ROLLIN'2-25

 その後関西は上へ下への大騒ぎになり、響が神宮領(しんぐり)の子である事実よりももっと現実的な問題に直面したことで響は解放された。

 その騒動の中飛び出していく幹部達の中で落ち着いていたのは、響のことを気に入った佐山組長と楸が響の援護をしてくれて気に入ったという吉沢だった。

 佐山組長は奈良の方を治めているが、火威(ひおどし)会とは直接関わり合いがないので、今回の騒動は高みの見物。吉沢も同じく奈良の組関係者なので、大阪市内を掻き回す火威の手はあまり届いていないところに組がある。
 その二人は急いで帰ることもなく、幹部達が引き上げたところに残っていた。

 だが、佐山は槙の顔を見て、どうにも我慢ならないという気持ち悪さを感じていたが、元部下だった二連木の手前、無様な格好を晒すわけにもいかないので何とか耐えている。

「しかし、宝生組長もお人が悪い。九十九(つくも)が行動することを知っていたなら、知らせてくれてもよかったのに」
 佐山がそう言うと、楸は申し訳ないと謝り、実はとそのことに気付いたのは、新幹線でマル暴の杉山に言われて初めて考えたことだったことを明かした。

「だが、響はすぐに気付いてたようですがね。これにはあまり組のことは考えないようにさせていたので、突然言い出したときはこっちも驚いたわけです。まさか九十九の寄生先を言い当てるとは」
 楸が響の頭を小突いたので響は抗議する。

「いや、最初からってわけじゃなくて、喋ってるうちに段々分かってきたっていうか。こんな穴だらけの計画を九十九が知らなかったとは思えなくて、それで、適当に言ってたら当たってたというか」

「それだけか?」

「うーん、やっと意味が分かったというか。九十九が、神宮領組を立てるなら、俺を若頭にしろって言ってたろ? それ冗談だと思ってたけど、本気だったんじゃないかなって。そうしたら、九十九はそういう計画を別の目的で立ててたんじゃないかなーと。いきなり若頭になるには俺が言った条件を満たさないといけないわけでしょ。そうなるとあの時九十九はそれをすでに持っていることになっちゃうし。そしたら該当するのがあっただけ」

 響がとにかく思いついたり思い出しただけだと言うと、楸もやっと九十九が冗談で言っていることの本当の意味を理解した。

 九十九は響が神宮領組を立てるなら、本当に若頭になり、その財力と人材を用意する準備はあったのだ。それが如罪(あいの)組だ。冗談を言いながらも九十九は割と本気で言っていたことに誰も気がつかなかったのだ。
 あの状況であれを本気で考えるのはいないと思うが、九十九は響に喋ったことで嘘を言ったりはしていないということになってしまう。
 出来るから言った。そうなってるから言った。意味があるから言った。それが全て証明されてしまったわけだ。

「如罪組は収まりますかね?」
 吉沢が佐山に尋ねると佐山は首を振った。

「いや、無理でしょう。いくら響さんが気付いたとはいえ、準備は爆破前から決まっていたことだ。手抜かりはないだろう」

「我々は神宮領の名にまんまと踊らされたわけですか。まったくあのまま死んでて欲しかったですね」
 吉沢はうんざりしたように言った。

「九十九が30年動きが見えなかったとはいえ、今更表に出てくる理由は、今でも十分やれると判断したからだろう。こんな混乱した関西なら幾らでも付け入る先はあったわけですし。神宮領の名に踊るような組組織では、また火威(ひおどし)会の二の舞ですな」
 それを聞いて、響は楸を見上げた。

 九十九はあらゆる準備と逃げる道を用意してから計画を実行している。今如罪組が止まったとしても、九十九は第二段階目を確実に用意している。

 島にいた段階では、神宮領の名と子のことは不利になるので隠していたが、響が宝生に戻った今は九十九の計画に使えるものになった。そしてその噂を流して、関西のヤクザを集め、動きをそれに集中させて、如罪組を動かした。
 向こうが上手なのは知ってたが、やはり後手に回ってしまうことは悔しいことだ。

「今度の九十九はただの幹部くらいでは納得しないだろう。最高幹部の地位を手に入れてくる。実質ヤツの思いのままの組が出来上がる」
 楸がそう呟くと、響も同じくため息を吐いた。

