Howling-4

 父親に気をつけるように言われたことから二ヶ月ほど経った。

 寧野(しずの)に告白をしてきた宝生耀という後輩は、あれ以降寧野に近づいてくることはなかった。あれは冗談だったのかとふと思うことがあるが、あんなことを冗談でやるような人間は居るのだろうかと不思議になる。そんなことをしてもまったく意味がないからだ。

 たまに彼をグラウンドで体育の授業をしているところを見かけるが、彼がこちらをちらりとも見ないのは知っていた。
 最初は本人を見つけて焦った。だがチラリともこっちを見ないことでホッとした。ホッとしたのに寧野の方がずっと見ていた。そして気になることが出来た。

 いつも彼はクラスの人間とは話してもいない。

 たとえば授業がサッカーだとしたら、彼は一人端の方に座ってつまらなそうに空を眺めている。
 生徒達が彼に近づかない理由はただ一つだ。

 それは寧野が他の生徒から敬遠されている理由と同じ。ヤクザの子供だから。それだけだ。

 宝生耀という人はそれほど噂にあがる人物ではなかった。それは本人が他の生徒と関わることをよしとしておらず、本人がどういう人間なのか解らないからだ。噂しようにも宝生組というヤクザの組織が表立って噂に上るくらいで、耀自信を誰も見ていないのに寧野は気づいてしまった。

 彼がどうして生徒に興味を持たないのか。それは簡単だった。皆が彼を見ようとしていないからだ。外枠だけを眺めて大きいと呟かれても彼にはどうしようもないことだ。

 彼がヤクザの子供という理由でいじめに合うことはなかった。宝生という大きな組織の存在は、ある意味、彼を守る盾になっている。周りは嫌悪しながらもせめて関わらないようにするのが精一杯だ。こんなのだから、彼の興味はここにはないのだろう。

 5年前の出来事から、余計に周りは宝生というヤクザを恐れている。傍目からすれば爆破というテロの標的になって、報復すら出来ない情けないヤクザのはずなのだが、皆本当のことを知っているからだ。

 あれは東西の抗争で、先制攻撃を受けはしたが、西の方から他のヤクザが台頭してくることもなく来ているのは、宝生が何かしらしたということだ。
 世間で噂にもならないようなことを宝生は闇で出来ると無関心のはずの一般人でも薄々気付いている。だが証拠がないから警察すら何もできないだけなのだ。

 なにせ、この抗争でビル爆破どころか、島が一個沈んでいる。だから余計に怖いのだろう。

 だから宝生耀をどうにかすることは出来なかった。例えこの学校にあまりいない不良っぽい人たちでも、うかつに何かをすることはなかった。さすがに危険だということはすぐに理解出来た。
 結局、将来ヤクザの組長になる跡取りとなれば、利用するかされるかのどちらかと考える人の方が多いのだろう。

 裏街道を行くなら宝生耀と知り合っておくべきだろうが、普通に暮らすなら彼の存在は要らないものなのだ。

 そうして最初から一般というものからはみ出している彼は、常に一人でいることになる。
 寧野は自分にも重なる部分を持つ宝生耀という存在を否定しきれなかった。
 寂しいわけではない。最初から分かっていること。世間から自分が外れていることも、仕方のないことだと分かっている。

 寧野は自分が強くそう感じているのだから、彼はそれ以上に感じているはずだと思えた。だって分かっていなければ、あんな風に一人でいることに慣れるわけない。
 そう考えると、彼が寧野に一目惚れしたと告白してきたことは冗談ではなかったと考えるしかない。冗談でする意味がないからだ。

 けれど、あれ以来彼は近づいて来ない。
 調べたら分かることだったのかもしれないが、寧野が遠海会系の組に属している組員の子と分かったのかもしれない。
 近づかない方が得策だと考えるだろう。もしくは敵の手下に惚れたとなれば彼のプライドがそれを許さないのかもしれない。
 色々ずっと彼について考えていた。

