Distance 1round 愛うらら 3

15

 千冬の疑問には、幹太が答えてくれた。

「見てて解んねぇ? 俺、こんなにも多保の事好きなのに……」
 幹太はよよよっと演技をして声色を変えてそう言った。
 でも、完全にふざけているわけではない様子なのは見てわかった。

「んー、解ったけど。好きってどんな好き?」

「ん?」
 幹太が首を傾げる。どんな好きとはどういう意味かと。

「その……」
 千冬はその深い意味を知りたかった。

「その?」
 幹太が千冬の顔を覗き込んでくる。

「その……き、キスとかしたり……したいとか……?」
 千冬はそう言って顔を真っ赤にしながら尋ねていた。

 本当に恥ずかしい台詞だったし、こんな事、聞く事じゃないとは解っているのだが、どうしても聞きたくなってしまうのだ。
 それにはちゃんと理由がある。それに意味があるから聞きたかったのだ。

「而摩(しま)、どうしたんだ、いきなりそんな事言い出して……」
 真っ赤になっている千冬を見て、岸本が不思議そうに聞いてきた。

「え……っ、あの……意味があるのかなって思って。だって、俺だって多保の事、好きだよ。でもそれって友達として好きな訳であって……その幹太のとは違うのかなって」
 千冬は素直に正直に答えていた。

 幹太が多保を好きなのは、友達として千冬が好きなような感じではないのは解る。だから、その好きの種類が幼馴染みだからというものではないのだと聞きたいのだ。

 それは幹太に聞く事じゃないかもしれないけど、好きってどういうものなのかを聞いてしまいたいのも好奇心から来るものである。

 その衝動を押さえられないのは、年頃というのもあるのだろう。

「もちろん、千冬が言ったような、そんな意味の好きだよ」
 幹太は恥ずかしがる事なく、正直に自分の気持ちを言って退けた。

 それに怒ったのは多保だった。案の定、幹太は多保の鉄拳を食らっていた。でもそれでも多保の顔は真っ赤で恥ずかしがっているだけにしか見えない。

 そんな多保は可愛いと思う。

 たぶん、多保も幹太が言うような意味で幹太の事が好きなのだろう。いつもの毒舌が出ないところを見ると、やはりそうとしか思えない。

 部活をやったら危険だと思っているのも、幹太が何度も言って聞かせた事であって、それに多保は素直に従っている。

 譲るところは譲るのは、多保のいいところだろう。

 まあ、幹太が多保をそういう意味で好きなのが解ったのは良かったが、千冬にはある疑問が生まれていた。


 好きじゃなくてもキスってするのだろうか?
 というそんな事だ。

 じゃれあっている幹太と多保を見ながら岸本は笑っていたが、千冬が考え込んでいるのを見て顔を覗き込んできた。

「どうした、而摩(しま)?」
 その言葉で千冬はハッと我に返った。そして疑問を口にしてしまった。

「あの……好きじゃなくても……キスとかってする?」
 千冬は下を向いたまま3人に尋ねた。

 ハッキリ言って自分でも何を聞いているのかと思っているのだが、聞かずにはいられなかった。

 それは、世嘉良(せかりょう)の事だ。

 いきなりのキス。あれには衝撃を受けた。自分は世嘉良の事は好きじゃなかったし、ただの教師だと思っていただけなのだ。双方が好き同士じゃないとキスってしないんではないかと思っているのだ。

 だから、自分がキスされた事は、何かの間違いだと思いたいのだ。ましてや、世嘉良が自分の事を好きだなんて信じられないからだ。

 可愛いとは言われてはいても、それは社交辞令としてしか受け取ってない。

 こんな状況でキスの話題を出してしまった。

「あーうん。好きじゃなくてもキスとか出来る奴もいるし、するのもいるのは確かだよね。相手が嫌がってるのにするのは、やっぱ一方的かな」

 それまで幹太を殴っていた多保が答えてくれた。
 一方的、その言葉を聞いて、千冬はハッとした。

 あれは一方的なキスだったのだ。それもディープキス。でも、嫌がる暇はなかったし、妙な気分になってしまったのは確かだ。

 それは嫌がってないってことになるのだろうか。

「そう……なんだ」
 千冬は力が抜けたようにそう言っていた。

「何? 千冬は嫌なのにキスされたのか!?」
 幹太が慌てたようにして小さな声で問うてきた。
 その言葉に千冬はハッとして顔を上げて焦って答えた。

「い……いや、あの、そうでも、ないけど……」

「そうでもないけど?」
 3人が声を揃えて聞き返してくる。

「なんていうか……いきなりとか……出合い頭の事故っていうのか……なんて説明していいのか解らないけど、そんなのってどういう……ことかと……」
 千冬は言い淀んでしまう。
 本当に何と説明していいのか解らない。

 あれは本当にいきなりで千冬にだって意味が解らない出来事だったのだから。それを今説明しようにも、こっちが説明して欲しいところだ。

 世嘉良は千冬を可愛いと言ってキスしてきたのだが、可愛かったら誰でもっていうわけでもなかった。確かに世嘉良は千冬だからするのだと言っていたからだ。

「事故って……千冬、もしかして、世嘉良先生に無理矢理やられたのか?」
 多保がいきなり世嘉良の名前を出したので、千冬は驚いてしまった。
 どうして相手が世嘉良だと解ってしまったのだろうか?

「ど、どうして、先生って……っ!」

 千冬が大慌てで多保に聞き返すと、3人は溜息を吐いて顔を見合わせていたのだった。 多保がはあっと溜息を吐いて、千冬に聞いた。

「千冬、もしかして気付いてなかった?」

「何を?」
 何に気が付くのだろうと千冬は首を傾げる。

「千冬と世嘉良先生が出来てるって噂」

「えええ!?」
 多保の言葉に千冬は大声を出して驚いた。

「なんだ、全然気が付いてないでやんの」

「あれだけ言われてたのに……」
 3人はそう言ってうんうんと頷いて、呆然としている千冬を見てまた溜息を吐いていた。

 千冬は頭の中が真っ白だ。どうしてそんな噂が広まっているのか。キスした事だって誰も知らないはずなのに、どうして出来ているなんて事になるのだろうか。

 それを千冬が聞くと、この間、入部書を持ってきた世嘉良の話しになった。

「あれで、何で?」
 あんな事で何故噂が立つのだろうか? それが意味が解らない千冬である。

 確かに話しはしたし、入部書を持ってきたと世嘉良は言った。ただ、逃げ回っていたのを見破られただけだったのだ。それがどうしてそうなるのか? と、千冬には意味が解らない。

 すると多保が言った。

「あの先生の事は、エスカレーター式で上がってきた生徒達なら、誰でも知ってるんだ。でね、ここからが問題。あの先生は自分から動くような人じゃないって事。つまりね、千冬にわざわざ入部書を持って来た時、あの先生は千冬にマーキングしただけでなくて、千冬は自分のモノだって見せつけた訳よ」

「マーキング……」
 確か、項にキスをされた時、その意味はマーキングだと世嘉良は言った。

「あっ……うん」

「どうした?」

「あの……同じような事、言われたと思い出して……」
 千冬は顔を真っ赤にしてそう答えた。

「へえ、そりゃマジだねぇ」
 幹太が言った。

「で、でも、どうして俺なの? だって俺何もしてないよっ!」
 どうして自分がマーキングされたり、マジに思われたりしなければならないのか。別 に世嘉良に何かした訳でもないし、いつもされてばかりなのだ。

「してなくても、一目惚れってあるでしょ。この天然君」
 岸本にそう言われて頭を小突かれた。

「一目惚れ……有り得ない……」  

「え?」 

「だって、あんなにカッコイイのに、女の人だって放っておかないはずだし、困っているわけじゃなさそうだし!」
 千冬は世嘉良について思った事を口にすると、幹太が口笛を吹いた。

「おおー誉めるね。まぁあの先生はカッコイイですよー」
 必死になっている千冬を岸本が茶化してくる。

「男同士なのに、おかしいよ……」
 千冬は声を震わせながらそう言っていた。

「別におかしくないさ。世の中にはそういう嗜好の奴だっているし、同性しか好きになれないのや、バイって言って、男でも女でもいけるのだっているんだよ。まぁ、千冬はこんな世界を知らなかっただけだよな。今、タレントでも多いじゃん、ね」

 幹太はそれこそ普段のふざけた様子から、真面目な顔をして言って退けたのだ。

 千冬はその時、ハッとした。幹太は多保の事をそういう意味で好きなわけで、それを千冬はおかしいと言って否定してしまったのだ。

「幹太……ごめん」
 千冬が小さくなって謝ると、幹太はふわりと笑って言った。

「いいんだ。それは千冬の考えだしね。でも、そういう人がこの世には何万人もいるって事覚えておいた方がいいよ。それに世嘉良先生のことも、男同士だからって頭から否定しないで考えてみるのもいいんじゃないかな?」

 同性の多保を好きだという幹太は解っているのだ。この事がそう簡単に認められる事ではないことを。
 その横で、多保が小さく溜息を吐いた。

 それに気が付いた千冬は、多保ももしかして同じ考えなのかもしれないと思った。

 多保が幹太の事を好きなのなら、千冬は二人の友達を否定した事になるのだ。
 そんな事で友達を失いたくない。そう思った。

 それには、まず幹太が言うように、そういう世界がある事を受け入れて、それから世嘉良のやってきた意味を考える方が、一歩前に進める感じがする。

 千冬はそう思って。

「うん、考える。だから、ごめんね」
 千冬はそう言って二人に謝っていた。

「いいんだよ」
 幹太はやはり寛大で、無理しなくていいってと笑って言った。

「まぁ、気持ち悪がるのも普通だから、千冬の反応は普通だよ」
 多保がそっぽを向いたままで、ボソリと呟いた。
 千冬がおかしいのではなく、そういう嗜好の人がまだ世の中ではおかしいと思われているのだからと言われた気がした。

 だが、この学校ではその普通ではない事を受け入れないといけない環境にある。千冬はそう思って、男同士だからという考えではいけないと思い始めていた。

 

16


 放課後。

 千冬は、スケッチブックの入った大きなバックを下げて、美術室へ向かった。

 その途中、外のグラウンドではサッカーや野球などの部活が活発に行われている。サッカーはランニングの途中で、野球部は何かストレッチなどをやっている。その裏にあるテニス部も活動をしているようだ。

 渡り廊下から見える光景を見て、この学園は結構運動が盛んなのだと解る。その運動面 にはまったく自信がない千冬には無縁な事だ。

 2つある体育館でも部活が行われているのだろう。それに柔道や空手などもあるような学校だ。とても進学校とは思えないくらいに部活が盛んなのだ。

 文系の部活は別館の方に部室を構えている事もあって、入学式に訪れた時のような静けさはなく、放課後なのに本館より賑わっていた。

 その賑やかさの中を千冬は美術室へと向かう。

 美術室は2階にあるので、階段を登ろうとした時だった。千冬はいきなり呼び止められたのだ。

「而摩(しま)くんだよね」
 と。

 その人は、写真部部室と書かれた部屋から出てきた所だったようだ。
 呼び止められて千冬は止まって振り返った。

「あ、はい……」
 どうしてこの人は自分を知っているのだろうと、千冬は不安になった。
 その千冬の不安を感じ取ったのか、相手はにこやかに話し掛けてきたのだ。

「あ、俺、2年の下水流(しもつる)ってものです」
 確かにネクタイを見れば、線は緑色だ。2年なのは間違いない。

「はぁ……」
 にこやかに挨拶をされても、千冬はなんて答えたらいいのか解らない。
 大体、写真部の人が一体何の用なのだろうか? と、千冬は首を傾げた。
 その千冬をじっと見ていた下水流はうーんといいながら言った。

「いやー、実物はほんと可愛いね。先生の気持ちが解ってきたよ」

 そういいながら、手で四角を作って、そこから覗いているのを見ると、どうやら写 真の被写体として見ているのだろう。何度も向きを変えて、繰り返している。これをどうしたらいいのか解らない千冬は、その場を動けずにいた。

 どうしよう、このまま無視していっちゃっていいのかな……?

