Dolls-兔(てう)-8

 やがて嘉藤は、その屋敷以外の場所に兔との別荘を作って、夏の間はその別荘へ行くことにした。
 ほぼプライベートビーチになる場所で、近所には金持ちの別荘しかない場所だ。管理は一括して行われ、監視員や警備員が銃の所持を許されている避暑地だ。
「この辺は、人があんまりいないんですよ。ほらあの高い塀があって、あれのお陰ですっかり一般の人は入れないんですよ。まあそのお陰で嘉藤さんのようなお金持っている人が整備にお金を出してくれて、この辺は一大避暑地に変わりました。嘉藤さんのお隣、とは言っても五百メートルは離れてますが、そちらさんもDollさん連れの方々なので外出は気になさらなくても大丈夫です、はい」
 受付でそう説明されたのだが、どうやらこうやって人の個人情報を割と話してしまう人らしい。多分、買った段階で何処の誰が買ったのか、Dollを持っていたなどをその隣人に話してしまっているだろう。
 それを思うと頭が痛い。
「兔、あまり離れるんじゃないぞ」
 先に歩いて行っている兔は、海が早く見たくて急いでいた。ホテルで見た海は工場がある海であって、遠くからだった。今度は近くて目の前で見られると分かってから、兔はこの日を楽しみにしていた。
 兔は手を振って歩いていってしまうのだが、それに嘉藤はハラハラするだけだ。
「そんなに心配せずとも大丈夫ですよ。この辺りは監視カメラもありますし、人はいないですから」
 そう言われても分かっていても不安なのは仕方ない。
「それにしてもおたくのDollさんは静かですね。一言も喋らないとは」
 嫌に詮索する管理人だったので、嘉藤はそれには嘘を答えた。
「人が苦手ですので、人見知りしてるんですよ」
 そういうとそういうものかと管理人は納得できないような顔をしていた。
 家についてからも兔は喋ることなく、何か言いたいときはスマートフォンを使わずに嘉藤に触っていたため、こそこそを話しているという風にしていたら、さすがに管理人もそれ以上追求することはなかった。
「それじゃ、何かありましたら、電話の短縮一番が管理人です。警備は短縮二番です。他のデリバリーや配達などは、それぞれの番号が電話の上に貼っているナンバーになります。それでは」
 管理人はそう言うと、やっと屋敷から出て行った。
 兔はそれを見送ると、嘉藤に言った。
『変な管理人さん、なんかずっと見てるの』
 そう言われて嘉藤はやっぱりそうかと思った。
「兔、あまり私から離れないように。こんなところまで来ておいて何だが……」
『うん、そうする』
 よほど管理人の視線は気持ち悪かったのか、兔がそれに従った。
 部屋中を見て回り、まず鍵を確認した。人は信用しないに限るわけで、案の定裏口の窓の戸が開けっ放しになっていた。人がいないと言っても、屋敷の人間のプライベートを守るために屋敷の周辺は基本屋敷内の人間しか監視できないようにしてある。だがあの管理人だ、信用はできない。
 裏戸の鍵をしっかり閉めておき、兔を連れて海へ行く。
 青い海が間近で見られるので兔ははしゃいでいた。
 波打ち際を行ったり来たりと忙しい。さすがにここまでゴスロリの姿をさせるわけにはいかないので、Tシャツと短パンという簡素なものにしているが、それでも白さは異様に目立ってしまう。
「あれ……こんにちは」
 誰かが歩いてくる音がして、嘉藤はそっちを向いたと同時に声をかけられた。
「びっくりした、いつの間にかそこの屋敷に人が入ったんですね」
 どうやら誰もいないつもりできたのだが、人がいることに驚いている。
相手を見ると、ほぼ間違いなくDollだった。たった一人で立っている。
 黒の髪に青い目という珍しい組み合わせだが、いわゆる楪研究所のSサイズの基本だ。身長は百五十ほど、小さな子供のような出で立ちだが、顔の表情が人とは違った。
「今日来たばかりの、嘉藤です」
 そう名乗るとDollはにこりと微笑んで言った。
「僕は蒼(そら)です。そちらは?」
 そう言うのと同時に兔が飛んでやってきて、嘉藤の腕を掴んで引っ張った。
「こら、兔」
『やだ、そっちのDoll見たら駄目』
 兔は何故か必死になってそう言う。