 この二ヶ月――ずっと強烈な印象を残していた彼のことを考えていた。



 寧野が学校から家に帰った時、いつもならすでに帰ってきている父親がいなかった。

「あれ……今日は遅いのかな?」
 寧野は居間を覗いて見るが、いつもなら居間でテレビを見ながら酒を飲んでいるはずの父親が居なかった。二ヶ月前から父親はずっと早めに帰ってきていて、寧野が学校から帰ると絶対に居た。
 前に周辺に気をつけろということは言ってはいたが、それとは別に父親が家に居るのが分かっていて寧野が寄り道するはずもない。だからまっすぐ帰ってくるので特に何かあったわけでもなかった。

「何時くらいに帰ってくるんだろう……ご飯、一応作っておくかなあ」
 寧野は着替えをして台所に立つとまず米を準備した。それから何を作ろうかと冷蔵庫を開けて中を確認する。

「あれ、お刺身がある。昨日はなかったからお父さんが買ってきたのかな?」
 昨日は寧野が買い物をしてきて食料は保存したので、刺身がなかったことは覚えている。だからこれは父親が一旦帰ってきて、置いていったということになる。
ということはそれほど遠くへ行ったわけでもなく、案外近くを散歩しているか、ちょっとした用事で出ただけだろう。

「じゃあちょっと待ってみよう」
 父親が何か他に買ってきてしまったらおかずが増えることもある。それを心配して寧野は食事を作るのを止めて部屋に戻った。
だが勉強をする気にもならなくて、携帯を持ってベッドに寝転がった。ボタンを操作して気になる音楽を試聴したりしていたが、いつの間にか眠ってしまっていた。

「寧野、起きろ」
 そう声を潜めた父親の声が聞こえたのは、かなり時間が経ってからだった。
完全に寝ていた寧野は揺すられて初めて誰かが自分を起こしていると気がついた。

「え? おと……」
一体なんなんだと口を開こうとしたが、その口を父親が慌てて塞いできた。

「寧野、よく聞け。俺がいいと言うまで押し入れから出てくるんじゃないぞ」
 父親はそう言うと寝ていた寧野の体を引っ張って起こすと、暗闇の中、寧野の部屋の押し入れを開けて中に入っていたタンスの代わりに使っている洋服入れを引っ張り出した。そうして出来た隙間に寧野を押し込める。
 やっと口から父親の手が離れて寧野は何がどうなっているのか聞こうとしてハッとした。

 なに、このスペース……こんなの新学期前に掃除した時はなかったのに。

 自分の部屋は自分で片付けているから、こんな不自然な空間なんて作るわけないし、狭い押し入れだ、洋服や色んなものが入っていて満杯になっていたはずだ。それが寧野が入れるくらいのスペースが出来ている。

「おとうさん……?」
何か起こっているのは確実だった。周りは真っ暗で父親は電気さえつけていない。何か嫌な予感しかしない。このヒシヒシと押し寄せてくる不安と胸が痛くなるような緊張感はなんだというのだろうか。

 寧野には訳が分からない。聞き出したいのだが、父親は寧野の呼びかけを無視して、寧野が出てこられないようにタンスを押し込んでくる。

「いいか寧野。何が聞こえても絶対に出てくるじゃない。俺がいいと言うまで絶対に出てくるな。もっと時間があったらお前だけはどうにか出来たんだが、向こうも焦ってきたらしい」
 一体何があるというのだろうか。

 向こうがって?
 時間って?
 何?
 確実に良くないことが起こりそうになっているのを感じて寧野は恐怖のあまり声は出なかった。

「言っておきたいことは山ほどあるんだが、これが終わったら一緒に山浦先生のところに行こう。だからここで大人しくしていてくれ」
 父親はそう言うと押し入れのドアを閉めた。

 だけど、寧野にはずっと父親が見えてなかった。目が暗闇に慣れる前にドアが閉められてしまったからだ。だからこう言っていた父親の顔は見ていない。
後で考えれば、きっと必死だったのだと分かる。
 色々と思い当たることだって浮かんでくる。だけどこのときは恐怖しかなかった。初めて父親がヤクザの組員なのだと思い知ることしか出来なかった。