 不審人物として認識し始めてしまって、千冬は困ってしまう。これが多保の言っていたオオカミではないだろうし、でも先輩を無視して行くのもどうかと思うのだ。

「あの……?」
 これ以上、何か用事があるのだろうかという意味で千冬は尋ねていた。
 すると、下水流はハッとして写真を撮る真似を止めた。

「ああ、ごめんね。被写体としていいと思ってね」

「はぁ……」

「いやー本当にもったいないな。本命がいると人気下がっちゃうし。でも絡みはありかなあ……」

 下水流(しもつる)は独り言のように呟いている。しかも何故か悔しそうだ。

 本命がいるって何なのか。何の人気なのかも、下水流が言っている事の半分も千冬には解っていなかった。

 この人何がしたいのだろう?と何度も思っていた。この場をどうにかする方法を思い付けなかった千冬に助け舟が出されたのは、それからすぐだった。

「孝晃(たかあき)! またそうやって下級生を捕まえて何やってんだ!」

 いきなり大きな声で後ろから怒鳴られ、千冬はびっくりして振り返った。

 そこには多保みたいな美人の上級生、2年のネクタイをした人物がツカツカと歩いてきていた。どうやら廊下の端で姿を確認して怒鳴ったらしい。

 下水流は、まったく動じた様子はなく、にこにことして言ったのである。

「よう、景(けい)」
 手を上げて、にこやかに景と呼んで、その人物を迎え入れる。

 景が傍までやってくると、千冬は景を見つめて少しホッとした。この人物は何故か安心出来る雰囲気を持っている。多保とは違った美人であるし、真面 目そうなのも目を惹いた。


 この学校って、男なのに美人が揃ってる……。
 などと、千冬はまったく関係ない事を思ってしまっていた。

「よう、じゃない。何やってんだって言ってるんだ」
 景がそう言うと、下水流はニヤニヤとして答える。

「浮気じゃねえよ」

「そんな事を聞いてるんじゃない」
 下水流(しもつる)の言葉に景はピシャリと言葉を告げる。こういうところを見ると、景の方が真面 目で上位にいるような感じがする千冬である。

「冗談、冗談。で、この子、誰だと思う?」

「その冗談にも乗れないな。で、誰?」
 いきなり廊下で捕まえた下級生が誰なのか、それは景にも気になる所らしい。じっと千冬を見つめている。

「これが噂の、而摩(しま)千冬くんでーす」
 下水流がそう言って、千冬を紹介した。

「え?」
 千冬と景が同時に声を出した。

 千冬は噂のと言われた事に対して驚いたのであって、景は千冬の事を噂のという意味で知っていて、その人物なのだと言われて驚いたらしい。
 紹介された千冬は不安そうに景を見つめ、景は驚いたままで千冬を見つめていた。

 そして、最初に笑顔になったのは景の方だった。

「俺は、上和野(うわの)景って言う。2年で写真部ね。よろしく」

「あ、1年の而摩千冬です。宜しくお願いします」
 何が宜しくなのか解らないが、千冬はそう言って自己紹介して頭を下げた。

「で、捕まえて何やってんだ?」
 千冬には笑顔を向けるが、下水流には何か疾しい事があるのだろうという視線を向けて景は言うのだった。

 どうやら助けを出してくれたらしい。それに千冬はホッとした。やはり見た目通 りの人物らしい。

「何ってそりゃ」

「そりゃ?」

「被写体にいいから、出来ればモデルをなんてお願いしようかなと考えてました」
 下水流は戯けたように言って、ニヤニヤとしている。何でもないかのように、千冬を引き止めた訳を言って退けたのだ。

 千冬はモデルと言われて驚いてしまった。自分を写真に撮りたいなんて言う人がいるなんて思いもしなかったからだ。

 そんなモデルだなんて……何考えてるんだろう……。
 千冬がそう戸惑った時だった。

「それは出来ない相談だな」
 と、いきなり声が降ってきた来たのだ。

 3人はびっくりして階段まで行き、上を見上げた。

 そこには、世嘉良(せかりょう)が下を覗き込んだまま立っていた。そして、ゆっくりと降りてくるのだ。その優雅さに千冬は目を奪われていた。

「げっ!!」
 世嘉良の姿を見つけた下水流は、カエルの潰れたような声を出して、ヤバイという顔をして一気に顔色を無くしていく。そして上和野の後ろに隠れたのだ。

 みっともないくらいの変わり身である。

 千冬はただ呆然としていた。


17

世嘉良(せかりょう)が階段を降りてくると、すぐに千冬に近寄ってきた。

「千冬」
 世嘉良はそう名を呼んで、千冬を抱き寄せる。肩に手を回してギュッと抱き締めるのだ。これはもういつもの世嘉良だ。それは千冬も気にしない。こんなスキンシップは何故か慣れてしまったのだ。

 そして世嘉良は千冬の耳元でゆっくりと言ったのだった。

「あんまり、遅いから心配したぞ。何かあったのかと思った」

 久しぶりに、しかも耳元で囁かれると、自然と千冬は顔が真っ赤になってしまう。この声には弱いし、耳に息が吹きかけられるのも弱い。くすぐったいのと何か熱いものが込み上げてきて、赤面 してしまう。

「案の定、虫に捕まってるしな。まったく目が離せない」
 世嘉良はそう言って千冬の頬を撫でた。

「虫……って」
 なんだろう?と千冬は首を傾げてしまう。

 当然、普通の虫の意味でない事は解っている。だが何を意味しているのかが解らない。まったく世嘉良の言う事は、何でも謎が多くて解り辛いのだ。それには千冬も困ってしまうのだ。

「それになんだモデルって。千冬も怪し気だと思ってるだろ?」

「モデルの何処がですか?」
 世嘉良の言葉に千冬はそれがどうしたと返した。

 本当にモデルをするのであれば、普通に撮るだろうと千冬は思っていたのだ。だが、世嘉良の言い方だと何か違う意味みたいだ。

「解ってるのか? モデルといっても普通のじゃないぞ。あいつは千冬のイヤらしい写 真を撮って売ろうと考えてるんだぜ」

 呆れたように世嘉良が言うのだった。
 その言葉に千冬は目を見開いて固まってしまう。


 イヤらしいのって……まさか、ヌードとか……?
 え、でも……男のだよ?
 あ、でも……男でもいい人っているんだよね……?
 うわっそれって……。

 だんだんと顔が真っ赤になってくる千冬。まさかモデルにそんな意味があるとは思わなかったのだ。そんな意味で言われているとも想像もしてなかったが、世嘉良に指摘されて千冬が考えたのは、女性のヌードのようなモノだった。

 さすがにそれは恥ずかしいだろう。撮られるだけでなく、売られてしまうのだから。

「そういうイヤらしい事を先生こそやってるんでしょうが!」
 と、下水流(しもつる)が反撃に出た。でも上和野の後ろに隠れたまま。どうやら、下水流は世嘉良の事が苦手らしい。

「趣味でそんなの撮ってるお前に言われたかないな」
 世嘉良はそう言いながらも、千冬の頬をゆっくりと撫でている。その撫で方が妙にイラやらしく見えるのは、他の人の目からも明らかだったが、千冬には何故かそれが心地いいと思ってしまう出来事だった。

 まだ少し放心していたが、その撫でる手で千冬は我に返った。

「せ、先生……」
 不安そうに千冬が世嘉良を見上げると、世嘉良はにっこりと笑って言うのだった。

「大丈夫、俺がいる限り、そんな写真は撮らせないからな」
 そう断言してくれるのだ。それは世嘉良が千冬を守ってくれるという意味なのだろうとなんとなくではあるが、千冬にも解った。

「あーイヤだ。そんな甘い先生、初めて見る。人間、変わったんじゃないんですかー?」

 甘く千冬を撫でて、安心させている世嘉良は、彼等が知っている世嘉良ではない。それは上和野も見てそう思っていたからだ。有り得ない出来事に出会っているのである。でも、それは千冬には解らない。世嘉良は最初からこうなのだからだ。

「千冬の事は特別だからな。こうやって大切にしているだけさ」
 世嘉良はそんな甘い事を言う。それに2人はげっそりとした顔をした。有り得ない言葉を聞いてしまったからだ。

 その言葉に千冬は、ふと多保達が言っていた言葉を思い出した。世嘉良は千冬を大事にしている、という言葉だ。3人ともが納得していたみたいだが、今もそうやってされているという事なのだろう。世嘉良がどんな人なのかまだよく解らないが、この甘いのが、世嘉良という認識の千冬には、意外でもなんでもなかった。

 でも、大事に、大切にされているというのは、もし嘘だとしても言ってくれただけで、嬉しいと感じてしまうのは、仕方ないと思う。千冬は素直に嬉しかったのだった。

 騒ぎが少し治まったところで、世嘉良はあの事を切り出した。

「で、例のモノは出来たか?」
 下水流(しもつる)をニヤリとして見て言う。こういうニヤリとして人を見下したような人が世嘉良という人間である。煮ても焼いても食えないというのが定評だ。

 その言葉に下水流はじーっと世嘉良を睨んで言ったのだった。

「出来ましたよ! 百枚ジャスト! ネガ付きですよ!」

「後で持ってこいよ。金は払ってやる」

「当たり前ですよ!」

「ほー。勝手に写真売り払って儲けている奴がいう事か? どうせ千冬の写 真も限定発売したんだろ?」
 世嘉良は下水流のやりそうな事を見越してそう言い放った。すると、その話しに上和野(うわの)が入り込んできた。

「まぁ、そうですよね。それも法外な値段ですし」

「景、まさか……」
 下水流は話しに割り込んできた上和野を見上げて、不安そうに青い顔をした。

「こっちとしても、裏儲けやってるわけですし、それを見逃してもらったという事で今回の写 真はチャラでもいいですよ」
 上和野はそう言い切ったのである。その言葉に下水流(しもつる)はムンクの叫びの顔をしている。

「さすが、上和野(うわの)は話しの解る奴だな」
 世嘉良は満足という笑顔を上和野に見せた。それに上和野は答える。

「いえ、千冬くんにも悪いですからね。ごめんね、千冬くん」
 上和野はいきなり千冬に謝ってきた。

 だが、そう言われても千冬には身に覚えのないことで、なんで謝られているのかがさっぱりだった。

「何がですか? 謝られるような事、されてませんけど?」

 千冬がそう言うと、上和野と下水流が意外そうな顔をした。そして二人で顔を見合わせるのだ。千冬はどうしたんだろ? と首を傾げる。世嘉良はニヤリとしているだけだ。

「あの、もしかして、呼び出されたりとか、告白とか、そういうのされてない?」
 下水流が信じられないという顔をして尋ねてきたのだ。上和野も同じような顔だ。

「多保とかはされてたけど、ああいうのはないですよ」

「まったく!?」

「はい」
 千冬は素直に頷いた。多保がされている事を千冬もされていると二人は思っていたようだったが、それはさっぱりだったのだ。だから謝られても困るのだ。被害はないのだから。

「先生! どんな手、使ったんですか!?」
 下水流が大きな声で叫んで世嘉良に聞いた。信じられないとまだ疑っていて、千冬が被害に合わなかったのを世嘉良のお陰だと見抜いたようだった。

「そりゃ、トップシークレットだ。なんだ、やっぱり写真売ってやがったのか」
 世嘉良はそう言って舌打ちをした。限定発売とか言っていたがやはり千冬の写 真は一部だが出回っていることになる。

「そ、そ、そりゃ少しは……先生より早く注文された分は。頼まれた分だけですよ。その他は売ってません。一応信頼ある写 真部ですからね、断れないんですよ!」
 下水流はそう言って世嘉良に反撃したようだった。
 その下水流に上和野が吐き捨てるように言ったのだった。

「裏のな」

「景ー」

「俺は無条件に千冬くんの味方だしね。過去の事を思えば、当然だろうが」
 上和野はそう言い切った。

「う、そりゃ……まぁ……」
 と歯切れの悪い下水流。どうやら前科があるらしい。それで上和野も苦労したのだろうと千冬は何となく解った。多保でさえあんなに苦労してるのだから、この上和野景もまた同じ目に合っていたに違いないのだ。

「ああ、上和野(うわの)さんも昔、前鹿川(ましかわ)多保みたいに大変だったって事ですか?」
 千冬がそう言うので、世嘉良はよくで来ましたとばかりに頭を撫でた。

「そうだよ」

「やっぱり、上和野さん、凄い綺麗ですもんね」
 千冬が素直にそう言うと、脱力したようになってしまう世嘉良である。

「千冬、可愛い子も大変なんだぜ」

「え?」
 千冬は不思議そうな顔をして世嘉良を見上げる。

「千冬みたいに可愛い子はね、弱いと思われているから、押せば何とかなると思ってる輩も多いんだぜ」

「でも、俺、可愛くもないし、大変な目にもあってませんよ?」
 千冬は自分の事は可愛いとは認めてないので、こんな言葉が出てしまうのである。

「それは俺がいるからだぜ」
 世嘉良はニヤリとして言うのである。その言葉に千冬は、あっと思い出したように言った。

「もしかして、あの変な噂のせいですか?」

「変な噂ってなんだ。本当に千冬の事が好きだから守ってるんだぜ」

「え?」
 本当に好き? 千冬は聞き間違えたのかと思ってしまった。でも確かに世嘉良はそう言った。間違いない。その呆然としている千冬に世嘉良が言うのである。

「そうじゃなきゃ、今頃、前鹿川(ましかわ)の二の舞いってところだったんだぜ」

「多保の……二の舞い……」
 考えただけでもぞっとする出来事だ。変な噂も妙な所で役に立っているようである。このまま否定するよりは、曖昧にしていた方が身の為だという気がしてきた。

 世嘉良を利用しているのは気が引けるが、多保みたいに大変な目に合うのも嫌だと思った。

「そう考えれば、俺、1人相手している方が楽で安全だろ?」
 世嘉良がそう言ったので、千冬はうんうんと頷いてしまった。

 あれ……? 何か違うような……?
 と千冬は首を傾げたが、何がおかしいのか気付く事は出来なかったのである。

 

18


 美術室に入ってみると、やはりというか、見事に誰もいなかった。

 部活初めなのだから一人くらい先輩や同級生がいるかと期待していたのだが、見事に裏切られた。そんながっかりとしている千冬を見て世嘉良(せかりょう)は苦笑した。

「そうがっかりするな。一対一だって言っただろ?」
 世嘉良にそう言われ、肩を叩かれた。

 確かに世嘉良は最初からそう言っていたはずだ。千冬はそれを思い出してため息を吐いた。
 まあ、もともと美術をしたがる生徒がいるとは思えない学校だから、これも仕方がないことなのだろうと思うしかなかったのである。

 運動部の方が盛んで、文系の方はあまり活動はしていないような感じである。
 外からは、威勢のいい声が木霊して聞こえてくる。


「とりあえず、石像のデッサンからやってみようか……」
 世嘉良はそう言って、千冬のために席を一つ教室の後ろに用意して、その側にあった石像を一つ選んでテーブルに置いた。

 なんだか、意外に普通で千冬は拍子抜けという感じだった。

 今まで描いてきたモノを持ってこいとは言われなかったし、どんなのが趣味なのかも聞かれはしなかった。
 これが世嘉良のやり方なのだろうかと、千冬はふと思った。

「千冬、好きな向きでいいんで描いてみな」

「あ、はい」

 千冬は席に進められて、そこへ座ると、持ってきたスケッチブックを取りだし、鉛筆やら筆記用具を出し準備した。
 世嘉良は、千冬の後ろに立って、その様子を眺めていた。
 千冬はセッティングをすませると、すぐにデッサンに取り掛かった。

 千冬はデッサンには慣れていたので、スムーズに筆が進む。特にあーでもない、こーでもないとは悩むことはなくて、一回それを見ると、こう描きたいというイメージがすぐに湧いてくるのだ。それに合わせて描いているだけ。

