶を返してくれた。

「杞紗君元気そうだね」

「ええまあ」
 頭を掻きながら杞紗は笑って答える。

「ちょっといいかな?」
 佐伯がそう言い出した。

「何ですか?」
 すると佐伯は小さな声で杞紗に聞いた。

「弟さんには告白したのかい?」
 いきなり確信をついた事を言われて、杞紗はどきりとした。

「あ、あの、それは……」
 顔を真っ赤にして杞紗はうろたえた。

 それはしないつもりで秘密にしておくつもりだった。

「まだしてないんだ。でもさ、俺が見る限りでは弟さんも思ってるようにしか見えないんだけど」

「でも貴緒は優しいからそうしてくれているだけで」
 杞紗はそう答えた。

 兄弟で、兄離れ出来てないだけの貴緒だと思っていたからだ。

「でもそれって違うと思うけど」
 端で見ていた佐伯の方が貴緒の気持ちを解っている。
あの弟は兄を恋愛感情で見ている。それは杞紗にちょっかいを出した時から解っている事だった。

 ただ杞紗の方はそれはただの兄離れが出来ないだけだと思っているようだった。

「じゃあ、このままでいるつもりなのか? それっておかしいぞ」
 佐伯は杞紗の事を思ってそう言っていた。
 でも杞紗は貴緒に気持ちを打ち明ける事が中々出来なかった。

 もし告白したら何が起こるのか。

 それが怖かったからである。