ROLLIN'1-9
「響、身体大丈夫?」
楸のベッドで寝ている響の元へ耀が見舞いにやってきた。
「ああ、ちょっと身体が思うように動かないだけだから、大丈夫だよ」
ベッドに腰を降ろして、響の顔を覗き込んでくる耀。
響の頭を撫でて心配そうに見ている。
何があったのかは耀は聞かない。
響はただ疲れているだけだと答えていた。
家に戻れなかった事は楸が上手く話してくれたらしく、響が心配する様な事は何もなかった。
楸は今日一日ベッドにいる事だと響に言い付けて、仕事だと言い出掛けて行った。
響は本当は起きたかったのだが、身体が思い通りに動かないので、本当に大人しくしていた。
それも朝早くに楸が響を抱いたせいであるのだから仕方ないだろう。本当ならちゃんとしていたかったが思ったよりも身体にはきつかったようだった。
「九猪(くい)がね、ご飯作るけど美味しく無いよ」
耀はそんな愚痴を言う。
「耀さん……それは言わない下さい……俺じゃ響さんには適わないんですから」
九猪は恥ずかしそうにして俯いている。
食べさせるのに苦労したらしい。
それでもご飯を食べて無いと響が聞いたら心配するだろ、という楸の言葉を受けて耀は大人しく食事をしたらしい。
そうして耀と話していると、響は気分が良くなってリビングまで起き出した。
ずっと眠らされていたので起きているほうが心地よかった。
「夕飯は作るから、買い物だけ頼めるかな?」
響は九猪にそう申し出た。
いつもなら材料も揃っているところだが、さっき冷蔵庫を見ると綺麗に食料がなかったのである。
「解りました。何か希望があれば」
「簡単にカレーにでもするから、その材料買ってきてくれるかな」
そう言って買い物リストを作った。
九猪は部下に命じて買い物に出かけさせた。
「カレー、僕も作れる?」
下準備をし始めた響に耀は、そう聞いてきた。
響はにっこり笑って答える。
「ああ、作れるよ。簡単だから手伝うか?」
「うん!やる!」
それだけで耀は大喜びだ。
最近では響の様に料理が上手くなりたいと思い出したらしく、手伝いをするようになったのである。
「ねえねえ、響はパパのモノになったんでしょ」
いきなり耀がそんな事を言い出して、響は飲んだお茶で咽せて返ってしまった。
「だ、だ、誰がそんな事を……」
やっと咳を押さえて響は耀に聞いた。
耀は不思議そうな顔をして響を見て言った。
「パパ」
その解答に響は絶句した。
なんつー事、子供に吹き込んでいるんだ!!と大声で怒鳴りたい気分だ。
「あいつ、何考えてるんだ……。モノになった覚えはないぞ」
ムッとしたままで響は呟いた。
「だって本家にいってきたって。響、パパのモノになったって。パパ嬉しそうに話してたもん。パパのモノになったら、響ずっと一緒にいてくれるようになるから、僕嬉しいんだ」
何がどうなって話がそっちに流れたのか。
響は頭を抱える始末。
耀は素直に喜んでいるから更に始末が悪い。
子供に何をふきこんでいるんだ、あの男は!!