 その筆がスムーズに動いているのを見て、世嘉良は少し意外な感じがしていた。
 千冬が本格的に美術系に興味があるとは思ってなかったのだ。趣味程度にはやっているだろうというくらいしか思ってなかったのだ。

 でも千冬は真剣に石像を見つめ、そしてスケッチしている。
 その絵は、かなりの上手さだった。ただし、素人にしてはである。

 でも高校生として何かの賞に出せば、努力賞くらいには引っ掛かるか?というタイプの絵だ。本格的にやっていた自分と比べたら、鼻で笑ってもおかしくはない。だが、真剣に取り組んでいる千冬をみていると、そんなことはしたくなくて、ただもっと上手くなるようにしてやりたいと思ってしまう。

 そんな感じだ。
 趣味としてやるくらいなら、それなりに評価はされるだろう。

 美術系を苦手にしている人間からすれば、それはかなりの上手さになってしまう。でも玄人からすれば、まだまだ未熟だ、になってしまうという微妙な線に千冬はいるのだ。

 それでも趣味だけで、ここまで描けるのなら、本人がどれだけ絵が好きかは解るものだ。

「出来ました」
 千冬は、自分ではここまでと思ったのだろう。鉛筆を置いて、スケッチを差し出した。
 スケッチすることに悩まず、ひたすら描いていたから、十分な出来だ。

「ほう、早いな」
 世嘉良は、関心したように呟いた。

「そうですか?」
 千冬を少し首を傾げて、世嘉良を見上げていた。
 早過ぎたのかな?とちょっと不安になったのだ。

「30分経ってないからね」
 と、世嘉良は答えて、千冬をスケッチブックを取り上げた。
 じっくりとその絵を見入る。

「やっぱり、下手ですか……?」

 千冬は不安になって、世嘉良に尋ねていた。世嘉良は美大を出た、美しい絵を描く教師だ。どんな事を言われても仕方ないとは思うが、あまりに下手だと言われると、なんだかショックを受けそうになってしまう。

 世嘉良は暫くその絵を見ていたが、ふっと笑って答えたのだった。

「そうだな。趣味でやってきたにしては上手い方だと思う。ただ、専門から見れば、素人に毛が生えたって感じだな」

 世嘉良は下手に褒めたりはせずに、素直な感想を述べていた。
 千冬は、それを真剣に聞いて、うんうんと頷いていた。

 やはり専門の人から見ると、下手なのが解ってしまうのは仕方ない事だ。それでも、素人にしては上手いと言われた方が嬉しかったりする。だって、自分は素人なのだから。

 それに、今まで趣味でやってきた事を否定はされなかった。
 趣味だから許されるくらいに、自分の絵は見られるということになる。別 に玄人にはなろうとは思ってないから、その評価は十分過ぎくらいである。

「でも、好きだ。絵が好きだって気持ちが伝わってくる、いい絵だな」

 世嘉良はそう言って、千冬の頭を撫でた。千冬はそうされると、何故か気持ちがよくなってしまう。なんだろう、この気持ちはと考えても解らない。
 褒められたから嬉しいのではなく、こうされるのが気持ちいいと思ってしまうのだから、表現のしようがないのだ。

 でも顔は笑顔になってしまっていた。
 そのにこにこしている千冬を見ていると、世嘉良はたまらなくなってしまう。

「千冬……」

「は……い?」
 絵を好きだと褒めて貰って、嬉しくなって頭を撫でられて、更に嬉しいと思っている千冬の顎を世嘉良の手が捕らえる。

「あ……」
 千冬がはっとなった時には、もう千冬の唇には世嘉良の唇が重なっていた。

 またっ!

 一瞬の隙を突かれたとはいえ、またキスされるような好きを与えてしまったのかと思うと、千冬は悔しくなる。

 でも、抵抗しようと世嘉良の身体を押し退けようとしたのだが、その手首を捕られ、身動きが出来なくなってしまった。

「ふっ……ん」
 唇の向きを変えると、甘い声が漏れる。
 感じたくないのに、千冬は世嘉良のキスに感じてしまっていた。

 覚えてしまった感覚が押し寄せてきて、千冬の頭は何も考えられなくなっていく。

 口の中を動き回る舌が舌を求めて絡みついてくる。逃げようとしても、それは出来なくて、次第に答える形になってしまう。
 手首を掴んだ手が離れても、千冬は暴れることはしなかった。
 自然に世嘉良の服を掴んでしまっている。

「はっ……ん」
 息がしやすいように世嘉良は何度も唇の位置を変えてキスを続行している。
 このキスを続けていると、千冬の身体に異変が起きた。

 胸がドキドキするのは当たり前として、そうじゃなくて身体の中心、男の象徴するモノが段々とじんじんとしてきたのだ。

 前も少しは感じてはいたが、今ほどではなかった。
 今のキスが濃厚で、それに身体が反応しているようだ。

 その身体の反応に戸惑っていると、その戸惑っている場所に気がついたように、世嘉良の手が動いた。
 そして、その手は、千冬の熱が溜まっている場所に辿り着いた。

「!!」

 ギュッと自分自身を握られて、千冬ははっとして目を見開いた。
 

19


「あ……いやっ」
 唇を解放されて、千冬の口から嫌がる言葉が出てきた。

 だが、世嘉良(せかりょう)は手を止めず、ズボンの上から何度も千冬自身を握ってくるのだ。
 嫌だと思っているのに、千冬はしっかり反応していて、勃っているのだ。

 世嘉良に刺激を与えられ、千冬はブルブルと身体を震わせた。感じているという反応であって、嫌悪からくるものではなかった。
 それはもう千冬にも解っていた。誤魔化せない事実である。

 世嘉良はニヤリとして、千冬の耳に息を吹きかけた。
 それだけで千冬はギュッと世嘉良の服を握りしめてくる。

 感じているような反応だ。

 世嘉良はそれに満足して、すっと手を進めた。
 これは千冬の反応を見ていたからだ。この分だと大した反撃はなさそうである。

 元々千冬にはそういう所がある。人を拒絶する事が出来ない性格なのだろう。

 世嘉良が、千冬のズボンのベルトを外し、ボタンやチャックを開けてズボンと一緒に下着をずらせると、千冬がハッとしたように顔を上げて世嘉良を見上げてきた。

「先生……な、何する、の……?」
 不安そうな千冬の声が上がった。

 それさえも世嘉良は千冬にキスをすることによって封じてしまう。

 反論出来なくなったところで、世嘉良はすっかり勃っている千冬自身をすっと手で握った。
 キスをされて、気を反らされていた千冬だったが、この感触にはさすがに驚いたように目を見開いた。

 でも、それで止まる世嘉良ではなかった。
 世嘉良がキスをやめると、千冬がはっと息を吐いた。

「あ……ん」

 甘い疼きをくれる、世嘉良の手がゆっくりと動き始める。それに千冬は甘い声を上げていたのだ。

 他人からされるなんて、初めての経験である。
 それでも身体が反応してしまうのだ。
 世嘉良は千冬の耳に舌を這わせながら囁いた。

「マスかいたことはあるよな?」
 世嘉良にゆっくりと擦られながらも、千冬は耳に入った言葉にかっと顔を赤く染めた。

 つまり、やったことがあるという事だ。
 男なら一度はやった事がある事だ。何も珍しいことではないし、千冬も知らないという程、無知ではなかった。

「それにしても、綺麗なピンクだよな。あんまりやってない?」

 千冬のようなタイプなら、性欲があるような盛りの少年とは違って、もっと淡泊なはずだ。
 他人からはさすがにされたことはないのは、反応を見ていれば解る事で、世嘉良はニヤッとしてしまう。

 これは千冬には初体験というのだから、嬉しくて仕方がないとしか言い様がない。
 千冬は世嘉良の言葉に、小さく一度頷いた。

 こんなことは、進んでするものではないし、そこまで千冬は欲求不満というわけでもなかった。
 出来れば、こんな事はしたくないとさえ思っていたのだ。

 一人でしている時、達した瞬間に妙な空しさが残ってしまうのだから、進んでやろうとは思わないわけである。
 そんな事情は世嘉良には解らない。でも世嘉良は嬉しそうに口の端を上げて微笑むと千冬の耳にまた囁いた。

「性欲はあまりないけど、ちゃんと俺のキスに答えてくれた訳だ。嬉しいね」
 そう言って、世嘉良はクスッと笑うと、握ったものを激しく扱き始めた。

「あ……っ! やっ……!」
 いきなり襲ってきた快楽に千冬は、どうしていいか解らなかった。怖かったわけでもないし、ただいきなり来る知らない快楽は少し怖かったのもある。
 何故世嘉良がこんな事をするのとか、そういう考えはすっかり翔んでしまっていた。

 与えられる快楽に身を預けてしまっている。
 ギュッと目を瞑って、快楽に堪えようとしているのだが、思わず頭が後ろにのけ反ってしまう。

 世嘉良は強めに千冬自身を握って上下に扱いてくる。

「は……あっあっ」

「気持ちいい?」
 世嘉良がそう耳元で囁くと、千冬は何度も首を縦に振った。

「人にやってもらうと自分でやるより違うだろ?」
 そう言われた瞬間、耳を甘く噛まれて、千冬はびくっと身体を震わせた。

 自分でやっていた時より、はるかに快感がくるのは確かだった。それも物凄いものだったのだから、千冬にはただただ喘ぐしか方法がなかった。

「あっー……あっ、だ、だめっ! あ!」
 快感が体中を巡る。信じられないくらいに気持ちが良くてたまらない。扱き上げる世嘉良の手は、千冬の精液の先走りによって、滑ってきて滑りがよくなっている。

「はっ、あ、あっん」
 千冬は喘ぎ声を上げながら、世嘉良の服を握りしめていた。
 そして、だんだんと追いつめられていく。

「やっ……だめ……い……ちゃう……っ」
 千冬は頭を振って、射精を堪えた。でも、それも時間の問題だった。
 世嘉良は耳元で優しく言い放ったのである。

「いっていいんだぜ。その為にやってるんだから」
 ゾクッと腰にもろにくるような甘い声で言われて、千冬はもう堪えるのを放棄してしまった。

 もうどうにでもなってしまえという感じだ。

「やっあっあっ……いく、いくー」
 千冬自身は爆発寸前だった。
 その千冬の耳に世嘉良は言う。

「いって」
 世嘉良がそう言って、扱くのを強めてやると、千冬は一気に達した。

「ああっー!」

 甘い声を上げて、千冬は一気に精を吐き出した。その時、身体がびくびくっと震えて絶頂を迎えた。

 世嘉良は千冬が達する時に、すっとハンカチを千冬自身に被せて、それで精液を受け止めた。

「たくさん、出たね」
 世嘉良はそう言って、千冬の無防備になっている唇にキスを落とした。

 千冬はもう精力が尽きたかのような困ぱいぶりで、ぐったりとイスに凭れているだけだった。少し意識が遠くへ行っているようだ。

 世嘉良はそんな千冬の下半身を綺麗に拭いて、下着やらズボンを綺麗に元のように戻してくれていた。そんな様子を千冬は少し遠い世界で見つめている感じであった。

 まだ絶頂の余韻に浸っているのだ。まだ力も戻ってないのか、腕もダランとして下に下がったままだ。
 ただ、吐く息はまだ甘さを残していて、色っぽくみえる。

 世嘉良はそんな千冬の頬を撫で、軽くキスをした。キスをして放した唇を舌で舐めて唇を甘噛みした。そして、顔中にキスを落とした。

「ちょっと、千冬、遠くへいっちゃったな」
 あまりの千冬の放心ぶりに、世嘉良は苦笑してしまった。

 ここまで感じてくれるのは嬉しいところなのだが……などと心の中では喜んでいた。

「千冬?」
 千冬を現世に呼び戻す為に世嘉良は、少し強い声で呼びかけた。

「ん……?」
 まだ、放心してはいるが、答えてくる声はあった。

「気持ちよかった?」
 世嘉良がそう聞くと、千冬ははあっと甘い息を吐いて答えた。

「……うん、びっくりした……」
 千冬はそう答えて、ゆっくりと目を閉じた。

「そう、よかったか」
 世嘉良は言って笑っていた。それは千冬の意識にも残ってた。

 だが、世嘉良は少し困っていた。手でやっただけなのに、ここまで放心してしまうとは……最後までやったらどうなるんだろうと、不意に思ってしまったからだった。

 これはまだ序の口。入門編なのだから。

 

20

 とにかく、放心したままの千冬をそのまま電車で帰しては、周りから何をされるのか解らない。世嘉良(せかりょう)の危惧は当然として、千冬を自分の車で連れ帰ることにした。これなら部屋まで安心して運べるからだ。

 最初、やっと事の成り行きに気がついた千冬が嫌がったのだが、世嘉良は有無を言わせなかった。

 世嘉良曰く、こんな状態で帰りつくわけない。という理由からだったが、せっかく家が隣同士なのだからという言葉に、千冬は甘える形になってしまったのだった。本当なら逃げ帰りたいところなのだが、それは世嘉良がそうはさせないだろうと何故か思ってしまったのだ。

 ここで逆らったらどうなるか。そう考えたら何故か怖い感じがしてしまったのも事実である。

「どうせだから、一緒に飯でも食おうや」

 世嘉良からそう言い出して、千冬は断る言葉を思いつかなかった。

 世嘉良と食事をするのは、これで二度目だ。一度目も確か変な感じで一緒に食事することになってしまったのだが、まあそれは千冬の食生活を心配した世嘉良が気を利かせてくれたのだろう。でも今回はそういう訳ではなさそうだった。

 帰りに二人分の簡単な夕食材料を買い込んで、世嘉良と千冬は家に辿り着いた。

「じゃ、着替えたらこっち来いよ」

 世嘉良はそう言うと、千冬の持っていたビニール袋を持って部屋へと帰っていく。どうやら、両親の留守中の家に上がるのが面 倒なわけでなく、勝手が利く、自分の部屋の方がいいのだろう。そんな世嘉良の後姿を見送って、千冬は部屋へと戻った。

 今日は何だが変な日だった。世嘉良のしてきたことにもあるのだが、多保や幹太のこともあった。二人がそういう関係であるのは解ったが、それが自分と世嘉良との関係とは何か違っているのではないかと思ってきたからだ。

 いくら好きだと言われても、千冬は世嘉良を好きだとは言えなかった。何故言えないのかは解らない。好きだとは自覚してないのだとは千冬には気がつけない状態なのだ。

 まったく、自分に何が起こっているのかさえ理解できてない状態では、どうしようもないことなのだ。

 制服から私服に着替えて、携帯電話を持つと、千冬は世嘉良に言われた通 りに世嘉良の部屋へと向かった。どうしてこんな状況になったのかもまだよく解らない。何故、自分は世嘉良がしてくる事を許しているのだろうか。それが解らなかったのだ。

 玄関のチャイムを押すと、世嘉良がすぐに玄関のドアを開けてくれた。

「さあ、入れよ。食事は今準備してるからな」
 世嘉良はそう言って、千冬を部屋に通すと、さっとキッチンへと消えていった。

 前と同じ状況で、千冬にはやることがない。手伝おうと思ったのだが、世嘉良が手際よく準備しているのを見ると、邪魔しちゃ悪いかな?と思ってしまう。

「千冬は嫌いなものはなかったよな」

「え、はい」
 千冬がそう答えると、世嘉良は振り返って苦笑した。

「だから、断らなくていいから、座れば?」
 そう言われて、千冬は大人しくソファに座った。

「今度からは断らなくていいから、自分の家だと思って寛げばいい」

「で、でも、そういうわけには……」

「俺は、千冬に寛いで欲しいな」

「はあ……」

 なんで、こんな状況になってるんだろう?

