Dolls-兔(てう)-4

 朝起きた時、しっかりと胸に兔を抱きしめたまま眠っていた嘉藤は、ハッとして目を覚ました。
 隣にいる白い生き物を見て一瞬、びっくりするのだが、それが兔であると分かって、ハーッと肩の力を抜いた。
 そういえば抱きしめたまま寝たっけと思い、ゆっくりと捕まれていた兔の手を離す。兔は完全に寝ているようで、寝言も何も聞こえない。
 そっと布団から出て、兔を見下ろす。
 プラチナブロンドに近い髪が乱れて顔を覆っている。それを少しだけ嘉藤は直してやって顔を眺めた。
 正直、連れて帰ってきてしまったことを少しだけ後悔していた。
 一人いることに慣れ、一人で生きてきたのに、こんなにスルリと他人を受け入れてしまった。スッポリと自分の孤独を埋めるように、最後のピースが填まったかのように、兔を普通にあるものとして見ている自分がいる。
 Dollとは元々は人の孤独を埋めるために作られた人工人間だ。そしてそれぞれの求め方をして使い方を間違った。そういうものだ。
行くところがないからと言って引き取ったようなものだが、それ以上に兔の心があまりに綺麗だったから、惹かれたのもあった。
 だが過度な期待は、今まで嘉藤を裏切ってきた。でもそれでも兔を手元に置こうと必死に考えている自分がいる。自然と口から兔が喜ぶことを言いたくなるのだ。
嫌われることを極端に恐れ、能力を使ってしまう自分が怖くて引きこもった。
 けれど兔は心を読まれることを恐れない。知ってもなお触れてくる。それがどれだけ嬉しいことなのか、兔は分かってないだろう。
 人に触れられることがどれだけ嬉しいことなのかは、きっと兔には分かっただろう。
 あんな寂れたところで、ずっと暮らしてきた。
 博士は所詮博士で、ご主人ではない。初期Dollたちは新しい主人をもらって去って行く。それを兔はずっと見てきた。
 自分の主人が来ると聞いて、どれだけ心待ちにしていたのか。あの叫びで理解した。兔はずっと待っていたのだ、自分だけの主人が来ることを。
 それを無碍にできなかった。
 泣いている兔を見たくなかった。
 兔がこちらの情報をどれだけ与えられているのかは知らないが、兔は一般常識ほどの嘉藤の情報は入っていると思われる。
 正直に言うとありがたかった。祖父のことやイリヤのこと、それを根掘り葉掘り聞かれるよりは、先に情報としてあったほうがやりやすい。
 更にイリヤの自殺の真相を知っている兔が、イリヤに恨みを抱いてないことは不思議だが、それでもイリヤを慕っている風なのは、それまでに築き上げたものが関係しているのだろう。
 それを尋ねたいが、辛い記憶に直結しているそれはさすがに聞けなかった。
 だが、裏切っていないといい、博士はご主人ではないと言っている。つまり不倫の清算に関して、イリヤが言う裏切りとは何のことなのか。Dollは博士を親として見ているが、ご主人にはなり得ない設計がされているはずだ。だから元から博士はその器にないことになる。
 兔の側を離れて、部屋を出て、向かい側にあるドアに入る。
 一時期株や世界を知るためにと仕事部屋としてインターネットをする場所を用意していた。現在でも様々な契約はそのままで、時々使ってはいた。
 それを起動させる間に部屋に置いてあるインスタントのコップに入ったコーヒーを入れる。それをかき混ぜながらブラウザを起動させた。
 検索するのは、Dollの記事だ。
 Dollの基本設定を調べてたどり付いた個人サイトの情報をまとめたサイトに辿り着く。個人サイトとはいえ、作った本人がDollの所持者である。
 警告のために作ったもので、Dollの間違った情報を訂正している。

 まずDollは、孤独な人に対して作られたとされる人工人間。人間の卵子や精子の遺伝子操作を行い、楪博士の定説する理論に合わせて配合をし直したものである。
 どういうわけか、この配合の情報は博士のみが知る方法で、供述などには含まれることがなかったため、同様のDollを作ることが不可能とされる。
 遺伝子情報の一部が書き換えられていることは読み取れるが、それをどう組み替えたらそうなるのかがまだ解明されていない。