「まあ、今度は偽物じゃないから、なんとかなるかもね」
 最高幹部ともなれば、隠れてはいられない。顔は広まるし、警察や公安からも目を付けられる。監視対象になるので、今まで裏で動いていたようにはいかないだろう。
 ある意味、楸には目に見える動きが手に入る。

 如罪(あいの)組が火威会を飲み込むのは容易だろう。残っている現在の火威会の幹部の噂を聞くに、火威会は内部からどんどん腐っていく。会長になったという冬賀は、死んだ九十九が偽物で、本物が影で生きていたことを知り、恐怖の余り急遽用意した事務所兼自宅から一歩も外へ出られない有様だという。
 使えない会長と使えない幹部。
 これだけで、火威会が終わりを迎える状況を把握していたら、火威会が長く続かないことは予想できる。

 つまり、九十九は邪魔者を消し、必要ではない者を生かし、火威会を内部から勝手に崩壊するようにし向けている。
 そこへ急成長をしている如罪組の火威会からの独立が今日行われたことは、九十九が狙っていたことだろう。
 神宮領の名はその為に使われたわけだ。
 だがこれは関西のヤクザ界のトップ交代劇に過ぎない。関東に影響がない限り、楸が口を出すことではなかった。



 夜の最終で楸達は東京へ戻った。
 関西で九十九が動き出した今、関西にいるのは危険であるし、他の組にも邪魔になる。
 下手に関西から動けなくなる方が楸には困ることなので丁重に断って帰ってきた。
 家に戻ると、耀が出迎えてくれた。

「おかえり、なんか大丈夫そうだね」
 耀はそう言って響に抱きつく。響も抱き返して耀を振り回す。

「ねえねえ、響、その時の話をして」
 耀はそう強請って響を居間に連れて行く。とにかく着替えて風呂に入って落ち着いてから耀に話して聞かせていると、耀は案の定、うさんくさい顔になっていた。

「それほんとに本気で向こうが言ったの?」
 全ての支度金は宝生が出せばいいと言われた話をしたら、耀でもおかしいと思う。

「さすがにおかしいと思ってた人もいたから」
「いやでもないわー。それないわー」
 口が裂けても言えない台詞だ。

「さすがに向こうの準備が整うのが早くておかしいと思ってたし、財産管理とはいえ、目に見えるお金はお国に貰われてしまっただろうから、こっそり置いてある金でも持ってるのかと思ったけど。ないのかよ!って、僕なら立花さんの頭につっこみいれてたと思う」

「ははは……」
 確かに響もそれはないわーと思ったし言った。

「つーか空っぽ計画過ぎて、何考えてるんだかだね。宝生くらい凄いのが残ってるのかと思ってたから、神宮領の名にこだわるだけじゃないって思ってたのに、ないのかよー」

 関西の情報は集めているが、神宮領のことについてはそれほど知っていたわけではない。だから隠し財産とか何か宝生を凌ぐほどの何かがあるのかと思って対応していただけに、あまりの空っぽさに拍子抜けだったのだ。
 結局のところ余所の組のことだ。内情は誰も知らない。

 遺品管理という人がいた為に、誰もが勘違いをしていた。
 神宮領は名だけではなく、何か重要なものを受け継ぐのだというある意味財宝伝説みたいなものを期待したのだろう。

 だが、神宮領の名は未だに伝説である。
 月時響がその子であろうがなかろうが、あの場にいた人間は、月時響が神宮領の子だと認めたようなものになってしまった。

 各幹部と対等に渡り合い、引き分けどころか勝ってしまったのだから、あれをただの一般人だと思えなくなるだろうし、宝生の情人とはいえ、関西のヤクザ相手に一歩も引けを取らないことを証明してしまった。
 それこそ宝生の組長の出番もなしにだったから強烈だっただろう。

 だが、これ以上響を巻き込んだ騒ぎは起こせない。響の強烈さを直に感じた人たちは、何を言っても響を神宮領の子として実際に証明してみようとは思わない。

 関西のヤクザ幹部を手玉に取るような者が、神宮領を名乗って関西に宝生の手を借りて戻ってこられては困ることを知ったからだ。
 ただでさえ、九十九という過去からの亡霊が生き返ろうとしているのだからこれ以上ややこしいことにはしたくないのだ。

「また九十九の天下に返り咲きかな。影から組長を操っていろいろやってきそう。僕も十分気をつけよう」
 耀はそう言ってうんうんと一人で納得している。
 組の内部のことは分からないので響は耀が気をつけるならいいかと笑った。