そう響が怒っている相手は、本家相手に喧嘩を売っていた。
もう一度本家に戻った楸は、今後響に手を出さないという契約をしにきていたのである。
誘拐紛いの事までしているので、さすがに許す訳にはいかなかった。
その責任も含めてだ。
更に耀の言葉もある。
はっきりと耀は幹部を許さないと言った。
それが効いたのだろうか、老幹部は大人しく楸が出した条件に納得した。
現組長に後継者からもキツイ言葉が降ってきたとあって、老幹部も響誘拐はやり過ぎたと反省したらしい。
今後、響のことは優遇することで話の決着がついた。
「今後の行動に気を付けて頂きたい。こちらから貴方達を路頭に迷わす事もできるんですから」
楸はそう言って釘を刺した。
それで幹部達は何も言えなかった。
響に手を出すとどうなるか。
それだけを脅迫しにきているのだから、誰も響には手をだそうとは思わなくなったのである。
だが、それは楸の弱点である事も解っていた。
でも、それでも手はだせないと思った。
楸を怒らせるということは、耀をも怒らせることになるからだ。
耀は子供でありながらもヤクザの子供である。
それなりに残忍な事も出来る。
そういうことに関しては天才児なのだ。
それが解っているから余計に手が出ないのである。
「解りました」
そう答えるのがやっとだった。
「響さんのためなら何でもするつもりですか?」
見送りに来ていた犹塚がそう洩らした。
「いや、卑怯なやり方をしたから許せないだけだ。それに耀が怒っているんでね。こうでもしておかないと、あいつが暴走するからだ」
楸はそう答えた。
「次期組長が恐いですか……?」
犹塚は不思議そうに聞いた。耀が暴走するとどうなるか、まだ知らないからだ。
楸はニヤリとして頷いた。
「子供だと侮っていると後で後悔するという事だ。あれでもヤクザの子供だ。やる事はやる」
昨日の響の状態を確認して、耀は完全に怒っていた。
それも今まで見せたことのない怒り。
響は今や耀にとっては必要な人間だ。
それを自分の知らないところで、しかも身内から何かされたと解ったとたん、楸に頼んだのである。
二度とこのような事が起らないようにしなければならないと。その判断はもはや6才の子供ではない。
恐ろしく回る頭でそう言ってきたのだから、楸が動く羽目になったのである。
「肝に命じておきます」
「それがいいだろう」
楸はそう言って車に乗り込んだ。
すぐに車は発進して、犹塚はそれに向かって頭を下げた。
本家を後にした楸は残っている仕事に取り掛かった。
楸が帰宅したのは、午前を回っていた。
着替えようとベッドルームへ入ると、なんとそこで響がまだ寝ているのである。
ずっと寝てたのかと思ったが、キッチンが綺麗になっていたので、たぶん夕食は作って片付けはしただろうと予測は出来たが、まさかベッドを横取りされているとは思わなかった。
「ん……」
明かりが眩しすぎたのか、響が目を覚ました。
「楸?」
眠い目を擦りながら響は起き上がった。
「どうしてここで寝てる?」
不思議そうに聞いてくる楸に響は欠伸をして答えた。
「耀が俺の部屋の鍵をしめたんだ」
「何?」
「だから部屋から閉め出された。眠かったらパパのところで寝てねだって。もう何考えてるんだか……ふわー」
響はもう一度欠伸をして、やっぱ眠いと言ってベッドに潜り込んだ。
危機感が無い。
それに脱力する楸であった。
耀が何を考えているのかは解る。
伴侶となったのだから一緒に過ごすべきだと思って気を利かせたのだろう。
そういうところはまだ幼い可愛い子供である。
風呂に入って着替えを済ませると、ベッドルームに戻り、楸は響の隣に滑り込んだ。
響はもう完全に寝ていて、もう起きてくることはなかった。
そんな響を楸は見つめて、自分の方に引き寄せた。
すると響は寝床を探すように楸の胸に収まってきた。
ここ数日、同じようにして寝ていたので癖になったのだろうか?と楸は不思議に思った。
それでも人の温もりはいいものだった。
楸はそんな至福を味わっていた。
次の日起きると、響は隣にいなかった。
時計を見ると、午前7時になっていた。
着替えて部屋を出ると、ダイニングでは響と耀が朝食をしていた。
「パパおはよう」
耀が真っ先に楸を発見して挨拶をしてきた。
「楸、もう起きたのか?」
響は驚いた顔をして楸を見ていた。
「ああ」
楸が椅子に座ると、響がまずコーヒーをブラックで出した。
「寝床占領して悪かった」
「いや、別に構わん。広いからな」
できれば連日占領して欲しいくらいである。
「今日仕事に出る気か?」
楸は新聞を広げながら響に尋ねた。
響は少し考えてから、やっぱり仕事が溜るから行くと言った。