 Dollの性別に関して。女性を作らなかったのは妊娠や出産というリスクを回避する方法が見つからなかったのではないかと言われている。楪博士には娘がいて、息子がいなかったことから、息子が欲しくて制作を開始したのではないかと言われている。その娘にも息子がおらず、最初のDollが作られた時、娘がそれを息子として育てていたという。
 年齢固定に関しては、老いる子供を見たくなったという顧客の要望からと言われている。最初のDollを見た人間からの注文で、研究費が膨大に入り、口コミで広がりという流れでスポンサーが増えて研究所はあそこまでの大きさになった。
 楪の娘は婿をもらい、その婿は父親の言うことを聞かずに研究を横取りし、初期Dollの三十番ほどから八十番ほどまでを数十年で清算を続け、闇販売を行った。
 小児性愛者向けが多かったためか、SサイズのDollが生産が多くされ、そしてそれらは永遠に失われることになった。
 その範囲を離れたSサイズではあるが十五歳ほどの少年のDollや、Mサイズ、百六十センチ以上のDollは実験的に後期に作られた。LやLLサイズは珍しいタイプで、ほぼ生き残りは執事やその関係の仕事へ重宝されていて大事に育てられていた。
 個人所有のDoll関係者に協力を願い出て、個々の記録があるのだが、身体的特徴などと一緒に所有者として国の登録がされている。つまり誘拐などをすることは不可能であるという明記がされていた。
 個々の体に発信器など居場所が分かるようにされていて、初期Dollが発見保護された経緯が知れる。いわゆるDollmakerの楪が作ったDollの所在はすべて把握済みである。
 全部で百体はいたDollの半分はSサイズで、死亡が確認されている。現在所在が分かっている物で三十体。内十体はその後老衰にて死亡が確認されている。初期も初期のDollであるから人間で言うと九十歳や八十歳と脳の年齢が進んでいた。こんな次代になっても脳年齢だけは直すことができないのだと証明された事件でもあった。
 政府が公開しているDollハウスには、望(のぞむ)旭(あさひ)快(かい)雷(らい)という四体の遺体が公開されている。
 それを見て嘉藤は舌打ちをした。博士が言っていた通りなら、それ以外のDollの遺体は実験に使われバラバラにされているのだろう。
 正直生きているDollもまともに暮らせているのかさえ分からない。
 個人Dollは、他の誘拐に備えるよりも政府による不当な保護を嫌っていて情報公開をしているらしい。
 新しい情報公開として、兔の所持者が変わったこともすでに載っていた。

 Doll、兔Mサイズ-○月○日、楪研究所預かりから個人所有に切り替わり。
 Doll、倭(やまと)Mサイズ-○月○日、楪研究所預かりから個人所有引き継ぎ。

どうやら書類は政府に提出され、それが認可されて情報公開されていたらしい。
その前の記録を見ると。

 Doll、遙(はる)Sサイズ-○月○日、楪研究所預かりから個人所有に切り替わり。
 Doll、皐(こう)Lサイズ-○月○日、研究所預かりから個人所有引き継ぎ。

 などとある。
 割と最近の記録が多く、楪研究所を通した取り引きが多いことが分かる。
 個人引き継ぎというのは、元々個人所有だったものを研究所で調整に出し、そしてまた個人に戻すことを言うらしい。
 楪がよく言っていた。所有しきれなくなったものを所有していることすら知られたくなくて、楪の研究所へ捨てていくことが多いと。初期Dollでも中期に作られたDollには追跡ができないようにされているものも多くある。それらを楪が追跡できるように細工することもあるらしい。
 楪の父親が作ったモノは、基本闇市にしか出回らない。彼のしたことの罪は大きく、また人権侵害にあたるとして糾弾もされた。
 Dollの意志を妨げる行動をする人間を人権侵害として訴えることも可能で、Dollには市民権がある。けれどそれは楪が作ったDollに限られており、遺伝子操作され生まれた人工人間の闇販売に出され偽Dollとして生まれたDollには適応が難しいとされている。