 千冬はそう思ってなんだか変なことになってきたと思った。最初はただのお隣さんだったのが、学校の関係者で教師で、今じゃ部活の顧問の先生になっている。 それは、別 に珍しくもないのだろうが、それ以上の関係となると微妙だ。

 思い出しても恥ずかしいのだが、今日、世嘉良にされた事は、思い出しても恥ずかしいっていうものではない。もう羞恥。それ以上に誰にも言えない事なのだ。まさか、自分があんな状態になるとは思ってもみなかった。流されている?とは思うが、自分の感情がわからない。

 好きってなんだっけ?

 そんな言葉が浮かぶ。世嘉良は自分を好きだと言ってあんな事をしてきたのだが、本当に何が好きなのかが解らないのだ。
 今まで、人に好きとか言われた経験がなく、しかも同性から言われた事もない。

 初恋は、無残にも、女の子に嫌われて実らなかった。自分はその女の子を可愛いと思っていたのに、その女の子は千冬の外見が気に入らなかったらしい。
 こんな、女のような童顔の男に好きだと言われても女の子は困るしかなかったのだ。

 でも、それは千冬が思っているような事ではない。女の子は自分より可愛い男の子の存在が許せなかっただけだったのだ。引き立て役にしかならないと思ったのだろう、それだけで千冬は恋愛の対象外にされてしまったのだ。

 それからの千冬は女の子に恋をするような事はなかった。それからまもなくしてイジメが始まったからだ。心を閉ざして、イジメを切り抜け、それでも人恋しくて堪らなかった心を押さえつけてしまうことを覚えてしまった。

 それが少し変わったのは、母親の再婚だろう。その父親となった男は、千冬を本当に可愛がってくれた。事あるごとに可愛いといい、本当に出来た子だと褒め、本当にそう思っていってくれてるのが解って、嬉しいと思ったのだ。それから千冬は少しだけ変わった。

 好意を向けてくれる相手に対して、少し寛容になったのだろう。許せると思ってしまったのだ。
 でも、同年代ではまだ巧くいかないことも多い。その分年上から言われると弱いのかもしれない。

 でも、世嘉良がしてくる事の意味は全然解っていなかった。どう理解すればいいのか誰も教えてはくれないし、そんな教材なんてないのだ。 こうして食事を作ってくれることも戸惑いはある。何故、そこまでしてくるのかも解らないのだから。

「ちょっと悪い。千冬、皿出してくれるか?」
 世嘉良はそう言いながら、フライパンを持ってうろうろしていた。

「あ、はい」
 千冬は素早く立ち上がって、キッチンに向かった。世嘉良が出してくれと言った皿を戸棚で見つけて、軽く洗ってキッチンの隙間に置いた。

「サンキュ」

 世嘉良はそう言って機嫌よく皿に料理を盛り付けていく。今日は、フライパンで焼いた焼肉だ。何故か世嘉良が千冬には肉が足りないと言い出して、でも焼肉セットは持ってなかったのでこうなってしまったのだ。

「あの、ご飯入れましょうか?」
 千冬がそう申し出ると、世嘉良はん?っという顔をしたが、拒否はしなかった。任せると言って、戸棚から茶碗を出してくれた。

「今朝、炊いてあったのだから、あんま美味くないかもしれないけど」
 世嘉良がそう言ったので、千冬は思わず言ってしまう。

「それなら、炊いたご飯を少し冷まして、ラップに茶碗一杯分を巻いて冷凍しておけば、いつでもレンジでチンして美味しいのが食べられますよ」
 ずっと家事をしてきた千冬が出した答えに、世嘉良は少し驚いた顔をして聞いてきた。

「よく、そんな方法知ってるな?」

「ええ、まあ。母が忙しかった時は俺がご飯作ってましたし、それで家事は出来るようになったんです。再婚してからも、結局俺がやる羽目になったし」

 千冬はなんでもないとばかりに答えた。それが千冬にとっては普通の出来事であり、他所がどうしてるかなど気になどしてなかったからだ。
 千冬の家庭環境をよく知らない世嘉良には驚く出来事ではあったらしい。少し見開いた目が千冬を見ていたからだ。

「だから、一人暮らししても大丈夫なわけか……」
 妙に納得したような顔をして世嘉良は言った。

「大丈夫って訳じゃないですけど、家事は大丈夫だって、お父さんも言ってたから……」

 そう、生活面では千冬は大丈夫ではある。でも一人暮らしをするにあたっては、父親はかなり難色を示したのだ。一人は可哀想だの、心配だの言って、駄 々をこねたのは母親より父親だった。そういうところは、千冬より子供だった。それを思い出してしまい、千冬はぷっと吹き出して笑ってしまった。

 いきなり笑い出した千冬に世嘉良は驚いて聞いてきた。

「なんだ? 何が可笑しい?」

「いえ……すみません。思い出し笑いです。お父さんが、俺が心配で駄々をこねてたのを思い出したんです」
 そう言って、千冬は更に笑う。世嘉良はそれを目を細めてみていた。

「そりゃ、俺が一人だったら心配かもしれないけど、母が大丈夫だって言うのに、どうしても心配だって言って聞かなかったんです。説得するにも大変で。学校の事がなかったら、たぶん、俺九州に連れて行かれてたと思います」

「ふむ。その心配は解るな」

「え?」

「千冬は家事が得意。でも、世間に対してはまだ子供だ。それを残していくとなれば、父親なら誰でも心配するだろう。俺でも心配だ」

「先生が?」

 何でだろう?

 千冬が不思議そうな顔をして見上げると、世嘉良はニヤリと笑って、千冬の頬にキスを落とした。

「な……っ!」
 千冬が驚いてさっと後ろに下がると、世嘉良はこう言ったのである。

「だから、こういう悪い狼がいるって事だよ。学校も安全とは言えないしな。ああ、俺も凄い心配だ」
 全然心配なんかしていない顔で平気でそんな言葉を口にしている。千冬は唖然として世嘉良を見上げていた。

 なんか、からかわれているのかな?うそ臭い感じがするんだけど……。

 不審な目で千冬が見上げると、世嘉良はニヤリとしている。いつもの世嘉良のからかいなのだろうか?

「千冬は、こうして簡単に頬とかにキスさせるのか?」
 そう言われて、千冬は憤然として怒った。

「そんな事するの、世嘉良先生だけですよ!」
 本当にそうだから、千冬は素直にそう答えた。そんな事してくるのは本当に世嘉良だけだ。今までだって誰にもそんなことされたことはないのだから。

「そうか。俺以外にそんなことをさせるなよ。千冬は俺のものなんだからな」
 世嘉良はそう言って、千冬の頬を両手で包んで真剣にそう言ってきたのである。

「え……あの……」

 いきなり、真剣になられてしまって千冬は戸惑ってしまう。これもいつもの世嘉良の戯言だったなら、怒鳴って何言ってるんですか!と言えるのだが、今度は何か雰囲気が違う。

 でも、自分が世嘉良のものというのはどういうことなのだろうか……?自分は誰のものにもなっていないのに……。

 じっと見つめてくる世嘉良の瞳がいつになく真剣で、そして深い。吸い込まれそうな深い闇のような気がして怖いのだが、反らす事は出来なかった。
 



21



 あれは一体なんだったのだろう?

 千冬は布団に入ってから、ふと思い出した。

 そう、さっき世嘉良(せかりょう)が見せた真剣な目。あれが気になって仕方ない。

 あの後、世嘉良はニコリと笑ってさあ、ご飯を食べようと言って、それ以上その話題を出すこともなく、いつものニヤリとした笑みを浮かべて千冬に戯言を言って遊んでいた。それは普段の世嘉良で、さっき見せた本気のような顔ではなかった。

 それに千冬はホッとしたのだけれど、お風呂に入って布団に入ったとたん、あの瞳を思い出してしまったのだ。

「あれは、何だったんだろう」

 声に出したところで答えが見つかるものでもないのは解っていたが、それでも声に出てしまった。

 答えなんてきっと見つからないに決まっている。何故かそう思えた。世嘉良が何を考えているのかがわからない以上、あれの意味を考えるのは時間の無駄 のような気がしてならない。

「俺のもの……ってなんだよ。いつ先生のものになったんだよ……。解んない」
 世嘉良が酔狂なのは解ったが、本心が何処にあるのかが解らなかった。

「駄目だ、寝よ」
 千冬はそれ以上考えるのを止めることにした。このままじゃ眠れないからだ。

 そう考えて、布団を頭から被って寝返りをうった。その日は都合よく睡魔がやってきてくれて、千冬はそれ以上何も考えることなく眠ることが出来たのだった。







 世嘉良はソファでスケッチブックを広げて、そこに何の意味も無いものを描きながら考えに没頭していた。手元は動くのだが、考えの方が纏まらない。珍しいこともあるものだと思わず自分を笑ってしまう。

 まさか、自分があんなことを思っていたとは意外だった。ふっと笑いが漏れてしまう。

 出来れば、千冬を怖がらすことはしたくなかったのに、意思とは反して地が出てしまったようだ。誤魔化してはみたが、巧くいったかどうかも判断が出来ないとは……。

 意外に自分に余裕がなかったんだなと、自嘲してしまう。

 千冬を欲しいと思ったのは、本当に一目惚れといっていいくらいだ。ふと目の前に現れた瞬間に、欲しいと思ってしまった。隣に住むのはラッキーだと思ったし、学校が同じでしかも部活まで一緒だ。ここまでは運できたようなものだ。

 後は、自分で千冬を振り向かせるしかないのだが、千冬が笑っている姿を見て、酔狂な自分を演じる事が出来なかった。あれでは、怖がらせてしまったかもしれない。

 本当に千冬は純粋で、男が男を求めることがあるとは、あまり理解していない。そこに付け込んで自分の方を振り向かせよう、考えられなくしようと思ったのだ。

 そうすれば、千冬は自分から逃げることが出来なくなると思ったのだが、今日ので少し失敗をしたかもしれない。貪欲に求めていると気づかれた逃げられてしまう。他の男と同じことをしてはいけない。あくまでゆっくりと自分に慣らしていくのだと決めたのだが、まさか、千冬の父親までに嫉妬するとは思わなかった。 千冬の心を占めているのは、自分であって欲しいと求めてしまった。

 明日になって、千冬が自分にどう接するかで今後を決めるしかない。 そう考えたところで、世嘉良は、自分が描いていたものをみて、思わず笑みが零れてしまった。

 そこに描きあがっていたのは、今日見た千冬が達した瞬間の顔だったのだった。





 学校へ着いて、千冬はふと前の席に多保がいないことに気がついた。

「あれ、多保は?」
 幹太はちゃんと席に座っているのに、朝が苦手な多保が席にいないのは変である。今まで一度もそんなことはなかったからだ。

「あー多保ね」
 幹太が振り返って千冬を見上げた。なんか様子が変である。

「どうしたの? 休み?」

「あーんーまあ、そうだな」
 なんともはっきりしない返事である。

「何かあったの?」
 千冬は心配になってそう聞き返すと、幹太が千冬を手招きして呼んで、こっそりと言ったのだった。

「多保は風邪だって言えっていったんだけどさ。実は、ちょっとやりすぎてな」

「は?」
 やり過ぎてってなんだろ?
 千冬が解らない顔をしていると、幹太は更にこっそりと言うのである。

「だから、あっちの方でな」

「あっちってどっち?」

「いや、だから……あー千冬に言っても解らないか……」

「?」
 千冬が不思議な顔をしていると、幹太ははあっと息を吐いて、頭をがしがしと掻いている。

 千冬にはさっぱり意味が解らない隠語を使われたような気がして、幹太が何を言いたいのかが理解できない。

 すると、隣でこっそりが聞こえていたのか、岸本がぶっと吹き出して笑い出したのだ。

「あはははははーっ。幹太、而摩に詳細伏せて言うのは、どうかと思うぞ。なんたって天然だ。しかも、あの恐ろしいやつ相手にしても平然としてるような天然だぞ」

 岸本はそう言って涙を拭いている。何がそこまで可笑しいのか。千冬は不満に思った。今の話で岸本にはわかったのに自分には解らなかった事を天然で片付けられてしまったのだから。

「まあ、午後には出てくるんじゃない?」

「そうなの?」

「うん、本人その気だから」
 風邪と誤魔化すような体調にあるのに、出て来られるような体調?

