ROLLIN'2-10

 楸が起きてきてから暫く会議は続いていた。
 報告はどんどん上がってきているが、困ったことがない限りはなるべく警察の協力を仰ぐようにしている。
 警察からは組長の任意同行の要請が来ているが、こっちは被害者という姿勢を貫いて拒否している。

 響の誘拐の方は警察には知らせていない。会社の方にも誘拐されたことが確定した時点で、見つかったことにし、面会謝絶の入院をしていることになっている。幸い響の年間の有給がまったく消費されていなかったので、それで繋ぎ、その後は解雇扱いになったとしても、今回の場合は響も納得するだろう。

 はっきり言って社内で誘拐される方が悪い。

 響の誘拐の方は、その後品川のホテルにて、犯人が使った清掃の車が発見された。その中に響のスーツがあり、そこで着替えさせられたことが分かった。

 そのスーツのポケットから、清風が持っていたビデオと同じ内容のビデオが出てきた。
 このテープについて調べてみると、雅が間違えて送ったことが分かった。
自宅に送られてきたテープと、自分が撮ったテープの区別が付かずに、そのまま清風に送るつもりの荷物が響の方に送った荷物に紛れ込んでいたらしい。

 雅はテープの中を確認しておらず、響の会社の同僚の話と合わせると、響はそれを見た可能性が高くなった。

 多分、それを見て混乱していたところを襲われたのだろう。
 この響の行動は向こうには予定外であっただろうし、向こうが堂々と誘拐に出ていたら、今回のことは防げただけにこちらに運がなかったとしか言えない。

 響と清掃員という関わりを尋ねると、響はよく仕事のヒントを貰う為に清掃員とも日常普通に会話をしていたらしい。

 清掃員について調べると、高木浩介は実在する人物だった。ただし、アパートには二ヶ月前から帰っておらず、その三ヶ月前は随分羽振りがよかったという。

 清掃員の就職が三ヶ月前ということは、高木は自分の履歴を売って金に換えたのだろう。
 たぶん、高木は何処ぞの海に浮いていて、身元不明の水死体で処理されているだろう。

 高木の顔写真を手に入れて、清掃会社で聞き込みをしたところ、似ていることは似ているが、よく見ると別人という感想だった。履歴書の写真は高木本人であったが、面接した人間の顔が少し違うのは写真写りが悪いからだと判断したらしい。

 まさか清掃業者に就職するのに、まったく違う他人が別人の履歴書を持ってくるとは想像すらしないだろう。
 面接にきた九十九は愛想がよかったし、仕事もちゃんとしていたというから、普段からこういうことを日常的にやっていた可能性がある。そうやって住む場所や他人の名前を使って裏活動をしてきたのだろう。

 ここから確実に九十九に繋がる情報はない。清掃員だっただけにずっと作業用の手袋をしていたから指紋も残っていない。
 だがこのホテルの監視カメラのテープを横流しして貰った結果、一つだけ楸にしか分からない人物が写っていた。

「この男、GAビジネスホテルのロビーで俺を見ていた男だ」
 そう楸は断言した。

「えーと、そのホテルでの商談は、確か二ヶ月前でしたか……よく覚えてましたね」
 槙が関心している。

「あれだけ好奇心丸出しで眺められたら嫌でも気付く。こっちが視線を合わせた瞬間、携帯なんか出てやがったから芝居くさかった。この男が九十九の側近だろう」
 楸のことを監視している輩は警察からヤクザまで幅は様々だ。警察やヤクザなら下っ端までなら全ファイルが出揃えばいつでも楸が閲覧出来るように纏められる。その中にこの男の情報はなかった。あの一回のみで向こうも警戒を強めたらしい。

 だが、この一回のみの接触でこちらを危険と判断する能力があったとしても、この男は頻繁に宝生関係先に現れているはずだ。
特に大阪、九州あたりには、この男が頻繁に出入りしていた可能性が高い。

