Blue on pink-2

 越智千雅(おち ちか)の運命は緒方遼介(おがた りょうすけ)に出会った時に変わった。そう千雅が感じるのは、警察署を出た後のことだった。
 昨日、紹介してもらった神(かなえ)弁護士は、かなり優秀だった。
 叔父に脅迫され人身売買をしたとまで言われ、誘拐されそうになったことなのだが、普通に訴えても警察は動いてくれないのだという。まず叔父という身内の問題に口を挟みたくないのが警察である。だが今回弁護士を挟んだことで、かなり重要に扱って貰えた。
 お前を買っただの言って偽の弁護士を使っての誘拐だ。弁護士である神(かなえ)の力もあり、詐欺と誘拐未遂という事件として扱って貰えることになった。
 叔父や折原という人間を探してくれるらしい上に、何かあればと担当刑事直通の電話番号を貰った。自宅付近を重点的にパトロールもしてもらえるという。地元の交番にも連絡を付けてくれて、助けを求めやすい形を作ってくれた。
「かなり好印象でしたね。よかった」
 神(かなえ)がそう言って、手応えはあったと言ってくれた。


 越智千雅の事件の詳細はこうだ。
 まず、母親が半年前に病気で死んだ。
 体の変調を隠し、騙し騙ししてきた結果、末期癌であった。
 一ヶ月という宣告されたが、結果は二ヶ月生きた。
 なんとか生前にできる後始末をしていったのだが、本人の預かり知らぬところで問題が起こっていた。
 なんと、父親らしい人間が母親の生命保険をかけていたのだという。母親本人もすっかり忘れていただろうが、相手は毎月支払いをしていて、さらには母親が亡くなったことも知っていた。
 どうやら近くにいて、こっちの動向は全て調べているようだった。
 所謂、いいところの家の落とし胤(たね)だった千雅の所在をはっきりとさせておきたかったのだろう。戯れにかけた生命保険は受け取りが千雅に変更されていた。父親は情けをかけてくれたらしい。
 最初は受け取らないと言ったのだが、問題が生じた。
 母親の入院など検査などでかかった費用が、貯金を食いつぶしていた。働けなかった分の生活費などもかかっていたから、少ない貯金などあっという間になくなる。それでも当面の家賃などはあるが、それは千雅の大学卒業までしかない。今すぐ就職をしなければ、一気に窮地に陥る。
 それが弁護士には分かっていたらしく、経済状況を把握されていて、すぐに就職を探すのは好ましくない上に大学を卒業できるのにしないのは駄目だと諭され、更にそれまでの援助などもしてくれ、結局保険金は受け取るように仕向けられた。今更情けをかけられて悔しいが、それでも生きるためには仕方ない。
 今更父親の義務としてやったことだと思えば、窮地は救ってくれたから、まあいいかと思えてきた。それ以上の繋がりは今まで通りないのだからだ。
 だがそれが何故か母親の弟である久松和宏(ひさまつ かずひろ)に漏れてしまった。
近所の人が噂をしたりして広まったであろう噂。保険金ががっぽりだの、弁護士が来ていただのと話を総合しての予想は当たっていた。
 久松は、越智という名前で詐欺を働いたり、罪を犯しては刑務所へ行ったり来たりを繰り返している。だからなのか、結婚する時は妻の名字を名乗る。ブラックリストに載っている名前を避けるためにそうしているのだろう。だから結婚しては詐欺を働き、刑務所に行っては離婚、また出所して結婚と繰り返している。家に尋ねてくるごとに名字が変わっていて、姉である母親ですら弟を疎ましく思っていて、毎回無理矢理追い返していた。
 叔父が母親似しつこく金をせびっていたのは、母子家庭に金があるわけないといよりは、どこかの裕福な男の愛人だったことがある母親を知っていて、それで金の無心にきていたようだった。母親はそれが分かっていたため、父親らしい人間には連絡すらしないで生きてきた。最後の最後までそうしてきた。
 そこまでして避けていたのだが、叔父はとうとうその存在が接触してきたことを知ったのだ。
 だが叔父に相続の権利がないことは、自分でも調べ、更に弁護士から聞いていたため、それを告げると家捜しをして行ったほど執着した。さすがに誰もいない自宅に書類などを置くのは危険だと言われて、その時の弁護士に銀行の貸金庫を借りてもらっていた。これも弁護士の入れ知恵なのだが、弁護士の予想は当たっていた。
 家捜ししても貯金通帳など重要な書類は何もなかったわけである。叔父は暴言を吐いていったんは引き下がった。
 ここまで世話になった弁護士に迷惑をかけるのは悪い気がして、連絡は取らないで自分で叔父を何とか追い出してみたりしていたが、それでも諦め切れない叔父は何度も何度も千雅の周りをうろついて、生活の邪魔を始めた。
 さすがに大学にまでは来られないけれど、おかしな親族がまとわりついていると噂になり、友人たちは千雅からすぐに離れていった。
 なんとか卒業までの単位を揃え、論文を提出し合格を貰ったところで大学にはいかなくなったので被害は最小限となった。