 千冬がいくら考え込んでも解らない事である。
 まあ、多保が出てくるなら、気にする程でもないのかもしれないと千冬は思い直していた。

 そして、岸本の予想通り、多保は午後になる前に学校に出てきた。理由は風邪気味で医者にいっていたという理由だったのだが、それは誤魔化しであるのは幹太が言っていた。それなのに、多保は何故か凄くだるそうなのだ。

「多保、大丈夫?」
 千冬がそう多保に聞くと、多保は一瞬困った顔をしたが、すぐに大丈夫だと答えた。

「あ、あのね。多保。幹太がやり過ぎたっていってたあっちって何?」
 千冬は素直に真っ直ぐに多保に尋ねていた。

 その瞬間、多保は固まるし、幹太は飲んでいたジュースを器官に入れて咳き込んでいるし、岸本は爆笑しているしで、千冬は自分がとんでもない事を言ったとは思ってないから何が起こったのか理解出来なかった。

 だが、次の瞬間。多保が地を這うような低い声で幹太の名前を呼んだのである。

「かーんーたー!」
 物凄い形相に、千冬は自分も怒られるような気がして、思わず背を伸ばしてしまった。

「ご、ごめん!」

「逃げるな!」
 だっと駆け出した幹太を追って、多保まで走って教室を出ていってしまった。

 教室では、いつもの事だと思ったのか、一瞬は驚いた生徒達もすぐに雑談に戻っていく。

「あ、あの。岸本」

「んー?」

「俺、なんか、幹太を窮地に追い込んだのかな……?」
 多保の形相を思い出すと、どうしてもそうなってしまう。それに岸本はケラケラ笑って手を振った。

「まあ、爆弾を投下したのが而摩(しま)って事だけで、幹太はどうせ自滅する材料を得意に喋っただけだよ」

「……はっきり言ってくれない?」

「ま、而摩も知ってた方がいいかもな。あっちはエッチの事。やり過ぎはそのままやり過ぎって言えばいいか?」

 それを聞いた瞬間、千冬は目を見開いて本当に知らなかったという顔をしたが、すぐにかあっと顔を真っ赤にして机に突っ伏してしまった。

 あ……あれがそういう意味で……うわ、俺何言って……うわ!

「あーあー、而摩撃沈。まさか、世嘉良(せかりょう)先生、奥手なのかなあ?」
 岸本がいきなりそう言ったので、千冬はがばっと起き上がって岸本に叫んだ。

「な、なんで! 世嘉良先生と俺が! ななななな」
 千冬が慌ててそう言うと、岸本はふむという顔になって言った。

「まだなんだ。意外だなあ。もう食われてるかと思ったんだけど」
 岸本はふむふむと何度も頷きながらそういうのである。

「く、食われた……って……」

「美味しく戴かれたのかとでも言おうか?」

「丁寧に言えばいいってもんじゃない!」
 千冬はそう怒鳴って、はあっとため息を吐いた。なんでこうなるんだよと言いたいところだ。

「いやあ、而摩には悪いけど、あの先生、結構やり手みたいに見えるし、手は速そうだなあとは思うんだけど、まだ食ってない……」

「それはもういいって……」
 千冬はがくっとなってしまう。

 世嘉良に食われるということは、つまり、エッチをするということになるのだ。そんなのあり得ないと千冬は思ったのだが、ふと、昨日の出来事を思い出して、更に顔を真っ赤にしてしまった。

 あ、あれってあれって……まさか。

 世嘉良にされたあれは、まさか食われる序奏という事ではないだろうか。そう考えてしまったからである。

「おや? 何かあったのかな。而摩君」
 ニヤニヤしながら岸本が言う。
 意地が悪い……岸本って。

「ま、美味しく戴かれちゃったら報告してな」

「な、なんで!」

「そりゃ、而摩のこと、心配だしなあ」

「面白がってないか?」

「いやいや、そんなことはないぞ。本当に心配してるんじゃないか。あの先生だぞ。そりゃ無体なことはしないだろうけど、相当きつそうじゃん。それにしつこそうだし、いじめそうだし、ねちねちしてそうだし、俺様だし」

「俺様は認める……」

 確かに世嘉良は俺様だ。自分が優位に立っていると思ってるし、自信もあるのだろう。そうした雰囲気がする人である。
 なんで、そんな人が自分に構うのかがいまいち解らないところでもある。酔狂だけでは、あんなことは言わないような気がするのだ。

 千冬は俺のものだからな。

 その言葉にどんな意味があるのか、今まで考えなかったのだが、それは、多保や幹太のような関係のことをいっているのだろうか。

 それとも違う?

 珍しいおもちゃが手に入ったから喜んでいるのかもしれないし。
 そう考えて、千冬は何だか嫌な気分になってしまった。

 何故か、そう思われていたらと考えたら、突然嫌な気分になってしまったのだ。
 その訳は解らない。

 なんだか、解らないことばかりのような気がする。

 千冬がはあっと息を吐いた時、多保に捕まった幹太が、引きずられるようにして教室に戻ってくる姿が見えた。 

 それはなんだか面白い光景だなあと暢気なことを考えていたのだった。
 


22

 なんとか、幹太を確保してきた多保は、仏頂面で事の顛末を聞いたのだった。

 千冬にそんな知識がないことまでわかってなかったらしく、それが通じなかった事が、今回の事態を招いたとあって、多保は少し呆れた顔をしたものだった。

「千冬にそんなこと、吹き込んでるんじゃない……」
 がっくりとした多保は、申し訳なさそうに千冬を見ていた。

「ご、ごめん、俺……」
 千冬は畏まって、多保に謝った。自分が余計な事を言わなければ、こんな問題にはならなかったのだと悟ったからだ。

「ま、仕方ないよ。千冬が悪いわけじゃないからね。気にしちゃ駄目。悪いのは、幹太だから」
 多保はさっきまでの疲れを幹太に怒ることで発散させたようである。お陰でいつも通 りの多保に戻っていた。

「でも、千冬が天然だってよく解ったよ」
 散々、さっきから天然と言われ続けてしまって、千冬は困っていた。自分はそんなに天然なのだろうか。

「俺って、そんなに抜けてる?」
 ちょっと不安になってそう言うと、三人はうんと一斉に頷いた。これにはもう千冬も自分は天然だと認めるしかないようだ。

「ここまで天然だったら、あの人も大変だろうな」
 何気なしに多保が言うと、幹太は。

「案外それが面白いのかもしれないぜ。あの先生のことだ。それなりに考えがあってやってるんだろうし」
 そうあの人やらあの先生とは、世嘉良(せかりょう)のことだ。

 確かに酔狂なところがあるから、その過程を楽しんでいるというのは十分予想出来ることだった。
 ことさら、千冬に関しては、今までの常識が通用しないというところから始まっているようなものだ。
 世嘉良でなくても、手こずらせるだろう。

「なんで、そこで俺と世嘉良先生の話になるんだよ」
 千冬は納得出来ないとばかりに、そう言って不満をぶちまけた。

「しょうがないじゃないか。あの人が今夢中になってるのは千冬の事だけなんだから」
 多保はさも当然だとばかりに言い放った。

「まあ、そのうち多保の仲間入りだしなあ」
 そんな事を言った幹太は、当然のように多保に殴られる羽目になったのだった。





 授業が終わって、一息ついた千冬は部活があるから、美術室へ向かおうとしていた。

 その時だった。

「あ、而摩(しま)ちょっといい?」
 声をかけてきたのは、確か隣のクラス、1組の人だ。何故か存在感がある美少年なのだが、油断ならないとさえ言われている人だ。
 でも、名前はまだ知らなかった。

「あの……」

「あ、俺、嗄罔水渚(さくら なぎさ)っての。世嘉良先生の家って知ってる?」

 いきなりそう尋ねられて、千冬はふっと不快になってしまった。どうしてこの嗄罔(さくら)とかが、世嘉良の自宅を知ろうとしているのが解らないのだが、聞くということは、訪ねるということなのだろう。

「あの、勝手に教えていいか、解らなくて……」

 もし、世嘉良が困るようなことにでもなったら、それは住所を教えた自分ということになってしまう。
 だが、嗄罔は、ふーんと鼻を鳴らした後言ったのである。

「でも、君は知ってるじゃん。仲がいいってきいたけど、それだけで住所教えるとは思えないな」

 ずばりと言われて、千冬はムッとしてしまった。確かに、世嘉良が自分の自宅の隣に住んでいるから住所は知っているだけである。

 もし、その偶然がなかったら、世嘉良は自分の住所を教えてくれただろうか? いや、それは教えてはくれなかっただろうと何故かそう思えてきた。

「それで、何か用なの?」
 千冬がそう聞くと。

「それは言えない。先生との約束でね」

 そう挑発するように言われて、更に千冬はムッとしてしまった。これではまるで、自分では世嘉良には合わないとでも言われているかのようだった。それは隣にいるということも相応しくないと言われた気がしたからだ。

「ま、今日中に渡して欲しいって言われたものを渡したいだけなんだけどね。期限が今日までなんだけど、あの先生、大学へ行ったらしくて、捕まらないんだよね。だから、届け物したいから住所教えてよ」

 ここまで言われて断ったら、世嘉良に何で住所教えなかったんだって言われるかもしれないと千冬は考えて、仕方なしに答えた。

「ふーん、隣同士だったんだ」
 嗄罔(さくら)はそう言うと、納得したように言って、千冬から預かったメモを振りながら、ありがとと言って去っていった。

 嗄罔の言葉には少し妙な事があったのだが、千冬はその矛盾に気がつかなかった。





 結局、世嘉良がいなければ、部活をしなければならないという義務も生まれなかったので、千冬は部活はやめて帰路に着くことにした。

 部活用の画材を一応美術室に置くことも考えたが、世嘉良がいないのであれば、当然美術室にも入る事は出来ないので、仕方なしにロッカーに画材を押し込めて、玄関へ向かった。

 周りは部活が始まったばかりで、結構な人が残っていた。それを脇目に千冬は門を抜けた。最寄り駅までいって電車を待つ。この時間なら、帰宅部の学生はもう帰った後で、部活をしている生徒とは鉢合わせることもなく、電車は空いている状態だった。それでもなんとなく座る気分でもなかったので、出入りがしやすい場所に立って景色を眺めていた。

 考えていたのは、もう今日の夕食は何にしようということで、世嘉良のことは考えてなかった。
 駅で降りた千冬は、小さなスーパーで買い物を済ませて、とぼとぼと家までたどり着いた。

 部屋に入って着替えを済ませると、テレビをつけてからキッチンに立って今日の夕食の下準備をした。

 それも手早く終えて、コーヒーを持ってリビングにいって、座ってテレビを観ていた。始まったのは、再放送の二時間サスペンスで、前に見逃していたものだったから楽しみだったはずなのに、内容が一向に頭に入ってこないのだ。

 そして、考えているのは、さっきの嗄罔のことだった。あの人は何のためにわざわざ世嘉良の自宅を訪ねようとしているのだろうかということだ。今日中に渡すものといっていたが、世嘉良がいないのだから、明日にでもすればいいのにとなんとなく思っていた。わざわざ家にくるということは、それだけ世嘉良には重要なものなのか、それとも……。

 そう余計なことを考えて、千冬は頭を振ってしまった。

 まさか、あの嗄罔は、世嘉良のことが好きなのだろうかという事だった。それはあり得ないとはいえない。わざわざ自宅を知りたがるくらいなのだから、何か思うところがあるのかもしれない。

 何故か、今まで世嘉良は自分だけに好意を向けてくれていると思っていたが、それは自分の思い過ごしなのかもしれないと思えてきたのだ。
 勝手な言い草かもしれない。

 今頃になって、世嘉良と嗄罔の関係が気になって仕方が無いのだ。
 自分でもどうかしていると思う。それでもその考えは止まることなく、千冬の頭の中を駆け巡る。

 結局、楽しみにしていたサスペンスはまったく頭に入ることなく、終わってしまった。

「はあ、俺って何考えてるだろ」
 なんだか、馬鹿らしくなってきて、いっそ笑えるくらいだ。

 今まで、自分の中で特別な人なんていなかったはずだ。それなのに、いつの間にか世嘉良が入ってきている。これはもうどうしようもないのかもしれない。あの勝手な、そして酔狂な性格の俺様男に翻弄されているのだ。

 やっぱり、どうかしてる……。

 千冬はそう思って、頭の中を切り替える為に食事の準備をして、一人でそれを食べ、片付けてから、今度は授業の予習をする為に教材を持ってリビングに戻った。
 それをやっている間、テレビではニュースが始まって、凄惨な事件の報道をやっていた。

 勉強を始めると、頭が切り替えられたのか、世嘉良のことも嗄罔のことも考えることはなくなっていた。

 しばらく勉強をして、バラエティーが始まった頃には勉強も一段落していた。すぐにシャワーを浴びて、すっきりさせると、またテレビに向かってバラエティーを堪能した。

 途中で、冷蔵庫に入っている水を飲もうと思って開けてみると、水はわずかしか残ってなかった。

「しまった……」
 今日は、二リットルの水を買っておく予定だったのを忘れていたのだ。
「仕方ない、コンビニで買ってくるか」
 水がないと、後々困るのは自分だからだ。

 せっかく着替えたパジャマから私服に着替えて、財布と携帯を持って家を出ようとした。玄関を開けようと思って手をかけた瞬間、外から少し大きな声が聞こえてきた。

「だからって、わざわざ家まで来ることはないだろ」
 その声は世嘉良の声だ。

「でも、今日中にこれが欲しいといったのは、先生ですよね」
 この声は、確か、嗄罔水渚(さくら なぎさ)の声。

 どうやら、千冬の家の前で言い争いをしているようだ。開けるに開けられない状態である。
 しばらくすると、歩き去っていく音がした。それはどうやら世嘉良の部屋へ向かっているようだった。