「槙(まき)、佐山組長にこの男のことを聞いてみてくれないか?」
「今、二連木(にれぎ)さんがやってますよ。彼の方が佐山組長とは個人的に親しいんです」

「ああ、二連木は佐山組長の推薦でこっちに来たんだったな」
「それもありますが、佐山組長には私嫌われているんですよ。二連木さんを引き抜きの時から」

 二連木は元々佐山組長の下で働いていた過去がある。手に余るやんちゃ者だった彼を気に入ったのは楸だ。佐山組長も二連木を扱いきれていないようで、もったいないと思ったので、出来れば譲って欲しいと直接交渉した。最初は断っていた佐山組長の考えが変わったのは、槙に直接引き抜き作業を任せたすぐ後だ。なんでもいいから宝生へ行ってくれと言われたと二連木が訪ねてきたのが8年前。あれから佐山と会うこともあったが、槙だけは同席させないでくれというのが向こうのいつもの主張だった。

 槙なら何かやるだろうと思っていたが、佐山にとっては槙という存在自体が怖いものらしい。
 それを予想して向けたのは楸だが、一体何をしてくれたのやら。

 槙一高(まき かずたか)という男は、先代が拾ってきた男だ。楸が高校の時に槙が教育係という名で傍に置かれるようになっていたが、槙は当時大学を卒業したばかりの一般人だ。一体何を思ってこの世界に入ったのかと聞いた時、彼は驚くような一言を言った。

「人を一人、直接手をかけてしまって」
 槙は平然としていて、淡々と言った。
 槙は当時、自殺をするまで妹を追い詰めた犯人を、心理作戦で5人殺していた。

 話は簡単だ。妹が生きていることにして、彼らを心理的に追い詰め、仲間割れをさせて、勝手に殺して貰っていたのだ。最後に残った一人が主犯だ。彼だけはのうのうと生きていたので、呼び出して直接手をかけたのだという。

 その現場はまるで拷問でも行ったかのような酷さで、警察が目を覆うくらい悲惨だったという。
 目的を達成した槙は、その関係者として警察に事情を聞かれたが、妹が死んだこととその関係をまったく知らなかったと涙ながらに語ってみせて、警察に同情される立場になった。

 しかし、その拷問道具を購入した流れを宝生が掴んでいた。それは偶然に先代が気付いたことで、他の者がみたところで分かるものではなかったというから、先代の勘だろう。

 直接槙と接触したが、槙は笑顔で知らないと誤魔化した。実際のところ、槙が犯人である証拠はどこにもないのが現状だ。そこで先代は面白半分で、大学を卒業して何もすることがなかったら、一度うちに来いと誘ったという。

 そうしたところ、本当に槙は「お世話になりにきました」と堂々とやってきたという。
 どういう心境だったのかと尋ねると、笑って言うのだ。

「社会に適応出来る自信がなくなってましてね。いい会社に就職して結婚して子供を設けて、そのために一生懸命働いて、落ち着いた老後に夫婦で旅行してと考えたとたん、ああ無理だと思ったんです。それなら少し危険なことで気を紛らわしながら生きる方が生きている気がしましてね」

 槙は唯一の家族だった妹に自殺された事実をしっかりと受け止めている。あんなに仲が良かった兄弟ですら、隠し事をされ死なれてしまった。復讐はただの自己満足、そして八つ当たりであることも。

 そうして簡単に人としての道を踏み外せてしまう自分に気がついた時、まともな人生を送れるはずはないと思い知った。
どうせなら落ちるところまで落ちてみよう。そう思ったからヤクザの世界に入った。