 その後、引っ越しをした。
 近所の人に不審人物が叔父であることがバレ、子供たちの通学路をうろついていることで地域から出ていくように言われたのだ。
 仕方がないので、弁護士にお願いをして保証人になってもらい、オートロックがついているマンション、この繁華街の近くに引っ越したのだが、叔父はそこにも現れていた。
 さすがにオートロックをくぐり抜け、監視カメラがある廊下をうろついて警察に通報されるのを警戒したのか、家にまではやってきていない。近所をうろついているようだが、あまり外出をしない千雅とは鉢合わせていない。
 だが偽の弁護士に騙されて家を出た。
 それが緒方と出会った時に起こった事件だ。
 緒方はその弁護士に頼むことはできないのかと聞いたが、書類作成や財産などの方面での活動をしている弁護士で、いわゆる畑違いだから別の弁護士が必要になると言われたと千雅は言う。だがその支払代金となると、千雅にはまだ余裕がなかった。生命保険はまだ振り込まれておらず、余裕がなかった。
「代金は後払いでもいいんですよ」
 神(かなえ)がそう言ってくれる。
「何なら緒方さんから立て替えてもらってもいいわけです。この人がお節介をしたんだから」
 神(かなえ)の言葉に緒方は。
「まあ、そうだよな。俺が一旦お前に払って、それから千雅くんが毎月少額を持ってきてくれたらいいよ。うん、それがいい」
 そう言うと、二人は千雅の意見を無視して二人でその誓約書を作ってしまう。この行為自体怪しいのだが、作った書面をすべて解説してくれ、分からないことには答えてもらってから千雅は署名をした。千雅にも法律関係の知識は多少なりともあり、話し合いはスムーズだった。
 生命保険が振り込まれれば、生活を圧迫することなく払える金額が見積もりとして出されていたので、千雅はそれらを超えないようにと願った。
「とりあえず、警察へ行って相談したという実績を作っておこう。それで何かあれば警察も動きやすくなる」
 緒方がそう言うので、翌日千雅は神(かなえ)に連れられて警察署で被害届を出した。
 神(かなえ)は、昨日聞いた話を総合した書類などを用意し、久松が犯罪の常習犯であり、千雅の近所を徘徊し遺産を手にするためには最悪殺しまでやりそうな男であることを訴え、怪しげな男に勝手に人身売買を成立させ誘拐を推奨した人間だと熱弁してくれて、刑事もさすがに実際に誘拐されそうになり弁護士に助けを求めた人間の証言を無碍(むげ)にはできなかった。
 身内の犯罪者に迷惑をかけられ、身の置き所すらないという青年の困り果てている姿は、刑事もさすがに哀れに思えたのだろう。親身になって相談に乗ってくれたというわけだ。


「ありがとうございました」
 駅で神(かなえ)に礼を言って別れた。
 神(かなえ)の弁護士事務所は、繁華街の外れにある。始平堂(しへいどう)弁護士事務所に所属している弁護士なのだという。基本的に緒方の経営会社の法律関係を担当しているが、小さな事件も担当することもある。始平堂弁護士事務所のエースだという。
 始平堂(しへいどう)弁護士という裏社会を知り尽くした弁護士の事務所で、そこから千雅のところに通ってきていた弁護士にも話が付いたのだという。
 やはりその弁護士は刑事事件の扱いには慣れてないことや、久松の問題に首を突っ込みたくないのか、神(かなえ)に任せると言ったらしい。
「多分叔父は俺がその弁護士に泣きついて、父親から何か得られるかもしれないと考えていたんだと思うから」
 千雅がそう言うと、それには緒方も頷いたほどだ。
 弁護士は知っているけれど、父親に迷惑がかかるのは嫌だと思って、どうしようもなくなり、更に人身売買されて誘拐されそうになった現実で、昨日はパニックになっていた。
 駅の改札を抜けると、駅前の喫茶店から緒方が出てきた。
「緒方さん」
「帰ってきた、どうだった?」
 どうやら緒方は付いていきたいのを我慢して、最寄り駅で出待ちをしていたようだ。すぐに駆け寄ってきて警察のことを聞く。
「はい、神(かなえ)さんの言う通りにしました。事件として扱ってくれるそうです。さすがに誘拐と人身売買のことは、身内とはいえ、なあなあですませてはいけないと……叔父の前科がかなりあったのもあって」
 それを聞いて緒方は頷く。
「犯罪犯す人って、反省しない人はどんどん悪化する傾向があるからね」
 それを知っている警察がこれを放置することはできない。更に他人迷惑がかかっており、前の家では通学路でのうろつきで通報されてもいた。
 ストーカーになっている部分も問題である。
 ただ一つだけ問題があった。
「マトリ? 麻薬取り締まりのあれ? ああそっちの捜査に引っかかってるわけか」
「神(かなえ)さんが言うには、それであまり手を出したくないのかなって。だから弁護士なしだったらきっと、門前払いされてたかもって」
「危なかったね」
 緒方がホッとしたように言う。
「おかげで警察も近所を巡回してくれるし、叔父を事情聴取するのにまだ任意だけど、出頭を呼びかけると言ってたし」