ここで引き止めて置きたいところだが、響は休む理由が無いと言いそうな気がしたので楸は何も言わなかった。
ご飯を食べ終わったところで、響は慌てて服を着替えに部屋に戻った。
鍵は朝にちゃんと返して貰ったようだ。
それでも耀は何か考えているようだ。
「パパ、いつも響と寝たい?」
響がいなくなったとたん、そんな事を言い出す耀である。
「そりゃそうだな」
少し笑って楸は返した。
「じゃ、響にはパパと一緒に寝て貰うね」
「なんだ、その作戦は?」
新聞を畳んで耀を見る。
耀は牛乳を飲みおえると真剣な顔をして言った。
「だって新婚なのに、別々の部屋で寝るのはおかしいよ」
などと答えが返ってきたのである。
それに吹き出して笑う楸。
「可笑しい?」
「いや、そこまで気を使って貰って嬉しいと思ったんだ」
「じゃ、響の部屋のベッドいらないよね。九猪(くい)に言って片付けて貰うよ」
こういう事には、耀の方が積極的だった。
「ほほう、そりゃありがたい」
楸はニヤリと笑ってしまう。
しかしベッドの件では何も知らなかった響であるが、その日帰ってきて、真っ先に自分の部屋で着替えている時、物凄い違和感を感じたのである。
「あれえ?」
そうベッドが無い。
朝まであったベッドがないのである。
「どういう事?」
部屋を出て九猪に聞いた。
「俺の部屋のベッドがないんだけど」
そう響が聞くと、九猪は正直に答えた。
「これからは組長と同じベッドで寝るのでベッドがいらないと言ってたのは響さんじゃないですか」
キョトンとした顔でそう言われて響は首を傾げた。
「俺、そんな事言ってないんだけど」
意味が解らん……。
響は何度考えても自分がそんな不自然な事を言うはずないと思った。
「え? だって耀さんが……」
そう言われて、響はピーンくるものがあった。
昨日の事もそう。全部耀が仕組んだ事だったのである。
「耀、どうして勝手な事するんだ?」
リビングに入り、まっ先に耀を見つけて、響は怒って聞いた。
だが、耀は可愛く首を傾げて。
「だって、パパも響と一緒に寝たいっていったもん。響もパパのこと好きでしょ。だったら一緒に寝るのが普通 だもん」
と、言い放ったのである。
どうしたらそういう解釈が出来るんだ?と響は頭を抱えてしまう。
耀と話していても埒があかない。
標的を変えて、響は質問した。
「九猪さん、俺のベッド何処へやりました」
「あれなら、粗大ゴミに出しましたけど」
「粗大ゴミって!」
思わず怒鳴ってしまう。
そう今日は粗大ゴミの収拾日である。
当然、捨てられた響のベッドはゴミ集積所へ運ばれて今頃バラバラになっている所だろう。
はあっと大きな溜息を吐いて、響は頭を抱えてしまった。
本当に寝るところは楸の所しか無くなってしまったからだ。
「パパと寝るの嫌だった?」
耀は少し落ち込んだ声で聞いてきた。
「もういい……」
これ以上何を言ってもどうにもならないと響は諦めることにした。
ただでさえ、ここ数日、自分のベッドで寝て無いのも事実だったからだ。
仕方ないから事情を話してベッドに入れて貰うしかなかった。
その日も午前様だった楸が自分のベッドルームに入ると響が寝ていた。
やはり明るさに驚いたのか、それとも物音で起きたのか、響が大欠伸をして起き上がった。
「どうしたんだ?」
さすがに二日連続鍵を取られた訳では無いだろうと思ったのだ。
「耀が俺のベッド、捨てたんだ。……いや捨てたのは九猪さんなんだけど、捨てるように言ったのが耀だったんだ」
それを聞いた楸は今朝耀が言っていた事を思い出した。
確か、九猪に頼むとか言ってたな……。
その結果、響には寝る場所がなく、ここへ入ってきていたのである。
まだ寒い日も続いていて、さすがにソファでは寝られないからだ。
「耀はなんて言ったんだ?」
「……新婚だから一緒に寝なきゃいけないだとか、パパと一緒に寝てくれだの……。どういう事を考えたらそうなるんだ?」
響は頭を抱えている。
「新婚か。そりゃ傑作だ」
「笑い事じゃないぞ。お前、どういう教育してんだ」
「何言っている、ここ最近はお前の教育だろうが」
そう返されてしまっては響は何も言えない。
「別に俺は一緒に寝たところで、構いはしない。幸いサイズも特注だからな」
楸はそう言って布団に潜り込んだ。
ふむ確かにサイズは大きいとは思うけど……。
そう思っていると、響は楸に腕を取られて布団の中へと引き戻された。
寝るのが普通の寝るならなんら問題はないんだけど、こいつの場合はそうじゃないから困るんだ。
さっそく腹を摩って遊び出した楸の腕を引っぱたいて、剥がすと、自分もちゃんと眠りに入ることにした。
ベッドを買えばいい。
そんな考えに及ばなかったのが、響の敗因であった。