 千冬は少しドアを開けて、外を覗いた。ちょうど、世嘉良が先に部屋へ入っていったようで、その後に嗄罔が続いている。

 その時だった。

 振り返った嗄罔が、ドアを開けてこちらの様子をみている千冬に気がついたようだった。

 一瞬、驚いたように目を見開いていたが、次の瞬間、千冬を見て、ニヤッとした顔をして平然と部屋へと入っていったのである。

 千冬はそれを呆然として見送っていた。世嘉良の部屋のドアが閉まるまで、千冬はその場に立ち尽くしていたのだった。

 何か、とても嫌な感じがした。
 嗄罔から感じたのは、優越感とでもいおうか、そうした類のものだったからだ。

 千冬は暫く、世嘉良の部屋のドアを見つめていたが、そこは二度と開くことは無かった。

 なんだ……誰でもいいんじゃん。

 なにか落胆したというか、納得したというか、それでも石でも飲み込んだように胃が重い気がした。

「なんだよ。先生が何をしようと、俺が知ったことかよ」

 そうだ。世嘉良が何をしようが、自分が干渉する問題ではないのだ。たとえ、こんな時間に訪ねてきた生徒を自宅へ招きいれようとも、それは千冬には関係ないことなのだ。

 千冬はそう自分に納得させるように何度も何度も呟いて、言い聞かせていた。

 そうだ。関係ないんだ……。

 そうは思ってみても、頭で納得するより、何故か感情の方は思うように納得してくれなくて、コンビニの行き帰りにも、独り言を呟きながらもくもくと歩いて、自宅まで帰っていったのだった。

 

23


「千冬、どうした?」

 その声に千冬ははっとして顔を上げた。視線の先にいは、世嘉良(せかりょう)がいた。今はちょうど、部活の時間だ。石膏を描く作業をしているところだったのだが、思わず手が止まってしまっていたようだった。

「あ……いえ」
 千冬はそう言って、視線を反らしてまた石膏に視線を戻した。でも、手が動くわけではなかった。

「今日はもういい」
 さっと手を握られて作業を止められてしまった。

「あの……」

「集中出来ないなら、やらないほうがいい」

 世嘉良にそう言われて、千冬ははあっと息を吐いた。そうだ、言われた通 り、集中出来ないのだ。それでいくら頑張っても大したものは出来はしないのは解っていた。

 千冬は仕方なくスケッチブックを片付けた。どうにもこうにも集中が出来ない。気になっているのは、世嘉良と嗄罔のことだ。あれからどうなったのかは、はっきりとは解らないが、あの嗄罔の意味ありげな視線が千冬を不快にさせ、更に落ち込ませる原因となっていた。

 自分には関係ないと思い続けていたのに、どうしてこんなに気になっているんだろうと自分でも不思議で仕方ない。世嘉良の顔を見た瞬間にあの光景を思い出してしまうのだ。

「何か、悩んでるのか?」
 世嘉良にそう言われて、千冬は何で解ったんだろうと目を瞠ってしまった。

「やっぱり、悩みか……」

「どうして……」
 千冬の口から言葉が漏れた。

 すると世嘉良はニヤッとして、千冬の頭をつんっと指で突っついた。

「そんな顔してる。というか、顔に僕悩んでますって書いてある」
 そう言われて、千冬はぱっと自分の顔を押さえてしまう。

 嘘、そんな顔してた?

「千冬は顔に出るからすぐにわかるんだよ。今日は何に悩んでたんだ?」

 そう言われても千冬は下を向いたまま、言葉を口にはしなかった。言えるはずない。世嘉良と嗄罔のことで頭がいっぱいだったなんて、口が裂けても言えない悩みだ。

 千冬が頑なに口を閉ざすのを見て、世嘉良は小さく溜息を吐いてしまった。

 てっきり、先日したことを怒っているのかと思ったが、どうも違う。それに自分が失敗してしまった表情のことでもないのは、千冬が部活に出てきた事で違うと解ることだ。

 でも、千冬は世嘉良には言いたくない悩みを持っているのだ。相談もしたくないと拒否されているのは解ってしまう。

「まあ、悩める少年というわけか。それはいいとして。今日も一緒に夕食を取ろうか」
 世嘉良は無理に千冬から悩みを聞き出す事をやめて、別の話にもっていった。

 ところがだ。その言葉を聞いた瞬間、千冬は首を横に振ったのだ。
 手を前で合わせ、それをギュッと握って何度も何度も首を振るのだ。

 これは一体どうしたということか? 昨日は世嘉良も忙しく一緒には食事は出来なかった。それは仕方が無いことではある。でも、今日のことを拒否される理由が見当たらない。

「い、嫌です……」
 千冬は搾り出すような声を出して、そう拒絶した。

「それはどうして?」
 世嘉良が千冬に近づいてそう聞き返すと、千冬は一歩後ろに下がって。

「嫌だから嫌なんです!」
 凄い剣幕で叫ぶと、スケッチブックと荷物を掴むと、そのまま走って美術室を出て行ってしまったのだ。

「千冬!」
 世嘉良が追いかけようとしたのだが、その素早さで、千冬は階段を駆け下りていく音しか聴こえなかった。

「何がどうしたってんだ……」
 世嘉良は呆然として、美術室の前に立って下の階まで駆け下りていく千冬の足音を聞き入っていた。 

 このまま追っても無駄なのは解っていた。千冬はそのまま帰ってしまっただろう。そうなれば追いつくことは出来ない。
 世嘉良は千冬を追うのはやめて、美術室を片付けて、鍵を閉めて美術教官室に戻った。

 何が千冬の機嫌を損ねたのだろうか? 何がいけなかったのか。
 今まで、相手の気持ちなど考えたことがなかった世嘉良は、今千冬が何を考えているのがまったく解らなかった。

 ただ、拒絶されたということは解った。そして、千冬は怒っていた。それも世嘉良に対してだ。

 たった一日会わなかっただけで、千冬を怒らせるようなことでもしたのだろうか。それとも何か誰かに吹き込まれでもしたのだろうか?

 色々と考えを巡らせてみるが、どれもいまいち説得力が無い。

 この学校で千冬に手を出す奴がいるとは思えない。あれほど牽制しておいたのだし、千冬はそんな被害にあったこともないと言っていたのだから。

 さて、どうしたものか……。

 世嘉良がそう悩んでいると、世嘉良の携帯が鳴った。着信を見てみると、悪友であり同僚でもある埜州(やす)からの電話だった。

「なんだ」

『おー無茶不機嫌だね』
 向こうはこちらの事情などおかまいなしに上機嫌で冷やかしてくる。

「だから、なんだ」

『ま、不機嫌ならちょうどいい。久しぶりに飲みにでもいかないか? 京義(たかぎ)も都合がついたところだしよ』
 京義とは、やはり悪友で同僚の化学教師である。

「男3人で飲んで何が楽しいか」
 世嘉良が吐き捨てるように言うと向こうは何故か爆笑だ。埜州はいつもこんな感じで、軽い男なのだ。

『その不機嫌の理由も聞いてやるよ、いつもの店で7時な』

 埜州はそれだけ言うと携帯を切ってしまった。いつもこうだ。こちらの事情などどうでもいい誘いを持ちかけてくるのだ。

 だが、世嘉良は今日は行く気になっていた。世嘉良は切れた携帯を見ながら、一瞬千冬にも掛けるかと迷ったのだが、やはり今日はやめておいた方がよさそうだ。どうせ今頃電車で電源は入ってないだろうし。

「たくっいい様だな」
 世嘉良は失笑して携帯をカバンに戻していた。




 世嘉良がいつもの店に足を踏み入れたのは、7時10分前くらいだった。

 そこは表には看板などなく、暗い路地にポツンと明かりだけがあるような場所だ。普通 の人なら何の店か解らずに入るのを躊躇うし、もしくは通り過ぎてしまう。そんな場所を気に入ったのは、何を話してもマスターは気にしないし干渉もしないという徹底さだろうか。

 他に客はほとんどいない閑古鳥が鳴いているような店だが、世嘉良が入った時は先客がいた。

 世嘉良は自分を男前だと自負しているが、そこで女と一緒に飲んでいた男はそれを更に上回るような男だった。初めて見る顔だと内心思いながら、狭い店を見渡すと、案の定時間の10分以上前に姿を見せるという徹底した時間厳守を守る男が座って既に飲んでいた。

 世嘉良は挨拶も無く、その空いている席にドカリと座った。
 飲んでいた男は少し顔を上げて世嘉良を確認すると、ちらりと腕時計を眺めた。

「今日は、何十分遅刻だろうね」

「さあ、30分はかかるんじゃね?」
 世嘉良はそう言って笑うと、マスターにバーボンのロックを頼んだ。

「いきなり呼び出して、遅刻してくる奴の気が知れない」

「京義(たかぎ)の10分以上前ってのも十分異常だと思うが?」

「私は遅れて相手を待たすことが嫌なだけだ」
 京義はそう答えると、ウイスキーのロックをグッと飲み干した。

「この時間にこんな所に出てくるということは、隣の可愛い子には振られてしまったのかな?」
 京義はそう言って口の端を上げてニヤッとした。

「振られる以前の問題だ。何で機嫌が悪かったのかさっぱりだ」

「怒らせてしまったと……それくらいで参るものかね」

「俺はお前と違って紳士なんだよ。鬼畜野郎が」

「鬼畜とは失礼な。ちゃんと可愛がっているといってくれないか」

「化学室の怪奇の原因のくせに」

 化学室の怪奇とは、薄暗くなってきた校舎の特に化学室の前を通ると女の啜り泣き声が聞こえるというものだ。その原因はこの男にある。

「なかなか出来た怪奇現象だね。お陰でアレを可愛がるのに周りを気にしなくてもよくなったよ」
 そう言って薄く笑う京義を胡散臭そうに世嘉良は見た。すると、入り口で誰かが入ってきた音がした。

「お、お早いお揃いで!」
 そう言って入ってきたのは、埜州(やす)だった。遅れてきたことなどどうでもいいといういつもと同じ口調でそう言って席に座った。

「いやーなかなか抜けられなくて」
 などと言い訳しているが、これもいつもと同じ言い訳だ。

「で、何話してた?」
 さっそく話題に入ってくる。

「化学室の怪奇現象のこと」

「ああ、あれね。面白いよなあ。京義(たかぎ)が面白がってるのは解るが、あのほら、あの子、もうちょっと加減してやらないと。今日も保健室でお世話する羽目になったぞ」
 埜州(やす)は保健医なのでそう忠告してきたのだ。世話をしたのは、今京義が入れ込んでいる子のことだ。

「これでも手加減はしているよ。なかなか元気があっていい子だ」

「元気があってもな。保健室に世話になるようなことまでやるなっての」

「……ふむ、少し手加減しておこう」
 京義は相手が始終保健室に世話になっているとは思ってなかったらしく、とりあえず考えることにしたようだ。

「で、世嘉良はなんで機嫌が悪かったんだ? 隣の可愛い子には振られてしまったのか?」
 まったく京義と同じような事を埜州は口にした。思わず、世嘉良は舌打ちをしたい気分になった。

「機嫌が悪いのは、可愛い子の方なんだそうだ」
 京義がそう言うと、埜州はへえっと意外そうな顔をした。

「あのタイプは、そんな風には見えないのになあ」

「そうだね。大人しいタイプで天然入ってる子だね。如何にも世嘉良が好みそうなタイプだ」

 この悪友二人の性癖はほとんど世嘉良と変わらない。少年を食い物にするという言い方は悪いが、要はそういうことだ。年齢こそ一二歳の違いがあるが、どうもこういう話になるとこの三人はよく集まってしまうのである。今日は情報交換というところだろう。

「訳解らねえんだよ。一緒に食事しようと言ったら、嫌だと。おまけに今日は妙に上の空で、僕悩んでますって顔してやがった。ほんと、何があったんやら……」

 思わず愚痴を零してしまう。他に言うところがないというのもあるが、この二人はからかうことはするが、言いふらしたりはしないから大丈夫だと解っているので言えてしまう。

「で、お前には心当たりが無いと?」

「あったらからかいながらでも可愛がってやったさ」
 完全にふてくれている世嘉良に京義が言う。

「案外、甲斐性がないんだな」

「どういう意味だ」

「嫌だという言葉。これは、本当に嫌なのか、そうではないか。まあ、食事に誘ったことが嫌だった場合、お前の部屋に上がるのが嫌とも取れる」

「まあ、それは考えたが、その前に食事した時はちゃんと居たし、嫌がることなどしなかった」

「では、後ということになる。その子からして、その後にお前の部屋に上がるのが嫌になるような出来事が出来てしまったと解釈すべきだろう」
 京義(たかぎ)は淡々とした口調だが、実に解り易い説明で難題に取り組んでくれる。

 その後だと?
 世嘉良はそれを思い出そうとして躍起になった。

「嫌になる出来事ってのはなんなんだ?」
 埜州(やす)が京義に聞いている。興味が湧いてきたのだろう。

「例えば、世嘉良の部屋に女の形跡があった。もしくは、そのような出来事を目撃してしまったというのはどうだろう?」

「こいつに女なんかいねえぞ」

「だから、例えばと言ったんだ。まあ、男でも構わないというか、男しか考えられないわけだが」

「つまり、その子の後に、別の子を連れ込んだのをその子は見てしまった、もしくは聞いたか、連れ込んだ方のに何か言われでもしたか、だな?」

「それが一番解り易い。つまり、浮気をした現場、証拠などを知ってしまったと考えるのが妥当だろう」
 京義と埜州の話を聞いていた世嘉良は、なんとも言えない顔になってしまった。

 つまりは、千冬は浮気されたと思っているという事になってしまう。

 浮気なんてした覚えもないし、ここ数年、生徒に手出ししたこともなかったのだから、連れ込んだという相手が乗り込んでくるなんてこともあるわけないわけで。過去の揉め事が今更勃発することはないと言えるので、そうすると、おかしなことになってしまう。

 あの家に移ってからは、千冬以外家には上げてないのだ。それなのに……と考えた瞬間、世嘉良は昨日のことを思い出したのだ。

 そう、昨日、調査を依頼した玖珂(くが)の同居相手が、わざわざ調査報告書を家まで届けてくれたのだ。
 それは嗄罔(さくら)という少年で、千冬とも同じ学校で同級生でもある。