「織部、やっと見つけたぞ」
 父親が隣の部屋に去って一分も経ってなかった。寧野はハッと我に返って聞き耳を立てた。

「あー、遠海会の若頭……一体何のようですか? わざわざ家まで」
 父親のところに遠海会の上層部の人間が訪ねてくるなんて今までなかった。父親はこれを警戒していたのだろうか。そんな雰囲気の声だ。
 普段のんびりしている時とは明らかに違った緊張した声。それが事態が切迫していることを知らせてくる。

「そんなことはいい。お前がシノギをどうやって納めているのか、その秘密を知りたがっている人がいてな」

「そんな秘密ありませんよ。何を言っているんですか」
「お前が不自然すぎるシノギを集めていることは、もう調べが付いているんだ。お前、ここの商店街の住人の用心棒料、全額自分で稼いできてたんだってなぁ」
 遠海会の人間がそう言うと、他にいた誰かが父親を殴って押さえつけた。逃げられないようにするためと、きっとその方法を聞き出す為だ。
ドタドタとした振動が部屋中に響いていて、襖までもが揺れている。

「……っ」
押し入れの中に居ても十分衝動は伝わってくる。父親の危機なのだ。だが分かっていても足がすくんで動けない。こんな乱暴な出来事に寧野は今まで出会ったことがなかったからだ。

「喋りたくなくても喋りたくなるような方法もあるんだ。お前確か子供がいたな」
 遠海会の人がそう言った。その瞬間、寧野の心臓が鷲掴みされたように痛んだ。

「子供に喋らせてもいいんだ。こっちとしては」
 遠海会の人たちはそう言っているが父親はそれには一切答えなかった。さっき父親が家に帰ってきた時、寧野を押し入れに押し込んだ意味がこれだったのだ。こんな小さな抵抗しか時間的に父には許されてなかったのだ。

 父親は最初から分かっていた。寧野を盾に取られたら父親はその方法を喋らなければならない。それに喋らなければ寧野が痛めつけられる。それを避けるために色々やっていたのだろう。きっと寧野を捕られたら父親は黙ってられない方法だからだ。
 だが間に合わなかった。父親の予想よりも早く、物事が悪い方向へと動き出していた。

「どうやら今は居ないようだが、そのうち帰ってくるだろう」
 遠海会の人間は寧野の姿が見えないことをまだ学校から帰っておらず、これだけ暗くなったのだからそろそろ戻ってくるだろうと思ったらしい。
 寧野が部屋で寝ていたお陰なのか、電気を一切付けてなかったことが偶然にも功を制したようだ。
 遠海会の人間は父親を縛り付けて黙らせたようだが、一時間もすると寧野が帰ってこないことに不信感を覚えた。

「どういうことだ。なんで戻ってこない」
 するとガタガタと騒ぐ音がして、寧野の部屋に誰かが入ってきた。部屋中を荒らして何かを探しているようだった。

「若頭……制服がクローゼットにありました。それから携帯がベッドに置きっぱなしになっていて、その横に洋服を入れた鞄が置きっぱなしに」
 組員らしい男がそう報告すると、若頭と呼ばれた男が怒声を上げて父親を蹴り上げた。

「きさま! こうなるのが分かっていて、子供だけ逃がしたか! 一々やることが小賢しいわ!」
 何度か父親を殴りつける音が聞こえてくる。

 それは現実に見ていなくても地獄のようなことだったことは間違いない。それでも父親は叫び声を上げていなかった。こうなることが分かっていたし、寧野が逃げたように見せかけていても実際はまだ部屋に中にいるのを知っている。だから何があっても余裕があるフリをして、彼らが家から出て行くように仕向けないといけない。

「ですが、ガキが逃げたとしてもそう遠くへは行ってないのでは? 荷物を放置したままのようですし」
 他の組員がそう言うと若頭が怒鳴った。
 父親以外の人間も殴れている。その方の物音が余計に響いていたが、この部屋に誰かが苦情を言ってくることはなかった。

「莫迦か! 子供を適当に街に逃がせてもその後絶対に見つかるのが分かっていて逃走させるわけがないだろうが! 絶対に裏で何かやって、安全なところへ移動させているに違いない! この男は30年も遠海会を騙してきたやつだぞ!」
 若頭の怒りは頂点に達しているようだった。