 簡単に言えば、そういう話だ。
 しかし楸はその話に特に感想はなかったようで、ただ一言だけ返した。

「お前、たぶんこの世界が合ってると思うぞ」
 その一言で槙が安堵したことを楸は知らない。

 お前は非道で残酷で、人を人と思っていない。けれど生きられる世界はあると暗に言われたことは、槙にとっては十分過ぎる言葉だった。

 たった16の子供の何気ない一言だ。周りからみれば未熟な子供の戯言だと笑われるだろうが、誰も絶対に言わない酷い言葉に救われているのだから仕方ない。

 そうして槙は与えられた仕事以上のことをやってのけた。楸はそんな槙を好きなようにさせ、何か言うでもなかった。
 そのままこの関係が今も続いているだけだ。

 電話を終えた二連木(にれぎ)が戻ってくる。
「確認して貰ったところ、大阪では頻繁に見かける顔だそうで、名前は法月(のりつき)とだけ。フルネームは分からないそうです。そもそも法月という名も本名なのか分からないので。それで、15年程前から電話持ちをしていて、その後誰かの専属になったらしいです。その相手の名は、真田正(さなだ ただし)という男なんですが、こっちの男も偽名を使っていたようで、彼のところにはよく電話持ちが入れ替わり入っていたようです。その真田関係も洗ってもらったんですが、正直何の仕事をしているのかも不明で、彼の話を信じるなら遺産で暮らしているらしいです。その真田ですが三ヶ月前に姿を消しています。法月の方は変わらずで、爆破騒ぎの前はかなり動きが怪しかったようですね」
 二連木の報告に槙が頷きながら聞いた後、資料を取り出す。
 それを楸が見ながら尋ねる。

「その電話持ちは何人もいたんだな。その誰でもいいから捕まえられないか?」

「一人だけ、佐山組長のところに助けを求めてきた者がいます。その者の話によると、自宅を友人に貸して自分が実家に帰っている間にその友人が自分と間違われて殺されたそうです。電話持ち以外の仕事はしていなかったので、その関係で何かあったのだろうと怯えて逃げ回っていたところ、昔の仲間で佐山組長のところに出入りしている幹部に助けてもらったそうです。その男の情報では、法月からの連絡があった直後に自宅が襲われている流れがはっきりします」

「電話持ちは何を頼まれていた?」
「旅行案内が主な仕事だったようです。九州のホテルを取ったり、東京のホテルを取ったり、まあ宿探しの旅行代理店と言ったところでしょうか。ですが、その中で最近ヘリをチャーターしたそうです。いつでも使えるように一ヶ月ほど前に予約をいれていたようです」

「槙」
「はい、調べてます。一ヶ月の長期間でしたら簡単に見つかるはずです」
 さっそく電話を幾つかかけて確認をする。その中でヒットしたのは一件のみだった。

「昨日、ヘリが実際飛んだそうです。かなり金を掴ませていたようで、シラを切られましたが、コンピューターにヘリの飛行計画が残っていました。行き先は無人島で、谷永島。この島は昭和初期くらいまでは住民もいたようですが、戦後に過疎が進み、数年で無人島になっていますね。すみません、もう少し時間をください」

「ああ、そっちは任せる」
 楸がそう言うと槙は幾つかまた電話をし始めた。
 それを呆然と見ていた二連木が尋ねる。

「その無人島に何の用があるんでしょうかね? 移動は難しそうですし、物資の移動もかなり面倒くさそうですが」
 不便で仕方ないと言いたいらしい。普通の感覚ならそう思うのが当然だ。海外の観光地や貴族くらいの規模でなければ、無人島で暮らそうなどと考える人間は少ない。
 移動の問題だけではなく、何かあれば取り残される可能性が高いからだ。

「暇なんだろうな。これだけの規模の爆破や自宅爆破を随分前から準備していたくらいだ。隠れる場所を用意していたとしても不思議ではないな。しかもヤツはもう生きていない人間とされている。世捨て人よろしく遠くの島から状況を眺めて余生を楽しむ準備をしていたんだろう」

「立てこもりの島というわけですか、なんだか準部万端過ぎて、今回の計画が二年や三年で出来るとは思えません」

「島に建てただろう屋敷は、それこそ十年計画だったかもしれないな」
 楸はそう言って、暇そうに書類を眺めている。
 そうしている間に、楸の前に置かれている電話が鳴った。
 今度は非通知ではなかったが、電話番号は東京都内である。だが一般回線だから相手が誰であるのかは一発で分かる。

「さあ、茶番の始まりだ」
 楸は言ってその電話を取った。

 九十九が響の部屋の再度現れたのは、昼食時であった。
 さすがに向こうも警戒しているのだろう。ドアが開いた時はあの九十九でさえ用心して入ってきたくらいだ。しかし響は少し離れたところにあるソファに座ってテレビを見ていた。