「あは、嫌われたなぁ。別にご主人さまを取ったりはしないから安心して」
 蒼はそう綺麗に笑う。それは年長者の余裕とでも言おうか。体型からして明らかに兔の方が年上に見えるのだが、それでも年月は精神年齢が上の方が年上に見えるから不思議だった。
「君は一人なのか?」
 そう言うと、首を縦に振った。
「僕のご主人さまは、今お昼寝中。僕は暇で散歩中」
「一人で大丈夫なのか?」
 そう嘉藤が尋ねると、何か気付いたように蒼は兔を見てなるほどと納得したように言った。
「そういう意味なら僕はよくいるDollの色だから、そこまでの興味はなかったみたい。けど、そっちの子は興味を引いたみたいだね。無口だし」
 その言い方には何かありそうである。
「管理人がってことか。嫌に兔に興味を持っていたが、どういうヤツだ?」
 嘉藤がそう尋ねると、兔が真顔になった。嘉藤が心配するように管理人には何かあるのかもしれないと。
「ここの管理をするようになってお金は結構ある。下手な金持ちよりもある。そこで趣味を増やしたいが、なかなかどうして手に入らないものがある」
「Dollのことか?」
「そう、僕たちは主人を自分で選ぶ。特に楪Dollだけは特別仕様。つまり誰にもご主人さまと呼んでくれなかったんだろうね。あれだけ研究所にいるDollから」
「つまり適性がとことんないってことか」
 大抵の場合、寂しさからご主人と呼んでしまうDollもいるのだが、それさえなかったとなれば、よほど相性が悪い人間らしい。実際、兔は気味が悪そうにしていた。このDoll、蒼も同じ感想らしい。
「だから色んなDollが来るこのリゾートの中から、好きなのを買えばいいなんて思ってたりもする。中には積まれた金額に屈してしまう人もいるんだろうけど、そうしない人なら攫ってしまえばいいって考えているかも」
 さらっと怖いことを言う。ここの管理はあの管理人の手の中なわけだ。
 厄介な場所に来たなと思ったが、必要以上に兔と離れるような生活をしていないので、何とかなりそうではある。
『だったらなんでこいつが大丈夫なわけ?』
 自分だけ狙われるのは納得がいかないとばかりに兔が言う。もちろん蒼(そら)には伝わっていないので、そのまま嘉藤がそれを口にした。
「どうして君は無事なの?」
 そう聞くと彼は笑う。
「彼のような人でも怖い人間はいるってことかな」
 さすがによくできたDollだ。ご主人の情報は漏らさないが、それでも回答になる返答をしてきた。つまり政府関係者、もしくは警察関係者という国家権力がついていると言っているわけだ。
「でも嘉藤さんって、お金で困ってるような人ではなさそうだし、相思相愛のDollに手を出すほど困ってるとは思えないから、気を抜かないでいればいいんじゃないかなあ」
 蒼はそう言うと、兔をじっと上から下まで眺めて不思議そうな顔をする。
「僕の知ってるデータで、こんなのはいないんだけどなぁ」
 ギクリとする言葉であるが、兔の反応が早かった。
『こいつ嫌い!』
 そう言うとアッカンベーとやって嘉藤を引き摺って屋敷に戻ろうとする。
「こら、兔……君もそろそろ夕暮れだから早く屋敷に戻りなさい。いくら安全とは言ってもあの管理人の言葉だ、過信するのは感心しない」
 そう嘉藤が声をかけてやると、蒼は一瞬惚けた顔をした後に初めて作り笑いではない顔を浮かべて笑った。
「ありがとう」
 そう言って元来た道を戻り始めた。
 それでも兔は家に入るまで嘉藤を引っ張り続け、そしてドアを閉めた後でもまだ部屋まで嘉藤を引っ張っていった。
「兔?」
 どうしたのだと思ってそのまま付いていくのだが、兔がそこまで怒っている理由が分からない。
 部屋に入ると兔がそのまま抱きついてきて言った。
『アイツ嫌い、高和に色目を使ってた。あいつは誰でもいいんだ!』
 どうやら色気がある蒼の態度が気に入らなかったらしい。色目を使っているというよりは優位に立っている風に見えたくらいだと思っていたが、どうやら兔の中にはそういう駆け引きはまだなかったらしい。
 やはり精神年齢の違いは大きいと言えた。
 さらには彼は正真正銘、最後に作られたDollだ。