 なんの取り柄もないと思えた系列の組員が30年も上層部すら騙し、さらにはそっちの動きを読んで子供を逃がしたという事実が彼からすればプライドを傷つけられたのだろう。
 若頭にとっては組のためになることなら何でもやるのが当然であり、殺人であろうがなんであろうがやるべきことだった。なのに逃げようとしていたこの男、織部寧樹が許せなかったのだろう。

「どうやってでも聞き出してやる。どんなルートを持っているのか。やり過ぎてお前が死んでも子供がその方法を知っているからな。今更、よそから来た客人に、暢気に差し出すわけにはいかないんだよ!」
 若頭が怒りを抑えて冷静になろうとしてそう言ったのだが、そこで初めて父親が喋った。

「ふ、息子が知ってるわけないだろう。だって俺は何もやっちゃいないからな」
 父親の言葉を聞いて、寧野は考えた。

 父親が遠海会の言うように全ての住民の用心棒代を立て替えていたとして、その何百万になるはずのお金を父親はどこから持ってきたというのか。普段はパチンコなどの賭博が大好きで、仕事らしい仕事なんてしたことはない。でも何かの援助を受けている形跡もなかった。

 だけど、よくよく考えればそんな生活でどうやって父親は金を得ていたのだろうか?
寧野の学校のお金だって馬鹿にならない。今更ながらにそんなことに気付いて寧野までもが父親は遠海会の言う通り何か個人的なルートを持っていたのではと思えるのは仕方ない。

 だが父親はそんなそぶりもしてなかった。取引が忙しいならそれなりに兆候は見えたはずだ。始終側にいて気付かないということはないだろう。

 でも父親にはそういったところは一切無かった。ただよく家に居る人だという印象だ。だから余計におかしくなってくる。そんな人間がどんな金儲けをしていたのか。
 月に何十万。年間で数百万。そんな大金を30年も父親は払ってきた。そして寧野を育てる為にも使われているお金は、一体どこから調達していたのか。その些細なことが凄く謎だった。

 父親は何もしていないと言っている。
 特殊なことをしなくても大丈夫だったことなのか。人に迷惑をかけることなく、それが正当に得た金で問題は一切ないことなのか。

 その時寧野はふと思い当たる出来事を思い出した。
 本当に些細な出来事だ。

 あれは本当に小さい時で、母親も居たと思う。一家団欒をしていて、父親は新聞を読んでいて、母親は台所でご飯を作っていた。そして誰かもう一人いた。自分は少しなついていたので、親しい人だったと思うが今は顔すら思い出せない。本当に一家団欒で楽しかった時期だった。
 自分は父親の膝に乗って、意味のわからない競馬新聞を見て首を傾げていたところだった。
 父親は笑って競馬のやり方を教えてくれた。それは些細な一言で、子供がしてはいけない賭け事だということはこの時理解した。
 しかし、ふっと浮かんだことがあった。

「3-7?」
 寧野がそう呟いた瞬間だった。
 父親が凄く驚いたような顔をしてすぐにその新聞を隠してしまった。
 寧野が何故隠したのかを聞くと、父親は言った。

「お前にはまだ早すぎるんだよ。あれは大人になったらやっていいものなんだ。お前はまだ子供で小さいからな。大きくなって物事が分かるようになったらちゃんと教えてあげるさ」
 父親はそう言って、家では一切新聞を見ることはなくなった。そんな些細な出来事を何故今思い出したのか。それは。

 ――まさか。
 予想しなくても、当ることが最初から分かっていた。寧野がふっと思って口にしたように、父親もまたそういうことが簡単に出来たのではないだろうか。

 そう考えれば、父親がギャンブルで負けたという話を一切聞かないのも納得だ。だって父親はそのギャンブルでは負け知らずで30年やってきたのだから。

 他の人が聞いても誰にも真似できない方法。父親はそれを使ってずっと生きてきた。誰にも真似できない、特殊な方法だ。父親が口を割らなければ一生理解出来ないことだろうし、父親が得た報酬は、正当なものだから奇妙な鐘の流れだと気づけたのは、この遠海会がシノギの帳簿を作っていたことが徒になっただけなのだろう。

 本当だったら誰にも気づかれずに生きていけたはずだ。
 でもだったら何故父親はヤクザなんかやっているのだろうか。
 その疑問に突き当たり、寧野は悩んだ。
 そんなことしなくても楽に暮らせたのに? 