 ここには何の娯楽もないと思っていたが、テレビだけは用意してあって、チャンネルを合わせると、現在起きている東京の宝生組事務所爆破事件やそれに関連付けられた、大阪火威(ひおどし)会関連爆破事件、そして九州の組関連全爆破の事件がずっと特別番組でやっていた。

 響は誘拐された直後辺りに宝生の事務所が爆破されていることを知り、そのニュースにかじりつくように見ていた。
 まさか楸も巻き込まれたんじゃ、耀は大丈夫なのだろうか。その無事を確認するには関連ニュースを見るしかない。組長が死んでいれば当然ニュースで流れるだろうし、耀に危害が加えられたとしたら、学校や自宅の爆破のこともやっているはずだ。

 そのニュースを見ている限り、耀の心配はしなくてよさそうだった。響が会社にいる間に爆破が相次いでいたとしたら、耀は当然学校だ。学校が爆破となれば、そっちの報道が優先されるだろう。
 自宅爆破となれば、組関係のニュースで組長宅も爆破か、宝生組ビル爆破も報道されているはずだ。そのどちらも爆破関連場所には含まれていなかった。

 その情報の中で、宝生組の幹部は宝生組ビル内にいるようで、警察や報道人の取り調べや取材を一切シャットアウトしているらしい。
 そう聞いて当たり前だと思う。こんな規模でやられていては、対応に幹部達が走り回っているはずだからだ。ただでさえ、関西ヤクザの挙動で幹部達と会議が続いているところにこれをやられては、情報が錯綜していても不思議ではない。

 楸が表に出ないのは、身の危険を感じた者達が外へ出ることを許さない状況だろうし、そのトップに今死なれては更に困るだろう。

「彼氏が死んでいなくてホッとしたか?」
 食事をテーブルに置くと、九十九は言った。
 その九十九をじろっと睨んだが、すぐにテレビに視線を戻した。
 図星だったから文句さえ言えなかった。 
 そうして無視をしていると九十九が少し離れたところにあるソファに腰を下ろした。

 九十九も今朝の響の逆襲をさすがに警戒しているらしく不用意には近寄ってこない。近寄ってこないのはホッとするが、いかんせん攻撃範囲に入ってくれないと何も出来ないのと同じだ。
 居るだけで威圧感を感じるので、テレビに集中出来ないでいると、九十九はそこで電話を取りだしかけ始めたのだ。

 一体、何の真似だ? 
 響がその様子を伺うように目を向けると、九十九はニヤッと笑って言ったのだった。

「やっと繋がったか、やあ、宝生組長ご機嫌は如何かな?」
 その言葉に響は目を見開いて九十九を見た。
 なんの冗談だ? なんの為にわざわざ楸に電話をしている?

「お土産は気に入ってもらったか?」
 その言葉を言った時、九十九は何故か響にも聞こえるように、電話のスピーカーを押していた。

『物騒な品だったな。お陰でこっちは大損害だ。領収書はお前の名でいいよな』
 のんびりとした声に響は確かに相手は楸だと認識した。

 楸は基本的に激高して言葉を発する人間ではない。余裕はいつでもある。どんな状況であっても彼はその姿勢を崩したことはない。

「なんて名にするんだい?」
『ジョン・ドウにでもしておこうか? 九十九朱明(つくも しゅめい)』
 ジョン・ドウはアメリカの身元不明の遺体に付けられる名だ。最後に九十九の名を出しているのは、九十九が死んだことになっている現状を皮肉っているのだ。

「へえ、名前の割り出しは早かったな。さすが二代目と言おうか。親父さんは何か残してくれていたかい?」

『その先代からお前に土産があるんだが……アレは起きているか?』
 楸は響の名を出さずにそう言って、響がそこに居るのを知っているのだと言っている。
 それじゃ誘拐したのが、九十九だということを楸は知っているのか……。と響は一人で考える。

「起きてテレビを見ている。なんだ人質が無事か知りたいのか?」
 その言葉に楸は応えずに、いきなり言い出した。

『響、おはよう。会社の方には面会謝絶の入院をしていることにし、有給を当てて貰っている。耀が癇癪を起こしているが、まあ、元気なだけで十分だろう。予定していた花火だが、どうも忙しくて行けそうにないのを納得して貰うのに時間がかかっている。テレビを見ているなら、チャンネルを○○に合わせてくれ』