「んじゃ、報告貰ったし、僕寝るね。おやすみ響」
 耀は言って抱きつき響の頬にキスをして大人しく部屋に戻っていった。

「俺たちも寝るか」
 楸がそう言って部屋に引き上げようとしていたので響もそれについて行った。

 のだが。
「寝るんじゃなかったのか!?」
 しっかり楸に押さえつけられベッドに張り付いた状態にされて響は楸に怒鳴った。

「寝ると言っても違う寝るだ。勘違いした響が悪い」
 寝るとは夜の営みの方だった。

「お前、屁理屈言うな! 今日は疲れてんだから、無理!」

「風呂も入った、耀も寝た。俺たちは愛し合う。響、そんなに寝たいなら寝てろ。俺は響の体で遊んで一汗掻いてから寝る」
 そう楸は宣言して、響のパジャマを脱がし、胸に吸い付いた。
 無視して寝てやろうとしたが、寝れるわけない。

「……寝れるか!!」
 胸に吸い付いている楸の頭をはぎ取ろうとするも、乳首を指で引っ張られたら感じてしまい、腕の力が抜けた。

「あぁ!! や、やめっ」
 びくっと体が震えて響は目を瞑った。そうされるとどうしたって感じるところがある。それは自分の意思で制御できるものではなく、楸の手や唇で感じてしまうものだ。

「んん……あ……ぁ……ひさぎ……ぃ」
「ほらな、疲れているのは嘘だろう。テンションが下がってなくて、持て余してる証拠だ」
 楸は乳首から顔を上げると、響自身に布越しに手を当ててそれを擦った。

「んぁ……ち、ちがう……あっ」
「何が違う?」

「あぁ……あっ……ひさぎが……触るから……んん」
 響がそう言ったので楸は笑って響を見た。

「そうだろ? この手や口がいいんだろ?」
 鋭い目をしているが、響を見る目はいつでも優しい。その目が響を見つめてきて、そして少し開いた唇が笑っている。
 その唇に吸い寄せられるように響は体を起こして、楸の顔を包んでキスをした。

「ん……」
 入り込んでくる舌を受け入れて、そしてそれに絡める。キスはあの島から帰ってきてから毎日のようにしている。そうして存在を確かめないと楸の方が不安になるのだ。響はここいる。そう確かなものを楸は感じていたのだ。
 貪るようにキスをして、やっと唇を離すと響は甘い声を上げた。

「んぁ――――――」
 うっとりとしている響の体を開いて、楸は体中にキスをしながら下へと降りていく。へそ当たりを舐めながら、ズボンと下着を同時に脱ぎ取り、中心を避けるようにして太ももを持ち上げ、その内側にキスをする。

 すでに勃ちあがった響自身は汁を零している。それを無視して太ももや腹などにキスを繰り返していると、響が苦しそうに声を上げた。

「あ……や、なんで……んん」
「どうした?」

「あ……んん、どうして……さけるの……?」
 響がそう言うと楸は笑って言い返す。

「どうしてだと思う?」
 楸が投げかけた質問に響は少し考えた後、のそのそと体を楸の下から這い出て、そして座っている楸のパジャマに手をかけボタンを外していく。肩から上着を落として楸の体に手を当て、すうっと撫でて確かめる。

 デスクワークばかりのはずなのに、なんで体が引き締まっているのか謎だ。だが響はその体を綺麗だと思っている。鋼のような肉体。その体に抱きしめられると、すごく安堵するのだ。
 ゆっくりと肩に唇を寄せてキスをし、そして鎖骨にもキスをする。

 そうして下がっていく間、楸は響の頭を撫でていた。
 いつもは楸が響を一方的に抱いて翻弄しているが、こういう風にしてもらうのも好きだ。ただあまりに艶めかしい姿に耐えられなくなり、いつもは途中で押し倒し返してしまう。

 ズボンに手をかけて下着も脱がすと、楸の勃ちあがっているモノを見て響は喉を鳴らした。そっと手で握って何度か扱いた後、響はそれを口に含んだ。
 全部は入らないから先の方を舐め、下の方を指で擦って、精一杯奉仕する。