 国が扱いきれなくなるほど増える偽Dollのお陰で、本家Dollの所有を巡る争いが勃発し、個人所有者が政府の方針を訴え、個人所有が可能になった。また政府に預けたはずのDollが消失するなど不審な点が多くあり、現在追求中でもあるらしい。
 つまり生きたままの実験の失敗もあったということだろう。それを死亡扱いにし、遺体を勝手に焼却した事件も取り上げられている。
 昨今の個人所有が増えたのは、楪Doll保護を目的としたものもある。
 楪は不明Dollに上手く兔を紛れ込ませたと言っていたので、いわゆるSサイズDoll生産が多かった時期のDollと上手く情報を書き換えた。それが政府に通ったとなれば、仕掛けは上手く作動したらしい。
 思わずホッと息を漏らす。
 Doll所有に関しては、研究所から受けるより国の研究所からの受け取りが難しいようだ。苦労して何度も通って受け入れようとした人が跳ねられたりもしている。
 楪のところにも通って受けようとしている人もいたが、こちらはそれ以上に人選が厳しくされ、Dollの個人所有に関しては独断と偏見で選ばれているらしい。
 つまり嘉藤のように博士に選ばれて押しつけられるというわけだ。
 無茶をするなとは思うが、あれを押しつけられて虐待できるような人間は選んでないのだろう。
 楪は父親や祖父がしでかしたことの後始末をするかのように、Doll保護を何回も行い、助けてきたようだ。
 だが兔に関しては、やはり研究者の血がそうさせてしまったのだろうか。一度はDollを作ってみたい育ててみたいという、純粋な欲望だ。
 もしかしてと嘉藤は思う。
 嘉藤とイリヤに子供がいないことから、その子供にしてもらうつもりでいたのかもしれないと。まあ、それでも人に後始末を押しつける辺りは父親たちに似たのだろう。
 Dollに関しての情報では、Dollは遺伝子操作された人工人間で、基本人と変わらない。食事など人と同じようにして構わない。個人的な嗜好も存在し、好き嫌いなどもある。人間のようなカロリー過剰による太るということはないのは、過剰なカロリーは摂取せずに捨てる機能があることが分かっている。
 女性からすれば理想の体といえるが、捨ててしまうカロリーを溜めることができないために餓死の恐れが高い。食事を怠ると人間よりも早くに餓死や脱水で死ぬ。過剰生産された性的虐待を受けていたSサイズDollのほとんどはその餓死や脱水で死んでいるのだという。
 基本に人の孤独を癒やすものとしてあるため、ペット感覚の人間が多く、食べ物を与えすぎるのを予防するための処置だったが、その事件では裏目に出たといえる。
 そのDollに関して、Dollが関係を望む場合、答えてやらないとストレスがたまるらしい。
「Dollが関係を望む……って」
 Dollにはそういう意味を持たせたものもいる。初期の初期こそ子供みたいなものだったが、後期のDollはそうした意味も持たせられるようにできているわけだ。主人に対して恋心を抱くこともある。人間と同じだ。
 感情の排除はできないのが人工人間だ。いくら遺伝子をいじっても感情はなくならないし、心は生まれるというわけだ。
 兔が、博士は博士で、ご主人さまはご主人さまと分けて考えていたことを思えば、それはあり得ることだ。
 確か兔は年齢的には十七歳だと言っていた。思春期真っ盛りである。それを考えれば思考はかなり子供である。どうやら育った十年間の育成も年齢に入っているらしい。つまり実質兔が普通に起きていた期間は、七年だがうち二年ほどは事故の関係で眠っていたとされているので、五歳児と変わらない。
 だが急激に思考を成長させていくらしく、単調な研究所生活とは違った日常になると違ってくるのだろう。
 散々、情報を読んで見たが、これが兔に当てはまるのかが分からない。
 強化Dollとして生まれている兔だ。何かに外れたことがあるかもしれないのだ。ヒントとなるモノには目を通しておいた。
 一時間ほど情報を探したが、めぼしいモノは個人サイトでしか得られなかった。