「何もやってないだと。完全にこっちを莫迦にしているな。それならそれで方法は幾らでもあるんだ」

「拷問されても俺は何も喋らない。知らないものは喋りようがない」
 父親の落ち着いた声が聞こえた。相当殴られているはずなのに、まだ正気で余裕がある声だった。だから寧野はまだ父親が耐えてくれたら、誰かが警察を呼んでくれると期待を持てた。

「まだ言うか!」

「息子を使おうたって駄目ですよ。アレはあなたたちが嫌いな犬の鼻と目がついてますから――」
 父親が急にそう言い出して、遠海会の若頭が一瞬だけ言葉を呑んだ。だが、次に笑い出し、そんなことあるわけないと否定した。
 確かにあるわけない。一体何の容疑で自分は目をつけられているというのだ。無茶だと寧野も思った。

「――うちの息子は、宝生のところの跡取りとちょっとした繋がりがある。そのせいでもう公安に目を付けられていて、マル暴がちょろちょろしてて、マズイんですよ」

 父親は周りに気をつけろと言い出したのは、宝生と会う前からだ。でもその頃は遠海会と宝生組が縄張り内でいざこざを起こした時期だ。
 だからと言って宝生と接触を持ったことは一度もないし、あれを接触というには何か違う。あれ以来彼は近づいてきやしなかった。だから公安やマル暴に目を付けられるようなことは何もしていない。

 父親が言うようなことは何も起きないはずなのだ。
 でも父親が家に引きこもるようになったのは、あの進級式で宝生と接触を持ってからすぐ後のことだ。父親はどこかで寧野が宝生に好意を持たれていることを知ったことになる。当然警察も公安もだ。
 たったあれだけの接触で周りが皆寧野を警戒していたことになる。遠海会を除いて。

「きさま! それが分かっていて俺たちをここにおびき寄せたのか! サツがいるのが分かっていて!」
「そうですよ、そうじゃないと意味ないじゃないですか」
 父親は寧野を守るためには何でも使った。
 マル暴や公安がいるなら好都合だった。だがそれは相手を見てやるべきだったのかもしれない。
 それらを全て使う父親の覚悟に若頭の怒りは頂点に達しっていたのだ。

「きさま!」
 激しい怒りと怒声が伝わってきて、事態は一気に終息した。

「若頭! なんてことを!」
「これじゃ貉の要求が!」
 何が起こったのか。
 はっきりと分かったのは、人の足音や怒鳴り声が消えて、現実の時間で30分くらい経ってからだ。

 呆然としていたのは数分だと思っていた。我に返って周りが静かになっているから慌てて押し入れから外へ出た。居間の明かりは点いたままだったから、そこで何があったのかは後で考えれば理解出来た。

けれどその時目に入ってきたのは、真っ赤な血。

父親の首が切られて飛び散った血が、壁一面を真っ赤に染めていた光景。

「おとう、さん?」
 父親は椅子に座らされていて、さらに身動きが取れないように後ろ手に縛られ、椅子から逃げ出せない状態で拷問を受けていた。

 爪は全部剥がされていた。殴られた顔は腫れていたし、体中切り傷だらけだった。
こんなになっても父親は悲鳴一つあげず、寧野を生かす為に黙りを続けた。
 父親の秘密は、寧野に直結している。あれはたまたま当っただけだったかもしれないが、それでも父親が秘密にしなければならないと思うような身に覚えがあることだったのかもしれない。

「どうして? なんで?」


警察とか外にいるんじゃないの? 
どうして誰も助けに来てくれなかったの?

ねえ、どうしてこれだけの騒ぎなのに誰も何もしてくれないの?
うちがヤクザの組員だから仕方ない?

ねえ、どうして?