「んぁ……んん……んん」
 舐めていると楸の息を吐くような声がした。
 楸も感じているのだと分かると嬉しくなる。
 そうしていると、楸の手が響の尻に伸びてきて、ゆるゆるとなで始める。指が穴を探り当てるとゆっくりと侵入してきた。

「んぁ……あ……」
「さすがに毎日していると、指も入りやすくなるな」
 楸はそう言いながら、ジェルを足した指を二本響の中に入り込ませて中を掻き回してくる。舐める音とジェルの音が響いて、余計にいやらしく聞こえてくる。
 完全に穴がほぐれると楸は響に声をかけた。

「……響……もういい……」
「んん……あ……口は、嫌?」
 首を傾げて聞かれて、楸はふっと笑って言った。

「それもいいが、今はお前の中がいいんだ」
 楸は響を抱き寄せ、そのままベッドに響を押しつける。足を開いて体を入れ、響の中に自分自身をゆっくりと侵入させた。

「んん……は……あぁ……ん」
「そう、上手くなったな」
 響の息に合わせて沈ませていくと、響は体の力を抜いて楸を受け入れた。
 完全に中に全て入ってしまうと、楸が響を抱きしめる。

「悪いな、ちょっとセーブ出来ない」
「ん……いいよ……楸……」
 響はセーブが出来ないという楸に笑いかけて、そしてその首に腕を回した。

 響が抱きついてきたのと、結局は許してくれることに楸は笑って、響の中を掻き回した。 中は温かくて楸をぎゅっと締め付け、出て行こうとするのを追いかけるように内部が締ってくる。それを押し開いて中へ入ると、響が甘い声を上げる。

「あ……あぁ……んん……あっ!」
「……ん……もっていかれそうだ……」

「んぁ……あっ……あぁ……んぁ」
「響……いいか?」
 楸の優しい声に、響はうんうんと頷いた。

「あ……いぃ……いぃよ……あ……あぁっ」
「一緒に……いこう……」

「うん……あぁ……も……だめっ」
 どんどん気持ちは高まっていくのに、頭の中には何も浮かばない。
 楸が響を強く抱きしめて、腰を強く数回打ち付けた。

「も……だめっ……あぁ――――――!!」
「く……っ」
 響が達くのと同時に楸が響の中に温かいモノを吐き出した。それが中に広がっていくと、自然と響の顔にも安堵の笑みが浮かぶ。この瞬間が一番好きだった。楸が達く顔はいつ見てもそそるのだ。

 響の耳元で楸の荒い息を吐く音がする。
 それを聞きながら、響は楸の言葉を待っていた。

「響……愛してる……」
 ちゅっと耳にキスをされて響はまた顔が緩むのが分かった。
 けれど、意識が遠くなって、その言葉に自分も愛しているとちゃんと応えられなかったのが残念だった。

「ひさぎ……あいし……て……」
 すうと眠るように響が意識を失うと楸はやはり無理をさせたかと思った。

 今日一日は完全に振り回された。あの九十九にだ。
 だが、次はない。響のことに関するものは全て自分のものだ。誰にも文句は言わせない。その為に楸はもっと強くなって、響を守りたかった。

 響が戦わなくて済むように。安心して暮らせるように。
 その平穏を守るためなら何でもやる。
 響はそれを否定などしない。絶対の味方でいてくれる。それが楸の自信になる。

 楸が強くなればなるだけ、九十九も手を出せなくなる。
 そうして絶対の権力を手に入れて、響を守る。
 こうして、楸の隣であどけない寝顔を響がいつも見せてくれるように。

 それが楸の生きる意味だった。
 

 数日は九十九の動きが掴めないので響も家で待機の日が続いたが、ついに九十九が如罪(あいの)組を本格的に動かし始めると、楸は九十九も暫く関西を動くことが出来ないと判断して、響をいつもの日常に戻すことにした。

 なるべく早く響に平和な日常をと願う楸は、ボディガードや携帯の確認、そして発信器を響に義務づけるようにした。
 発信器はどうかと響も思ったが、九十九みたいにあんな島へ連れ去るような人間がまだ居たとしたら役に立つと言われたら断れない。それに楸がそれで安心するなら、響は従うしかなかった。

 発信器とはいえ、今は携帯にもGPSが付いているから、それと同じだと思えば気にならなくなる。
 そうして事故で入院していたという嘘の話の設定をちゃんと作って会社に出られたのは、そこから誘拐されて一ヶ月経ってからだった。