 もし、その現場を目撃されたとしたら、玄関先で取引をしたとはいえ、千冬からしたら、家に上げたことになってしまうではないか。

「ちくしょー。あれか……」
 世嘉良がそう零した瞬間、二人の目がこっちを向いた。

「なんだ、やっぱ浮気したのか?」
 などと、埜州が言うし。

「一人しか相手出来ないと口にはしていたが、本命が二人いたとは驚きだ」 
 大層驚いてない声で京義が言う。

「だから、浮気でもなくて、本命が二人でもなくてだな。玖珂のところに調査を依頼してたんだよ」
 世嘉良はそう言いながら舌打ちをした。

「玖珂に?」

 埜州は少し驚いた顔をした。玖珂とは、大学の後輩で、今は探偵事務所という名の興信所をやっている。調査は確実で、どこから持ってくるのか解らないような些細な詳細を細かく調べてくれると評判なのだ。

「千冬のこと、調べて貰ってたんだよ」

「それとこれとどう関係があるってんだ?」
 埜洲は意味が分らないと聞き返す。

「その玖珂のところに引き取った子がいただろ。嗄罔水渚ってガキ」

「ああ、あの綺麗な子だね。頭が切れる凄い子だって前、京義が褒めてたよな。あれが?」
 埜洲は素直に嗄罔(さくら)の感想を付けて聞き返した。

「それが、家まで調査報告書を届けにきたんだよ。住所はバレてるから仕方ないにしても、学校で渡してくれる予定だったんだが、俺が学校にいなくて、それで家まで来た訳だ」
 世嘉良がそう説明をすると、二人はなるほどと納得をした。そう、答えはそこにあったからだ。

「まあ、えらい勘違いをされて、浮気モノ扱いされた訳だ」
 埜洲(やす)はなーんだと残念な顔をして言った。

「あの子ならそう考えそうだね。微笑ましいというか、天然の意味も解ってきたよ」
 京義(たかぎ)はクスリと笑っている。

「純粋だといってやれ。たくっ、一言あれは誰だって聞いてくれりゃ、その場で解決出来たものを」
 世嘉良はそう言うと、バーボンのロックを一気に飲み干した。

 やっと千冬が不機嫌な理由が解った。まさか、あれを見られていたとは思わなかったし、あの嗄罔(さくら)の意味深な顔の意味も理解できた。
 余計な事をしてくれる。

 つまり、嗄罔は何か自分が不機嫌だったのもあり、世嘉良の弱点を意地って遊んだだけなのだ。

「ガキに遊ばれた感想は?」
 京義はそこまで解っていたのだろう、そんなことを言ってくる。意地悪な奴だ。

「いっぺん、絞めてやる」




24



 千冬が学校へ行こうと朝玄関を出ると、そこに世嘉良(せかりょう)が仁王立ちしていた。

「うわっ!」
 思わず驚いて、千冬はドアを反射的に閉めようとした。

 だが、閉めようとしたドアは力を入れても閉めることが出来なくて、唖然としていると、そこに世嘉良の足がしっかりと挟まっていて、閉められないようにされていたことに気がついた。
「な……!」
 こんなに思いっきり閉めたのだから、足が挟まって世嘉良はかなり痛い思いをしたに違いない。
 千冬は慌ててドアを開けた。
 すると、今度はドアに手をかけられて、世嘉良が千冬の家の玄関に上がりこんできたのだ。
「な、なんですか……」
 怖くて世嘉良の顔を見ることができない。何故世嘉良がこんなことをしているのかも理解出来ないし、待ち伏せしてまで、自分に何をしようとしているのかも解らない。 

 でも、さっき見上げた時の世嘉良の真剣な顔は、少し怖かった。だから反射的にドアを閉めてしまったのだ。
 世嘉良はゆっくりと玄関に入ってくると、ドアを背にしたまま、ドアの鍵を閉めたのだ。

「な、なんですか……」
 千冬はゆっくりと世嘉良を見上げた。そうするしか世嘉良がこんなことをしている意味を知ることが出来ないからだ。

「言いたいことがあるのなら聞く」
 世嘉良はさっきの真剣な顔とは違って優しい声でそう言った。

「え?」
 一体何のことを……。
 そう思った千冬だが、思い当たることがあった。それは世嘉良の誘いを断るほど、ショックだったこと。

「あ、あの!」

「ん?」

「あの……嗄罔(さくら)って先生のなんですか?失礼とは思うんですが、恋人ですか?」
 千冬にしては率直にきいたものだ。普段ならそんなこと聞けないと思っていたのだが、何故かそう聞いてしまった。
 すると世嘉良は持っていた茶封筒を千冬の前に差し出したのだ。

「え……あの?」

「これを見れば解る。嗄罔が持ってきたものだ」
 そうして渡されたものを千冬は受け取った。中を見ろということなのだろう。慎重に中を出してみると、報告書と書かれているものだった。

「これが……なにか……?」
 なんの報告なのだろうか、この話の流れでどうしてこんなものがと不思議がっていると世嘉良が答えてくれた。

「千冬に関する報告書だ」

「え! な、なんで!」

 千冬は驚いて世嘉良を見上げる。自分を調べてどうしようというのだろうかと思ったのだ。
 思わず、自分に関する報告書を捲って見てみる。

 そこには、千冬の家族構成やら、生まれてからの千冬が知らなかったような報告まで詳細に書かれているのである。

 本当の父親の名もあった。そして、幼稚園、小学校と上に上がっていくにつれて、詳細が詳しくなってくる。
 千冬があまり知られたくない、イジメのことまで。首謀者が誰でどういうことをされたのか。もちろん千冬の記憶にもあるものだ。

 どうして……。

 何故、世嘉良がこんなものを調べようとしたのだろうか。
 報告書を見終わった千冬は震える手を押さえて、世嘉良を見上げた。

「どうして……」
 それしか言葉を知らないかのように千冬は繰り返して聞いていた。
 世嘉良は、少し困った顔をして、ポツリと言ったのだ。

「そりゃ、千冬のことを知りたかったからだ」

「だ、だったら、こんな調査させないで、俺に聞けばいいじゃないですか!」
 千冬は思わず叫んでしまった。
 世嘉良は、当然そう言われると思っていたのだろう、こう返してきたのだ。

「俺が聞きたいと言って、千冬が素直にこんなことを喋ったりするとは思えない。確信があったんじゃないが、何かあったんだろうとは思ってた。これじゃ言えないよな」

 それは千冬に対するイジメの問題だ。千冬は母親にさえそれを隠していたのだ。ただ、同級生と巧くいかないとは言ってはいたが、イジメのことは断固として認めなかった。

 世嘉良はそんなことを感じ取っていたらしい。気になり、でも千冬に直接聞くことは失礼だと思い、調べることまでしたのだ。

「こっちの方が失礼だと思います。どうして……どうして俺なんか……」

 そんなに気に掛けてくれるのだろう。言葉はそうは続かなかった。
 自分はそんなに気にしてもらえる存在じゃない。そんなものでもないと思っている。

「嗄罔(さくら)のことを話すには、これを見せないと説明が出来ないと思ったからだ。本当なら千冬には見せないつもりだったし、秘密にしておこうと思ったものだ」
 世嘉良はそう説明した。

「これと、嗄罔が?」

 確かに嗄罔は世嘉良に渡すものがあると言っていた。それがこれなのは解ったが、何故、嗄罔がこれをもっていたのかが説明されてない。
 そう思った千冬の考えを読んだように世嘉良は続けて言った。

「嗄罔を引き取っている男が、興信所をやっていて、俺の後輩なんだ。信用できるところだから頼んだんだが、持ってくるのがあのガキとは……。それに家まで押しかけてくるのも予想してなかった」

 世嘉良はそう言って、ポリポリと頭を掻いている。本当にそう思っていたようだ。

「あ……。家の住所教えたの、俺です……」
 千冬はそれを思い出して、しゅんとなって言った。

「え? 千冬が教えたのか?」
 世嘉良はまさかそうだとは思いもしなかったと驚いている。目を見開いて千冬を凝視している。

「あのガキ、千冬に聞きに来たのか?」
 信じられないという顔で世嘉良は確認をしてくる。
 千冬は小さく、うんと頷いた。

「あんの、クソガキ!」
 つまり、自分はからかわれたのだ。たった十五歳の子供にだ。

 だが、幸いだが、千冬の誤解を解くのが早く出来て良かったとも思った。このまま学校で捕まえても、千冬のさっきの様子からすると、絶対に逃げ回るだろう。それは想像できる。その前に捕まえて事情を話して誤解を解くことが出来たようだった。

「それで、千冬は機嫌が悪かったんだな?」

 世嘉良がそう言うと、千冬はさっと顔を赤らめて下を向いてしまった。どうやら昨日京義が言っていたことは的を射ていたようだ。あの助言がなかったら、未だに千冬の機嫌の悪さが解らずに、四苦八苦していたかもしれないのだ。

 でも、それもいいかもしれないと今では思う。口説く時と同じように聞き出せばいいだけのことだ。

「悪かった。千冬しか入れたことのない家に、あんなガキ入れたからな。千冬が怒っても仕方ないよな」

 世嘉良がいきなりそう言ったので、千冬は驚いて顔を上げた。相変わらず顔は真っ赤なままだが、意味が解らないという顔でもあった。

「どうして……」
 そんな事言うんだよ!と続けたかったのだが、驚いたことに、声は少し掠れていた。
 何故か自分は緊張している。

「そりゃ、千冬怒って当然だ。俺が悪かった」
 世嘉良はそう言って頭を下げるのだ。

「せ、先生! そ、そんなことやめてください!」

 世嘉良の家に世嘉良が人を入れるのは普通のことだ。それを千冬が機嫌が悪くなるからという理由で、それを謝っているのだ。
 どうしてそこまでしてくるのか。それが千冬には解らない。

「では、どうすれば千冬の機嫌は直るのかな?」

 世嘉良は下げた頭を上げて、千冬の顔を覗き込んでくる。その口の端は少し上がっている。つまり、この状況を楽しんでいるのだ。
 なんて男だ。

「千冬は、どうしてってばかっで俺にはどうすればいいのか解らないんだな」

「だ、だって……! 先生の家に誰が入ろうが、先生が入れたなら、俺がとやかく言う必要はないはずですよ?」

「そうは思っていても納得出来ずに機嫌が悪かったのは、あのガキのせいだな? あのガキがわざわざ千冬の機嫌を損ねるような態度で接してきたというのは確実なんだな?」

 確かめるように、ゆっくりと世嘉良が聞いてくる。

 確かに不快だったのは、あの嗄罔の態度だ。世嘉良に当たる必要はないわけで、昨日の態度は自分でも恥ずかしいくらいに八つ当たりだったのかもしれない。

「え、で、でも、それは……」

「やっぱり、何かやったんだな?」

「そ、それは……」

「それは、千冬が不機嫌になるようなことなんだな?」

 世嘉良の声が段々低くなっていく。余程、嗄罔(さくら)にかき回されたことが気に入らないらしい。
 千冬は訳が解らなくなって、思わず頷いてしまった。
 確かに嗄罔の態度に自分が不機嫌になってしまったのは間違いないことだからだ。

 まったく、やってくれる……。

 世嘉良は大きな溜息が吐きたくなった。

 でも、嬉しい誤算は、千冬が自分のことを気にしていることが解ったことだ。あんな事をしたというのに、それでも千冬は自分を慕ってくれているのだ。

「まあ、こういうわけだが、千冬の機嫌は直ったかな?」
 世嘉良はそう言って、千冬の頬を両手で包んだ。にっこりと笑う世嘉良に思わず千冬は見惚れてしまった。
 これは自分の為に笑ってくれているのだ。

「機嫌って……そんなこと気にしてたんですか?」
 わずかに期待を込めた言葉を千冬は言っていた。世嘉良はなんて答えるんだろう? そういう気持ちがあった。

「そりゃ、嫌だって言われてかなり落ち込んだよ」

「え……先生が落ち込むんですか?」
 意外過ぎて千冬は笑ってしまう。そんな言葉が世嘉良から出てくるとは思いもしなかった。

「言っただろ。俺は千冬が好きだって。だから嫌われたと思って、昨日落ち込んでた」
 また意外な言葉。それと聞きなれた言葉。

「……好きって……それって」

「一目惚れだった」

「え!?」
 まさか、そんな意味で世嘉良が自分を好きだと言っていたとは思いもしなかった。周りで噂されていた事は、ほとんど間違ってないということになる。

 千冬はぐんっと体温が上がるのを感じた。

「千冬は? 俺のことどう思ってる?」

 世嘉良の言葉に、千冬は戸惑った。つまり、今自分は告白をされたわけで……で、世嘉良はその答えを聞きたいと言っているのだ。

「あの……」
 答えは決まっている。

 でもそれを口にすることは勇気がいる。ドクドクと心臓が耳についているんじゃないかと思える程の大きな鼓動が聞こえて、それが世嘉良にも聞こえているのかもしれないと思ってしまった。

「あの?」

「……先生、近いです」
 段々と顔が近づいてくる。もう唇がくっつきそうなほど近くに世嘉良の顔があるのだ。

「千冬、返事は?」
 にっこりと笑う世嘉良に、千冬は意を決して言ったのだった。

「俺も、先生が好きです……」
 それは消え入れそうな声の告白だった。



25

 告白が終了した時、千冬は顔を真っ赤にしていた。それを見た世嘉良(せかりょう)は、尚更千冬が可愛いと思い、そのまま抱きしめてキスをした。

 最初は少し抵抗があったものの、それ以上の抵抗はなく、千冬はされるがままにキスを返してくれた。それは辿々しいものであり、幼稚であるのだが、それが世嘉良の気持ちに火をつけることになるとは千冬も思いも寄らないだろう。

「ん……は……っ」
 キスが終わると、千冬はぐったりとして世嘉良にもたれ掛かった。

 世嘉良は、これはいい機会だと思ったのか、倒れ掛かってきた千冬を抱き留めると、そのまま担ぎあげてしまったのだ。

「え?」
 さすがに意識が飛びかけていた千冬でも、この展開は読めなかったらしく、びっくりして正気に戻った。

「せ、先生!」
 世嘉良は千冬を担いだまま、自分の部屋へと戻り、すぐさま居間へと連れていった。

 そこで、世嘉良は千冬を下ろし、もう一度キスをした。
 今度は抵抗なく千冬は受け入れてくれた。

 そしてそれが終わった瞬間、千冬はふうっと息を吐いた。

「もう、先生……急過ぎる」
 告白してそれほど経っていないのに、世嘉良がこういう行動を取ったことが可笑しかったのもあった。

 そして冷静に考えて、今、こうしている場合ではないとも千冬は思った。

「こんなことしてる場合じゃないです。学校へいかないと……」

 抱きしめてくる世嘉良に千冬はそう言って離れようとする。さすがにこれ以上を急に千冬に求めるのは早過ぎると思ったのか、世嘉良も息を吐いて辞めた。

「……悪かった」
 世嘉良はそう言って離れた。

 千冬はほっとすると咽が乾いた気がしてきて、ふと目に入ったお茶を手に取った。

「ち、千冬! それは!」

 世嘉良が慌てて止めに入った時にはもう遅く、千冬はその液体を飲んでしまっていた。ほんの少しだけ口に入れて呑んだだけで、それはぐっと身体が熱くなる品物だった。

「千冬、だ、大丈夫か? それは、酒なんだ」

「そ、そんなの早くいってくださいよぉー」
 千冬は泣きそうな顔になって世嘉良にすがりついた。

 世嘉良は側におきっぱなしになっていた本当の水を千冬に与えてみたが、酒は抜ける様子はなかった。

 なんとかなだめて千冬の身体をさすったりしてみた。

「先生、なんか暑い」
 段々と思考がおかしくなってきて、倒れこむように世嘉良に縋る。

 その世嘉良が触ったところから、熱がきているような気がして、千冬は体を振るわせた。

 なんだろ、これ……?