「あ、はい」
 楸の優しい声、とはいえ、普通の人が聞いたら感情のこもっていない声に聞こえるだろうが、響には朝の挨拶だけでも本当に久々で嬉しかった。その嬉しさを隠しながらもテレビのチャンネルを楸の言うテレビ局に合わせた。

 チャンネルを合わせてみると、ちょうど大阪の事件現場の実況を流しているところだった。これが一体なんなのかとじっと見ていると、アナウンサーが意外な事を言った。

「そ、速報です。また大阪で爆破事件です。近くに中継車がいるようですので中継を繋ぎます。葉山さん?」
 慌てたアナウンサーの呼びかけに、爆破場所近くにいた地元アナウンサーが慌てて対応している。

「先ほど、火威(ひおどし)会事務所爆破跡を取材していたところ、後方に見えるビルの爆破がありました。現在現場は騒然としており、この一連の爆破事件と関連があるのか何も分かっておりません」

「そのビルには人はいたのでしょうか?」

「近所の方の話を聞いたところ、あのビル自体には何の店舗も入っていないという情報もあります。ですが、飛び散った窓カラスなどで通行人が怪我をしている可能性もあります。現場にはこれ以上近づけませんので、現場がどのようになっているのかはまだ分かっておりません」
 アナウンサーが爆破されたビルを背にして中継をしている。

 その様子に響は呆然とした。まさかこれをやったのが楸?
 狙いすませたようにチャンネルを変えるように言ったということは、こういうことがあることを知っていたことになる。報復か?と考えたが、宝生が襲われたのは昨日のことだ。そんなに早く、あんな限界体制地域に爆発物をおいてくるのは難しいだろう。

 それにこれは先代からの土産だと言っていた。つまり前組長が仕掛けたものということなのだ。
 一体何があってこうなったのだろうか。そもそも九十九は一体何者だろうか。これが報復というなら、一連の爆破事件の犯人は九十九ということになる。

「先代の土産か……確かに情報が古いな」
 その爆破騒ぎを見て九十九は笑いながら応答した。

『手始めはこんなものだ。俺の方からは別の物を送ってやる』
「ほう」

『響、その男が何を言ったとしてもあまり驚くな。こっちは知っているから大丈夫だ、何も気にする必要はない』
 自信満々にそう言われて響は一瞬何をと考えた。

「……え?」
 まさか、楸は響の父親が誰でこの男がどんな存在なのか全部知っていると言っているのか?

「なんだ、そんなことまで知っているのか。つまらん」
『アホがペラペラと喋ってきたからな。アレの口を封じてないのは痛手だったようで何よりだ』

「……清風か……」
 九十九が初めてマズイという顔をしていた。

 清風の存在は、神宮領(しんぐり)をつぶした時に忘れた。アレが何かしてくるはずないという自信もあった。姉にあれだけのことをされても清風は逃げるだけで精一杯、刃向かう気などさらさらないようだったし、その後も30年だまり続けた男だ。それにあのビデオの存在が彼を一生黙らせる要因になっていたことは九十九も分かっている。

 宝生にあのビデオが渡ったところで問題はなかった。あの若い九十九を見分けるのは難しいし、何よりあれが九十九であるとはっきり言える人間が存在しないからだ。
 だが、清風の登場は予想外と言えよう。彼だけははっきりと九十九を九十九であると認識出来る人間だ。

『あのビデオも未だに思い出として大事に取っていたくらいだ。さぞかしヤクザが憎いらしい。お前も俺も結局は同じだそうだ』

「あの馬鹿はヤクザが憎いと言いながらも結局ヤクザに縋って生きるしかなかったわけか。神宮領(しんぐり)から俺、そして宝生か、面白い馬鹿だな。大物ばかりと関わって生きてて、何がヤクザが憎いだ」
 くくっと笑いながら九十九が言うと、楸も笑っている。

 こいつら、俺の伯父さんに何ということを……。響は怒鳴りそうになるのに耐えながら二人の話を聞いていた。
 だが、話の端々から、自分の伯父がこの男とも関わりがあることが分かる。