 そうしていると家のチャイムが鳴った。
「嘉藤さん、お邪魔しますよ」
 そう言って現れたのは、家政婦の西室麻世(にしむろ あさよ)だ。
「麻世さん、おはよう」
 二階からエントランスをのぞき込んで言うと、麻世はホッとしたように笑顔になった。
「お帰りでしたか、どうでしたドライブの方は?」
 そう言いながら買い物袋を重そうに持っているのを下ろした。
「ちょっと説明することがあるので、ダイニングで待っていてもらえますか。荷物はしまっていて構わないので」
 そう言うと分かりましたと麻世は下がっていく。
 麻世は、嘉藤の親友、西室真路(にしむろ しんじ)の姉である。元々、この家の家政婦をしていて、その流れで毎日ご飯を作りにきてくれている。たまに掃除もしてもらうのだが、一人なのに元気なものだ。
 真路から色々聞いていて、嘉藤が触れることを嫌がることを知っていて気を遣ってくれる人でもある。なので、嘉藤は今まで麻世の真意を覗いたことはない。非常に人嫌いの祖父に気に入られていた人なので、そういうところの分別は人一倍気を遣う人らしい。
 嘉藤が自分の部屋に戻り、着替えをしていると、兔がさっきのチャイムが聞こえたのか起きていた。
「おはよう、兔。起き抜けに悪いが、紹介したい人がいる」
 そう言って着替えが終わると、兔は頷いて起き出し、荷物の中から服を取りだしている。
 着替えを済ませると、兔は嘉藤に抱きついてきた。
『おはようございます、高和。……さっきのチャイム、人が来たの?』
「そうだよ、家政婦と言って、ご飯を作ってくれる人だ。とてもいい人だから大丈夫だよ」
『僕のこと、怖くない人?』
 兔がそう言う。
 どうやら自分の見た目が人と違うことは理解しているらしい。さすがに楪の教育はちゃんと行き届いている。
「さすがにそこまで保証はできないが、それでも会わないで暮らすことはできないからね……嫌ならちゃんと後でいいさない。その時はちゃんと配慮するよ」
『分かりました……』
 兔はそうは言っても、あの研究所を出て初めて出会う主人以外の人だ。まともに話ができるのかさえ分からない。
 二階から下りて、ダイニングに兔を連れていくと、さすがの麻世も驚いていた。
 一つ、十五歳ほどの外見の子供を嘉藤が連れていること。
 二つ、その子供が嘉藤に触れていることだ。
 三つは、さすがに外見は驚くところであった。
「あら、まあまあ、何から驚いていいのか、私の頭は混乱してます」
 麻世はそう言って豪快に笑っている。
「まあ、驚くことはたくさんあると思いますが、この子は兔。Dollです」
 そう言うと、まさかDollが目の前に現れるとは思ってなかった麻世が更に驚いて笑う。
「あらあら、まだ驚くことがありましたか。ごめんなさいね、驚いたり笑ったりして。私は西室麻世といいます。よろしくお願いします、兔さん」
 そう言うと、兔は慌てて頭を下げた後、スマートフォンを操作した。
【兔です、初めましてよろしくおねがいします】
 機械音がして、それに麻世が真顔になる。嫌な予感しかしない行動だからだ。
「そうなんだ、兔は声が出せない。声帯が壊れていて、治せないんだ。だから麻世さんとの会話は今のような形になってしまうのだが、不快に思わないでほしい」
「いえ、不快だなんて。あの声は聞こえてはいるんですね?」
「ええ、問題は声が出ないことだけですので大丈夫です」
「分かりました」
まさかの衝撃の連続に麻世も困惑していたが、そこに兔のお腹がぐーっと鳴った。
「……お腹空いてたのか、すまない」
 緊張で忘れていたのか、お腹が鳴ったことで兔は顔を真っ赤にした。
『恥ずかしい、恥ずかしい……こんな時に!』
 兔はそう叫んで嘉藤の後ろに隠れた。さすがに普通の子と同じような感じに見えて、麻世は微笑んでから言った。
「さっそく何か作りましょう。嫌いなモノはありますか?」
 そう言われ、嘉藤が兔に促す。
「食べたいものをいいなさい。麻世さんは何でも作ってくれるよ」
 そう言われて真っ赤な顔をしながらも兔は。
【フレンチトーストが食べたいです】
 と返事をした。