 思えば怒濤の一ヶ月だった。そんな感慨深げになりそうになったが、そうは問屋が卸さない。目の前には響の仕事が山済みだ。

「お前ら、俺が出社する日が分かって、仕事を溜めたな……」
 響がこめかみに怒りマークを沢山作って唸ると、徳永が代表して訴える。

「いや、月時さん、仕事早いし……それに月時さんが戻ってくるって分かったら、なんというか、採決は月時さんに任せた方がより安心だと思ってですね」
 徳永の台詞から響は仕方ないかと諦めた。

 元はといえば、自分が誘拐なんかされたから、部下にはかなりの負担がかかっただろうし、他の部署にも迷惑をかけたのだ。今までこの席を温めてくれていたのは徳永だろう。

「分かった、俺が悪かった。いきなり居なくなって困っただろう」
 響がそう言うと、徳永は不審な顔をしていた。

「なんだ?」
「いや、月時さんに謝られたらなんか拍子抜けというか。怒られてないとどうもおかしいというか」

 お前はマゾなのか……徳永。
 そしてそういう風にしつけたのは俺か……。

 響はがっくりしながらも、いつも通りに仕事に戻った。
 仕事をしていると余計なことを考えなくても済む。あの誘拐されていた時期は余計なことばかり考えていたから、忙しい方が自分的には合っていた。

 仕事をして家に帰ってご飯を作って耀達と笑い合って、そして楸の帰りを待って一緒に抱き合って寝る。これだけのことが普通に幸せなことだと感じられた。

 仕事が溜まりに溜まっていたが、響はいつも以上にハイペースで処理を続け、徳永なら二日はかかった仕事を終了時間前に終わらせていた。

「やっぱり、月時さんは化け物だー!」
「やかましい!」
 書類の前で泣き崩れる徳永に響は怒鳴る。
 それを隣で聞いていた同僚が笑って突っ込んだ。

「徳永さんは月時さんに合わせて仕事してないと余計に遅くなるんですよ」
「うはー、ばらさないでください!」
 徳永が慌てているが、響にはすぐに分かった。

「分かった。徳永、お前俺が居ないとしゃべりにストップかける人間がいなくて、仕事にならないんだろう?」
 響がそう言うと、徳永は情けない顔で頷いた。

「そうなんですー。なんでか月時さんがストップかけないと駄目なんですー」
「お前の中には、俺の怒鳴る声に反応する何かが出ているんだな。あれだ、パブロフの犬」

「ええー俺、犬なんですかー?」
「騒いでいる暇があったら、さっさと手を動かす!」
「はいー。で、月時さんはコーヒーブレイクですかー」

「そうだ。すぐ戻るからその書類くらいは片付けておけよ」
 響がそう言って部署を出ると、中で笑い声がしている。どうやら二人のやりとりが久しぶりでおかしかったらしい。
 それを聞いてから響は販売機の前に行ってコーヒーを選んだ。

 そういえば、ここで百円を落として変装した九十九が拾ったんだっけ?

 そんなことを思い出し、あの時から九十九の計画が始まっていたと思うと、九十九の準備の良さや執念深さがうかがい知れる。
 だがすぐに頭を切り換えた。もう終わったことだ。

 その場でコーヒーを飲み欲し、空になったコップをゴミ箱に捨てようと手を伸ばした時、その手を誰かに捕まれた。

「……な!」
 ぎゅっと強く握られたことで、響は思わず空いている手の方を拳にして相手に突きだした。しかしその手もその人物に捕まれて動けなくなった。
 だったら足、そう思った時、聞き慣れた声が後ろからした。

「やっぱり、あの時誘拐できたのは偶然だったか」
 信じられない声に響は反射的に足を後ろに回していた。
 だが、相手はそれを予想していたのか、素早く手を離して後ろに三歩下がっていた。

 この手応えのなさ、絶対に間違いない。

「……九十九、なんでここにいる」
 足を回した反動で振り返り、九十九と向き合った響はそう尋ねていた。

「響に会いに来た」
 そう言ってにっこり笑う九十九は、顔が前と違っていた。どうやら変装メイクをしているらしい。おまけに会社員らしく背広を着ている。これでは怪しめない。

「………………どこまでも冗談を言うやつだな。その口も生きていたか。右手の複雑骨折ついでにその口も二度と言葉を喋れないように変形させてやろうか」
 地を這うような声を出して響が言うと、九十九はぷっと吹き出して笑った。