 最後とはいえ、Dollの公式な最後のDollmaker楪博士の父親が死んだのが、三十年前だ。そこから見つかったSサイズのDollは国に一旦預けられたはずだ。そのDollの精神年齢は三十歳が最低のはずだ。
 順番から言えば、遙(はる)蒼(そら)の順だったはずだ。だからなのか遙(はる)や蒼(そら)にはそのすべてのDollの記憶があるとされる。
 蒼が警察関係者や政府関係者のどちらかに引き取られたなら、そういった最後だからデータがあるという理由で、特別保管され実験を免れたと見られる。
遙(はる)の方は政府研究所の火事の後、たくさんのDollが死んだ中、見事に再生をして新しい主人を得たはずだ。だから兔は遙(はる)の方は知っていると思われる。だが、そのまま政府関係に引き取られ、今も所有者が個人間の移動のみで済んでいる蒼とは会ったことがない。
 それゆえに、蒼の方が厄介だ。
 案の定、兔の外見から兔という名のDollがいなかったと当てこすりをしてきた。公開されたデータから違うと言えるのは、遙(はる)か蒼だけなのだ。
 蒼がDoll側を裏切っていたら、兔の情報が政府に漏れることになる。
「兔、そういうことはないよ。あれは主人に言われて一人で会いに来ただけだ」
 そう言って嘉藤は兔を引き寄せてベッドに座る。
『言われて?』
「そう。主人はどうせ浜の端辺りにいたと思う。俺たちが危険かそうではないかを試したんだ」
『……そうなの?』
「さっき話している途中で分かった。最後に作られて政府関係者のDollになっているはずだ」
『……それって、遙(はる)と同じ感じ?』
「遙がどういうDollかは知らないが、多分協力的だったのが蒼なんだと思う。そこで蒼は政府関係者のご主人さまを見つけたんだろうな」
 遙にはご主人さまは長くいなかった。政府が調査をするといい、そのまま預かりになっていた。政府がDollを強制的に集め始めた時に研究所で火事が起き、Dollが大量に死んだ。そのせいで個人所有者がDollを解放し、政府預かりのDollにも主人を選ぶ権利が与えられたという。政府は申し出があったならDollを会わせないといけない法律ができた。
 遙はそんな中、治療中に主人を見つけた。政府は手放したくないDollを手放す羽目になった。欲張った結果、失ったものは多かった。だがまだ蒼がいる。
『それじゃ、僕のことバレたってこと?』
「蒼が「兔なんてDollいなかった。データが改ざんされている」とでも報告したら、そうなる」
『やだ、高和と離れるのだけは嫌だ』
「私もそうだよ。でもあの蒼は、そういう報告はしそうになさそうだと思った。最後に綺麗に笑っていたから」
 他人に気を遣われたことはなかったのか、意外そうな顔をしていた。多分、Doll所有者自体に会ったことがないのだろう。他のDollが主人とどういう関係であるかなど、簡単なことが蒼には分からないまま育っている。
『……綺麗とか言ってる……』
 どうも重要な話をしているのに、兔はそっちの方が気になるようだった。
「兔とは比べてないよ。普通に海が綺麗だって兔だって思うだろう。そういうことだよ」
 嘉藤がそう言うと、兔はむうっと顔を顰めている。
 すると電話が鳴った。屋敷の電話が鳴るのは、管理人か何かだと思って出ると、知らない人間からだった。
『さっきのDoll蒼の主人だ。忠告する。俺の屋敷に来い。蒼を案内にやった』
 そう言って電話が切れた。
 そしてチャイムが鳴る。
「どういうことだろうな……忠告って」
『分からない』
 よく分からないが蒼がやってきた。
 玄関に出ると蒼が主人の足りない言葉を口にする。
「管理人が何かするつもりだから、避難して、ほら荷物を簡単に持って」
 そう言うのだが、それが罠だとしたらどうすると嘉藤は悩む。
「言っておくけど、俺たちは君たちに干渉はしたくないけど、目の前で行われている犯罪を放置することはできない。特にDoll関係はねってこと」
 そう蒼が言うので、嘉藤は覚悟を決めた。
 どっちにしろ、これが罠だとしても管理人が何かしてくることは本当なのだろう。嘘の罠で引けるとは思ってはいないだろう。
 荷物はまだ解いてなかったのでそのまま持って移動した。