「さすがに逮捕するには、人身売買の証拠が必要か」
 緒方はそう言う。
 そうなのだ。誘拐未遂で逮捕するにも容疑が弱く、不起訴釈放される可能性が高い。なので警察は人身売買の方の証拠があれば、逮捕可能であるという。それに付随した誘拐であれば、流れでそうなるのだから証明は鉢合わせた緒方が証明してくれるのでありだという。
「警察も起訴できない事件は、取り扱うのはあまり前向きではないようでしたけど、俺の場合、叔父に前科がたんまりあって、詐欺の手口で人身売買はあり得るという結論からの流れです」
「悲しいかな、叔父の犯罪の数々のお陰でやっと千雅くんの言うことを信じてもらえるなんて」
「……はい」
 被害者の証言よりも、叔父の犯罪履歴の方が信用されたわけだ。こいつならやりそうということで。
「当面のところ、ストーカーの方で接近禁止命令を出して、それに引っかかったところで連行したいと」
「まあ、とりあえずはそれだよな」
 久松の自宅はあっさりと見つかったが、家にはすでに居着いておらず、家にいた女性が吐き捨てるように「新しい女ができたんでしょ」と言って居場所は知らないし、こっちは離婚したいんだからと叫んでいたそうだ。
「そろそろ名字が変わるころってことか」
「そうだと思います」
 千雅はあきれ果てたようではあるが、慣れていたようだった。
何せ会うごとに毎回名字が違ったほどだ。
「重要なことは済んだし、これから千雅くんは暇?」
「あ、はい」
「じゃあ、一緒にご飯して。これからお昼なんだけど、一人じゃさみしいから」
「いいですよ。……あ、お礼もしたいし」
「いえいえ、お金持ちのおじさんに奢らせてください。さすがに金欠の大学生にたかれません」
 緒方はそう言った。
 たしかに会長の地位にある人に何かを奢るとなると、大学生のバイト代では何か違う気がする。
 しかも金欠で泣きついたのは千雅だ。
「だから、落ち込まないで。おじさんに付き合うのがお礼だと思って」
 緒方はそう笑って言う。どうやら世話になってばかりだと落ち込んだ千雅の心を読んで、気を遣ってくれたようだ。
「そういうお礼なら、いくらでも付き合います」
「そうこなくちゃ」
 緒方はそう言うと、千雅の手を引いて駅に戻った。普段車は使わないという緒方は電車で二駅のところで降り、駅前のホテルに入った。
「最上階にレストランがあるんだけど、景色がいいよ」
 周りにホテル以上の大きな建物がないので、ビルを下に見ることができるのだという。緒方はよくそこへ来るらしく、従業員がさっと来て挨拶をし、決まった席へ案内をしてくれた。
 そこから見える景色は、街が小さなおもちゃみたいに見える。遠くの大きなビルまで見えて、東京は空が広いのだと分かる。こんなところは東京タワーなどにでも上らないと見ない景色だが、千雅はそうしたところに行ったことはなかった。
 初めて見る景色が綺麗で、席に座ってからもずっと外ばかり見ていた。
「気に入った?」
「はいっ!」
 何も言わずにただ見るだけに付き合ってくれた緒方が感想を聞いてきて、千雅は素直に答えた。
「高いところは初めてで、写真なんかで見ることはあったんですが、実際見るとなんか、凄いなって思えて見てて飽きないです」
「よかった」
 ほっとしたように微笑む緒方の笑顔は優しくて、千雅はハッとする。次第に顔が赤くなって、何故か照れた。
 食事はステーキを奢ってくれた。今まで食べてきた肉とは格別に違うものだったため、千雅はモリモリと食べた。それを面白そうに見る緒方の目は優しかった。
「千雅ちゃん、見た目とは違ってよく食べるんだね。すごく気持ちがいい」
 小さな体で、百六十センチほどしかない千雅は、実は大食漢である。
「実は、食費が人の二倍ほどかかってしまって、あまりに食べ過ぎるから調べたんですけど、消化器系のいわゆる胃や腸で栄養がちゃんと確保されない病気みたいで」
「ああ、なるほど。だからその分食べないといけないわけだ」
 まさか病気だとは思わず緒方が軽率なことを言ったかと顔を暗くしたが、千雅は慌てて笑って言う。
「そこまで重傷ではなくて、人より二倍かかるくらいの軽いものです。食べていれば問題はないので大丈夫です。普通の人と同じですよ」
 千雅がそう言うので、緒方もそこまで重大なものではないのかとホッとしたようだった。だが食べる気がしないと少量食べるだけのことでは千雅にはあまり意味がないほどだ。カロリーがあるブロックのお菓子すらも千雅には栄養補給の重要な食べ物になってしまう。
「でも、今日はお肉が美味しいから」
 本当に美味しいとニコニコとして食べていくので、緒方は本当に奢り甲斐のある子だなと余計に気分が良くなっていく。
 比べたくはないのだが、前の恋人は偏食家で物を食べさせるのには苦労した。その逆で何でもペロリと平らげる見た目とは裏腹な千雅の小さな姿に、更に緒方は興味がわいた。
 元恋人と真逆の人、越智千雅にどんどん惹かれていく緒方だった。