「響はやっぱり楽しいな」
「お前は……っ」
 響が怒鳴ろうとした時、近くを社員が通りかかる。
 ちょうど終了時間が来たのだろう、社員が何人か傍を通っていて、とてもじゃないが怒鳴ることもましてや殴ることも出来ない。

「お前、分かっていてこの時間にしたな」
「もちろん、さすがに入ってくるのに宝生の監視が厳しくて変装したけど」

「わざわざ変装してまで会いに来たのは、また誘拐か?」
 響は周りを移動している社員たちに危害が加えられないか気にしていたが、九十九はどうやらその気はないようだった。

「暫く響の生の姿を見てなかったから、懐かしくなって。それと暫く動けなくなるから、とりあえず会っておこうと思ってな」

「俺に元気を貰おうってわけか。残念だ、そんな安売りはしない」
 九十九が懐かしそうに眺めてくるが、響にはたった一週間程度前まで一緒に居た相手だ。警戒しない方がおかしい。

「いや、響の元気は高いのは知ってる。買えるものなら幾らでも出すのに」
「やっぱりお前の口はない方が全人類のためだ」
 響がそう言い切ると九十九はくすくす笑っている。どうやら元気を安売りしたらしい。

「まあ、顔も見れたし、話も出来たから今回はこれで引き下がるよ」

「次来る時は、その顔の目玉を一つにして、身長も一メートル低くして、更にその余計な口と右手を封じてから、楸に堂々宣告して、下の受付で九十九と名乗ってアポ取ってからにしろ」
 響が無茶苦茶な条件を出すと、九十九は真剣に返してきた。

「そうしたら会ってくれるのか?」

「…………くそう、お前が超弩級の変態なのを忘れていた。とりあえずそれしてきたら俺は裏口から全力で逃げる猶予を与えられたと思って、宝生の結界に入ってお清めして、お前が死んでくれるまで神様にお祈りをする」
 響が無茶苦茶なことを真面目に答えると、九十九は笑って言った。

「それじゃ俺には不利そうだ。次も予告無く来ることにする。じゃ、また」
「またはない!」
 響がそう叫ぶと周りに居た社員がびっくりして振り返ってきた。その間を九十九は抜けて出て行く。本当にそれだけの為に来ただけのようだ。

 九十九が去って暫くして響は、次の悩みに気付いた。
 これを楸に報告しなければならない。だが、なんて切り出せばいいのか分からない。
 九十九が来たと言えばいいのか、会いに来ただけと言えばいいのか。どっちにしろ言いにくい状況だった。

 とりあえず帰る仕度をして、会社を出ると近くの道に停車している三束の車に乗って響は携帯から楸に電話をかけた。安全を確保してからの方がいいと判断したからだ。

「あ、楸……ちょっと……あのな。怒らないで聞いてくれ。実は、さっき九十九が会社に来ていた……んだけど……」
 そう響が電話で言うと楸が何かを指示している声が響いている。
 どうやら向こうでは九十九包囲網を作ろうとしているらしい。

『それで九十九は何をしに来たと言っていた?』
「あー……俺に元気をもらいにとか……」

『九十九が大人しく帰ったということは、その元気とやらを分けてやったわけだな』
「いや、それ不可抗力というか、勝手に向こうがそう思ったっていうか!」

『響、帰ったら覚悟しろよ』
 楸はそう言って電話を切った。

 つーか帰りたくない。
 九十九も怖かったけど、今は楸の方が怖い。
 やっと落ち着いて来たっていうのに、九十九はまた邪魔をしてくれたわけだ。
 これで九十九に逃げられたら、それこそ楸の怒りは頂点になる。

「やっぱり、一目と身長一メートルと右手と口の拘束と、楸に電話と受付で名乗ってアポ取るだけでは足りないか。前日に何時の新幹線に乗って、どこの駅についてどの電車かタクシーに乗って来るか知らせることも付け足せばよかったか?」
 もう帰ってからの恐怖のあまり、響は九十九への条件をどんどん足していく作業を無駄に繰り返していた。

 結局九十九は楸の包囲網を簡単に抜けて関西に戻ってしまったからさあ大変。
 その夜の楸が響をかなりねちっこく攻めてきたのは言うまでもないことだろう。

 ――――――あの変態、絶対許さないからな!