Distance 4round Start in my life

「なーんで、そんなに頭が回るかな……」
 左部(さとり)はため息を吐いてそう言っていた。

「俺のこと馬鹿だと思ってたんだろ!」
 唯はムッとして突っ込んだ。

「いや。利口だけど、こういうのは弱いかと。本当はもう少ししたらこっちからバラす予定だったんだよな」
 左部は当初の予定のことを口にした。

 最初、唯にバラすのは「緖川ゆい」のアルバム発表があってからということにしておこうと思っていた。
 その頃には、唯の叔父もいて、ちゃんと喧嘩の決着もついているころだろうと。
 そうすれば、被害者は誰も出ていないということも確かめられたし、唯に被害が行くようなら、それなりに力を言わせたネタを用意することも出来ていた。

 それを聞いた唯はがっくりと肩を落として、ソファに寝転がってしまった。
 もう慣れてしまったソファである。

「左部……なんでそこまで……ってどうして」
 唯がそう言うと、左部はそれまで隠していたことを教えてくれた。

「ほんとは、唯の家に行ったとき、唯の同居人が何をやっている人なのか知っていたんだ」
 左部が言うと、唯は驚いた顔をした。本名は唯と同じ右左(うさ)である小宮だ。そんなに簡単に見破れるものではないはずである。

 それを見破ったということは……。

「もしかして、左部……小宮正司の作品好きとかいわないよね……」
 思い当たるのはそこしかない。かなりの好きな人物くらいしか本名など知っているはずないだろう。

「昔、好きだったんだ……だからショックだったし。またかと思ったらな」
 左部は正直に、ただ淡々と事実を述べてくれる。
 それは隠されるよりはいい事実かもしれない。

「またって、まさか好きだったのは、yuki?」

「そそそ、あの声が好きだったんだ。だけど、くだらないことでむちゃくちゃにしてくれて……な」

「くだらないことって……!」

「そりゃ、唯にとっちゃ大変な事だったかも知れない。だけど、俺にとっては、そんな些細なことで、yukiの声が聞けなくなるほうが辛かったってことだ。あんな騒動になって慌てるくらいなら、なんで最初から声出していた人のままで売らなかったんだって、そうすりゃ俺らyukiファンは嫌な思いなんかしないですんだのにってな」
 左部は、幾人も思ったであろうファンという感想を述べてくれたのだ。

 左部はyukiの外見が好きだったわけじゃない。
 ただ、唯の声が好きだったからという理由でファンだっただけだ。
 だから小宮のやり方はまったく理解出来なかったし、純粋に声だけ売りにしているアーティストだっているのだから、どうしてそうしなかったと二度とyukiの声が聞けなくなってから何度も思ったのだという。

「そんなにyukiの声が好きだったんだ。でも、もうyukiは……」
 左部が好きだと言ってくれた声は変声期を迎えてからはもう二度と出ない。だからyukiは二度と存在しないのだ。

「ま、お前がその正体だったってのは、かなり衝撃だったし、初めて会った時もびっくりしたけど。想像してた声の持ち主って感じで怒りは湧かなかったな」
 左部は軽くそう言って笑う。
 ずっと憧れていた声の持ち主に出会ったことに気づいた左部は、本当に嬉しかった。

 それは想像していたように、静かな雰囲気を持った人だった。
 この衝撃で、左部は唯のことを放って置けなくなってしまった。
 あんなことがあった後、彼がどんな気分でいたのだろうかと思うと本当に辛かったし、その後静かに過ごしている唯を見ていると、どうしても放っておけなかった。
 だだ、唯はそんなのに負けない力を持っていた。
 慣れているとばかりに立ち向かって、更に控えめにしている姿は、あの事件さえなければここでもっと笑ってくれていたかもしれないと思うと、健気すぎた。

 そこで左部は一年の時の一年間、ことあるごとに唯に構ってみたりした。
 そして今年は、いつも通りにしようと思っていたのに、北上神のおせっかいのお陰で一番近くにいられる存在になってしまった。

 それでも左部は先に進むことが出来なかった。
 怖くて仕方なかったのもある。自信がないのもあった。
 ただ。
 ただ、右左唯(うさ ゆい)という存在が、好きでたまらなくなってしまっていたのもあった。

「……怒りとかもわかなかった? 正体知ってがっかりなんてならなかったの?」
「ああ、ぜーんぜん」
 左部はそう言って、笑っている。
 まだ、自分の気持ちを伝えることが出来ない。
 そこは自分は臆病だと思う。


「そんな風に思ってくれたって……ちょっと嬉しいかも」
 唯は左部に自分の声を認めてもらったのが嬉しかった。
 でもと思う。今回の「緖川ゆい」のことは、左部はさほど騒いでなかったし、聞いているようでもなかったようなと。
 それを指摘すると、左部は顔を真っ赤にして言うのだ。

「そ、それは……」
「それは?」

「ちゃんとCDも保存版込みで買っておいてあるし!」
「保存版込み……マニアだね」
 まさか、そこまでされているとは思いもしなかった。

「それって俺の声だって知ったから?」

「うん、解ってしまったからだ。けど何か事情があるのだろうしと思ったし。かといって、目の前で好んで買うわけにもいかなくてな。ここは仕方ないので、東稔を使って買い出しをお願いした」
 人を使ってまで買うというのは、かなりのファンだろう。
 確か、あの発売日の後、話題になったこの「緖川ゆい」のCDは入手困難になって一時期市場に出回らなかったほどだ。