 伯父がどういう経緯で宝生と関わりを持ち、そして借金を無担保、利子なしで借りているのかは知らない。前組長も楸も誰もそのことを語りたがらなかった。伯父に至っては、ヤクザが嫌いだとはっきり言うくらいに嫌っているのに世話にならなければならない何かがあったという感じである。
 一体そこに何があるのか。自分の父親は一体何者で、この男と宝生とどんな関係にあったのか謎過ぎる。

『今日の話はこれくらいでいいだろう。こっちはお前のお陰でとても忙しい。やることが片付いたら相手してやるから、そこで大人しくしていな』
「……」

『言っておくが、それは月時響という生き物で、それ以外の何者でもない。夢を見るのは寝てる時だけにしろ』
 楸はそう言い終えるとさっさと電話を切ってしまった。
 最後に投げつけられた言葉は九十九には十分、効果があるものだった。


 
 無言で部屋を出た九十九を待っていた法月(のりつき)は、様子がおかしい九十九を気にせずに話しかけた。

「隠し財産を置いてあるビルがやられたそうです。爆風ごときでは金庫は無事ですが、寄りにも寄ってその金庫が爆破で下の階に落ちたそうです。持ち主を捜すことになりますが、すぐに名乗りでないことには余計に怪しんでくれというようなものです。それに中身を確認することになりますから、いろいろと状況的にこちらが出て行ってするには不利な材料しかありません」
 法月の報告で九十九は厳しい顔をする。
 先代の土産と見せられたところは確かに古かった。だが、それでも他に狙われたところはこちらとしては痛い場所だ。

「1カ所だけか?」
「いえ、四ヶ所です。最初に爆破されたところは6年前まで使っていたところですがね」

「……思いの外、ネズミが多いな」
 少しくらいは先代も情報を握っていただろうし、あの場所は割合大きめに動いていたところだった。だが、その他の場所は絶対に悟られない自信があった。それなのに痛い場所ばかり四ヶ所。

 どう考えても身内に内通者がいるとしか思えない状況だ。ネズミなんて大きなものではない。まるでウイルスだ。どこまで食い込んでいるのか、そのウイルスの発生源を知らない九十九には予想も出来ないことだった。

「予想外ですよ。まったく悟られないように爆薬を仕掛ける。しかもうちの階ではなく、全部下の階ですからね。それ相当の準備と下調べを行っているとみて間違いようです」

「下の階の持ち主は、全部洗ったんだろう?」
「ええ、洗いましたとも。普通の会社で、普通の民間人が経営してました。うちより入居が早かったところばかりです。社員だけ入れ替わりは難しいと思いますよ」

 法月もその辺は重要な資金源であるのは分かっているので、ちゃんとした隠し場所を選んでいた。九十九が前に用意した場所から移して、まだ一年と経っていない場所も含まれている。

 どう考えたって情報が漏れすぎている。
 宝生の前組長は一体どんな手を使って、ここまで九十九と同じ手を使ったのだろうか。

 報復は九十九の正体をバラすような証拠くらいだと踏んでいただけに、予想外の手痛い出来事に九十九も頭が回らない。
 大きな金を動かすのに銀行などを使うのは、素人の手だ。金の流れがはっきりと分かるようなものを残すことは公安で遊んでいた九十九が真っ先に気付く危険性である。

 今残っている隠し金庫を動かすのは難しい。東京でも何処でも今は厳戒態勢だ。
 もちろん、ここにもかなりの金を運び込んでいるから当分は困らない。困らないが活動資金の半分が今回の爆破で持って行かれてしまった計算になる。

 正直、見事に土産を貰ったわけだ。最初のビル爆破はただの挨拶だ。あの電話を切った後、宝生は持っている情報を使って、九十九に報復をしてきたのだ。
 死しても尚、九十九に報復するような実動隊を動かし続けてきた先代は、九十九が何かを起こした場合に備えて、かなりのものを用意していたことになる。

「あの男……はったりじゃなかったんだな」
 九十九はそう呟いて、被害情報の収集に努めることになってしまった。
 先代の土産がこの全てでなかった場合、現在の九十九の資金源も危ない可能性が出てきたからだ。