 よく解らなかったが、世嘉良が触ってくれるところは熱いのだが、気持ちがいいのだ。
 頬を撫で、そして首筋。

 キスをされると思った時にはもうキスをされていた。

「ん……」
 これは抵抗なく受け入れる。
 だが、世嘉良の手が服の中に入ってくるとピクリと体が震えた。

 ゆっくりと乳首を触って、指で捏ねてくる。それが気持ちが良くて、いつの間にかキスが終わっていた口からは喘ぎ声が漏れた。

「あ……うん……もっと」
 頭がぼんやりするが、それが気持ちいいのだとは解っている。

 もっと触って欲しくて、千冬は世嘉良に体を擦り付けるようにしていた。これは無意識だった。

「まさか、酒にここまで弱かったとは思わなかったな……」
 世嘉良がそう呟く。

 どうやら千冬はウイスキー一杯、それも舐めた程度で酔ってしまって、大胆になっているらしい。
 今なら何をしても受け入れてくれるだろう。そんな予感がする。

 だから、このチャンスを逃すことは世嘉良には出来ない。

 こういうチャンスは二度と訪れないと言えそうだ。それに千冬をどうにかするには、今しかないような気もする。
 この酒は、神様が機会を与えてくれたのかもしれないとさえ思える。

「酒の勢いを借りるのは、ちょっと不本意だけどな……」
 少しの不満を言ったのだが、目の前に美味しそうなのが横たわってくれているのだから、食わないわけにはいかないのもある。
 その辺は、自分に言い聞かせて、正気の時は二度目でもと思い直した。

「千冬が悪い子だからいけないんだよ?」
 世嘉良はそう言い聞かせてみると、千冬はトロンとした瞳を世嘉良に向けた。

「悪い子?」
 首を傾げて考えているのだが、何がいけないのか解らないらしい。

「そう、飲むんじゃないと言っただろ? だから、こうなってるんだよ」
 世嘉良がそう説明すると、納得したらしく、うんと頷いた。

「じゃあ、この暑いのどうにかなるかな?」
 そう聞いてきたので、世嘉良はニコリとして言ったのだった。

「言うとおりにしてれば、とても気持ちいいことになるよ」
 その言葉に千冬は嬉しそうな顔をしている。

「千冬は気持ちいいの好きだよね?」

「うん、好き」
 普段ならこんなに素直に答えないのだが、今日はいけるだろう。

 卑怯な気もするが、これはなるようになったとしか言えない。

「じゃあ、もっと気持ちよくしようね?」
 そう言って、世嘉良は千冬をベッドへと運んだ。

 ゆっくりと寝かせると、シャツを脱がせ、ズボンも脱がせた。
 全裸にして、それを弄るように世嘉良は手を伸ばした。
 至るところを触られて、千冬は気持ちいいのか溜息のような甘い息を何度も吐き出す。

「は……ん」
 首筋からずっと舐めとって、乳首に辿りつくと、何度も吸っては噛んでみたりとする。

「あ、ん……は……ん」

「気持ちいいだろ?」

「うん、もっと……あ!」
 乳首を舐めながら、千冬自身をもいじってやる。そうすると直に勃起をし、汁を垂らし始める。

 そういえば、前にこれをやった時も千冬は抵抗らしい抵抗はしなかった。
 基本的に気持ちいいことには弱いのだろう。

「ん……ああ……いっちゃう……」

「いっていいよ」
 そう囁くと、瞬時に千冬は達する。それでも世嘉良は千冬自身を放さずに擦り続ける。
 達したのに、またそれをやられると快楽がいきなり襲ってくる。

「やっ! あっ!」
 世嘉良は千冬の腹に散らばった精液を舐め取りながら、千冬自身にも舌を這わせた。

「あああ!」
 これはさすがにやられたことはないから、びっくりしたらしい。
 口に含んで舌で舐めながら扱いてやると、千冬自身はまた頭をもたげてくる。

「ああ、ん……あん……き、気持ちいい……んん」
 そして今度は世嘉良の口の中で達してしまった。

「はあ……はあ……」
 全身を震わせて吐き出したのだから、かなり体力を使ったらしい。

 それを見ながら、世嘉良も服を脱いで、用意していたローションを取り出した。
 それをたっぷりと手に塗って、更にうつ伏せにした千冬のお尻にもたらした。

「つ、冷たい……」
 そう言って抗議してくるが、指で孔を擦ってやると、びくっと体を奮わせた。

「ここが気持ちよくなるようにしようね」
 世嘉良はそう言って、孔を丹念に撫でて解していく。

 最初に一本の指が入った。
 ゆっくりと抜き差ししてもローションのお陰か、大して千冬も痛がりはしなかった。

 それを何度も繰り返していると、千冬の腰が揺れ始める。

 感覚が慣れてくると、世嘉良は二本の指を入れて孔を広げた。
 酔っているお陰か、殆ど抵抗はなく、ただ千冬は気持ちいいことを探しているようだった。

 そこで、前立腺を捜し擦ってやると、びくりと体が跳ね上がった。
 千冬にしたら、それは電流が流れたようなものだった。

 一瞬それがあって、驚いて世嘉良を振り返っている。

 だが、世嘉良はそこを何度も擦り、気持ちいいだろと繰り返した。
 しっかり千冬自身も復活していて、感じていることは確かなのだ。

「ん、あん……そこ……ああ……もっと……んん」
 千冬は枕にしがみ付いて、その言葉を繰り返す。

 そして三本の指を入れて更に広げてやると、最初はやはり抵抗があるが、直に慣れてくるようだ。
 丹念に孔を広げ、痛くないようにしてやる。孔の襞ももう一方の手で撫で回し、内側と外側から攻め続ける。

「あ、あ、あ……っ」

「そろそろ、大丈夫かな?」
 散々時間をかけて解したのだから、かなり孔は緩やかになっているはずである。
 それでも指より大きなものをいれるのだがら、それなりにやらなければならないこともある。

「千冬、そのまま、力を抜いていて。そういい子だね」
 そうして手を千冬自身に伸ばし、扱いてやりながら、世嘉良は孔に自身を差し入れた。

 ローションをたっぷりとつけていたお陰が、先はすんなり入ったのだが、奥までは解せてなかったから、そこから先が辛いところだ。

「千冬、深呼吸して」
 やはり、半分を入れた辺りから、千冬が痛がり始めたのだ。

「気持ちよくないよ……」
 そう文句を言い出したが、ここまで来て世嘉良が引き返せるわけがない。

「これを全部入れて、擦ると気持ちがよくなるから、もう少し協力してな」

「どうやって?」

「深呼吸と、それからこっちに集中して」
 そうやって千冬自身を扱いてやると意識はそっちにいったららしい。
 そのまま、世嘉良はゆっくりではあったが、ローションの滑りを利用して中へと入っていく。

 そして全部が入った時、千冬自身を擦りすぎたのか、千冬が達してしまった。
 全部収まった状態で、いきなり締め付けられて、世嘉良はその気持ちいい快感をなんとかやり過ごした。

「……あぶね、もってかれるところだった」
 その締め付けが具合良すぎて、入れただけなの達しそうになったのは初めてだった。
 これはかなり体の相性がいいらしい。

「先生……なんか、お腹が一杯な感じがする」
 どうやら入っているものの異物感をお腹が一杯と表現したらしい。

「もう少し慣れるまで待ってな」

「うん……」
 世嘉良は自分の大きさに孔がなれるまで、千冬の体を撫で回していた。それも気持ちいいのか、千冬は喘ぎ声を上げる。
 全身の神経が快感に向っているらしい。
 普段ならくすぐったい場所でも、千冬は喘ぎ声を漏らすからだ。

「そろそろいいか。動くぞ」

「それ、気持ちいいこと?」

「俺も千冬もすぐに気持ちよくなることだよ」
 そう言うと千冬は頷いた。

 そうしてゆっくりと抜き差しをすると、すぐに千冬は快感を追い始めている。

「あ、ん、あ……ん……あ……あ」
 千冬の中は世嘉良自身にしっかりと吸い付くような感覚で、世嘉良も気持ちが良かった。

「やはり、相性がいいらしい」
 そう呟くと、今度は早く動き始めた。

 その腰の動きに合わせて、千冬の腰も動き出す。自分で快楽を追っているのだ。
 なかなか、素質があるのかもしれない。
 などと、世嘉良は思ったが、自分も限界が近づいていた。

「あっ……あっ……ん……あっ……なにか……なにかくる……っ」
 それが絶頂であることを千冬に理解できるはずはなかった。

「あ、ああああっ!」
 完全に達してしまった千冬は、世嘉良自身を締め付け、その反動で、世嘉良も千冬の中に精を吐き出した。

「ん……!」

「は、はあ……はあ……はあ……すごい、なんか、すごい」
 千冬は視線が定まってないながらも、そう呟いていた。

「ん? すごい良かっただろ?」
 世嘉良が千冬の中から出ないまま、千冬を仰向けにして言うと、千冬はうんと頷いた。

「き、気持ちよかった……」
 そう感想を漏らした。

 そして言ったのである。

「もっとして……」
 そう言って、世嘉良の首に腕を回してくる。
 まだ余裕があるのか、それとも酒の効果なのか。
 それは解らないが、千冬がやる気になってるなら、やるしかない世嘉良である。


 結局、第二ラウンドで千冬は力尽きてしまい、寝てしまった。

 世嘉良は寝た千冬を綺麗に拭いてやってから後始末し、一緒にベッドで寝た。
 こうやって一緒に寝るのは初めてだったので、世嘉良はしっかりと千冬を抱きしめていた。

 その鼓動が聞こえたのか、千冬は世嘉良に擦り寄ってきて、胸に収まると、すうすうと寝息を立てていた。それを見て世嘉良は苦笑すると、自分も眠りに落ちていった。






 翌朝、千冬はいつも通りに目を覚ましたが、しっかりと世嘉良に抱きしめられていて身動きが取れなかった。

 しかもありえないところが痛いし、腰も痛い。体がギシギシいっているようだ。
 ふと、自分の昨日の醜態を思い出してしまった。

 酒を少し飲んでおかしくなったのは確かだが、まさかセックスに至るとは。しかもしっかり自分から求めていたことも全部覚えていたのである。
 お酒で記憶を無くすというのはよくあることだが、これほど鮮明に覚えているのはどうかと思う。

 すると真っ赤な顔をしていた千冬の顔を世嘉良が覗き込んでいたのだ。

「おはよう、よく眠れたみたいだな」
 世嘉良はそう言うと、千冬の額にキスを落とした。

「……全部、覚えてて……」
 千冬が小さい声でそう言うと、世嘉良は笑顔になって言った。

「そりゃよかった。まさか初夜を覚えなしにってのも可愛そうかと思ったが、千冬があんまり可愛くて、手が出てしまったんだ」
 世嘉良はクスクスと笑う。

「可愛いからって……もう」
 千冬は照れたのか、布団に潜り込んだのだが、あらぬ所が痛くて直に動けなくなった。

「ほら、今日は一日ベッドだな。大人しく寝てな。ご飯用意するから」
 世嘉良はそう言うと、潜っている千冬の布団を叩いてから出て行った。


 結局、その日は本当に千冬は夕方までベッドから起き上がれる状態ではなかった。

 でも、世嘉良が上機嫌であって、しかも自分も十分満足している記憶がある以上、世嘉良を責めるわけにはいかず、大人しくいうことを聞いていたのだった。
 いずれは、こういう関係になるのだと思えば、酔っていたとはいえ、正気じゃなくてよかったと考えればいい。

 でもこれ一回で終わる関係ではなく、これからも続いていくのだと解ると、あんな快楽に落ちて醜態をさらす自分が恥ずかしい。

 でも、それでも世嘉良に迫られてた自分は断れないだろうと思う。

 でもしかし。

 明日は学校がある日だが、大丈夫だろうか。

 今日休んだことを誰かに問い詰められたら自分はたぶん普通ではいられないだろう。その時、このこともバレるのではと思うと少し考えてしまう。

 すごく恥ずかしいじゃないか。
 それが今の千冬の一番の心配ごとだったのだった。