 ダウンロードランキングでも堂々の一位であるし、人はそれだけ唯の声に興味があるということだ。
 特に、ダウンロードなどは気に入ったものしか落とさないものだから、それは声の要素や歌の具合などによるかもしれない。

 東稔にお願いしたという件で、唯は爆笑してしまった。
 そこまでして欲しかった声なのかと。

「だから、唯には悪いけど。俺は、緖川ゆい名義のアルバムが出て欲しいんだ。このままおしゃかになったら、唯の、せっかくの唯の声が無くなってしまうだろ。写真や書いてあることは偽物でも、声が唯なのは間違いないわけだし、俺はそこ解ってるしで」
 左部は、これは自分がそう望んでいるからこう言うのだと言ったが、少しは唯も思っていたことだ。

 さっきまで緒川ゆいのアルバムが出て、ゆい名義の声が残ってしまうのは嫌だったのに、左部が唯の声だと解っていて、それをほしがっているのが解ってしまった今、どうしよう今回は左部の為に残した方がいいかもしれないと思えてきた。

 歌うことが好きな唯。どんな形であろう、好きな人がその自分の声であると知ってくれているのであれば、名前など関係ない。音源が残ってくれればいいと思えるのが、今は不思議でならない。

 その好きな人は、音源が残る方が大事だと言って、あえて「緖川ゆい」の正体までには触れなかった。
 もし緖川ゆいを潰す目的なら、唯の名を出して完全に潰すことは出来た。

 でも、それでは唯が困ると思ったのだろう。緖川ゆいの声は男だという噂に留めていてくれた。ただ男だという噂が出れば、最初は小さい噂かもしれないが、小宮が過去にやったことから同じことをしているかもしれないと、ある意味次は絶対に唯を使った緒川ゆいは作れないことを脅して知らせたことになる。
 
 その証拠に、知人を使って小宮が連絡を取ってきた。
 契約になっている分のアルバムは破棄出来ないが、今後唯を使った緒川ゆいは作らないと言ってきた。
 噂は唯が恐れるよりも、小宮の方が堪えたらしい。
 
 だから緒川ゆいは二度とCDを出さないし、唯の声が吹き替えのように使われることもない。
 
 左部は、噂を流すことで唯を困らせるより、小宮に過去の出来事を思い出してもらい二度とやらないようにさせたかったらしい。
 それは唯の声を大事に思っているから、左部はそうやって道は残してくれている。
 歌っていくという唯の道をつぶさないようにしてくれた。

 いつか自分の名前で歌うことが出来る日がくるかもしれない。そうなった時、この騒動は確かに邪魔にはなるかもしれないが、その頃には緒川ゆいは忘れられた存在になっているだろう。

 歌ってもいい。下手なフリしなくていい。 
 いつか、そう思って生きていってもいいのだと左部は教えてくれる。
 何より彼が唯の声が好きだと言うのだ。

「いつか唯が歌いたいと思った時はさ、男の子でもこういう声が出せるんだって、そういう証明になればいいなと思って、余計なこともしたかもしれないけどさ」

「……左部」

「お前の声は、とても俺を落ち着かせてくれる。すごく好きだ」
 左部は真剣にそう言っていた。

「声だけじゃない、唯自身がすごく好きになった。右左(うさ)唯という存在そのものがすごく好きだ」
 左部の真剣な言葉に唯は涙が出そうになった。

 すごくすごく嬉しくて、自分が望んだ答えが返ってきたから。
 この言葉を待ちきれずに自分から言おうと思ったくらいに。

「……左部……お、俺も、左部のこと……好き……」
 唯はそう答えていた。
 ずっと気になっていたのだ左部のことは。拾ってもらう前から左部の存在はすごく気になっていた。
 それがなんなのかずっと考えていたけれど、そんなのはすぐに分かることだ。

 左部のことが好きで気になっていただけなのだ。

「なんだ両思いだったんだ。良かった。俺、これやったことで唯には嫌われるかと思ってた」

「そ、そんなことない!」
 唯が慌ててそう言うと左部はうんと言って笑う。

「唯が呆れているけれど、怒ってないのはよくわかったよ」
 左部はそう言って笑う。どうやら唯の気持ちなど大体把握していたようだ。

「知ってたなんて……」
「あーそれはね。なんとなくといいますか」
「酷い……」
「でも俺は分かってても確認しないと心配なわけよ。分かる?」
「それはそうだけど……」

 唯は段々怒っている自分が馬鹿らしくなってきた。
 左部は唯の気持ちを分かってはいたが、今回の騒ぎで嫌われるかもしれないと思っていた。けれど、唯が意外に冷静であることから、それほど衝撃を受けていないと思って安堵していた。

 そして、本当に右左唯という人間を手に入れるために、この作戦すら利用していこうと思ったらしい。

 この辺は左部らしくて普通の行動なのだろう。利用出来るものはなんでも利用して、自分にいいように、唯にあまり負担がかからないように考えて行動する。

 北上神とつるんでいるくらいだ、それくらいのことはするだろう。

 けれど唯も両思いだったのはちょっと以外で嬉しかったことだった。